夢をかなえる新聞・聖教新聞 -人間革命の指針-

聖教新聞は夢をかなえる新聞です。その中より「新・人間革命」、名字の言、体験から夢をかなえゆくための指針をつづります。

釈尊の悟り

2008-06-26 23:56:55 | 小説「新・人間革命」
その瞬問であった。無数の光の失が降り注ぐように、釈尊の英知は、不変の真理を鮮やかに照らし出した。彼は、胸に電撃が走るのを覚えた。体は感動に打ち震え、頬は紅潮し、目には涙があふれた。

〝これだ、これだ!″

この刹那、この一瞬、釈尊は大悟を得た。遂に仏陀となったのだ。彼の生命の扉は、宇宙に開かれ、いっさいの迷いから解き放たれて、「生命の法」のうえを自在に遊戯している自身を感じた。この世に生を受けて、初めて味わう境地であった。釈尊は知ったのだ。

――大宇宙も、時々刻々と、変化と生成のリズムを刻んでいる。人間もまた同じである。幼き人も、いつかは老い、やがて死に、また生まれる。いな、社会も、自然も、ひとときとして静止していることはない。その流転しゆく万物万象は、必ず何かを縁として生じ、滅していく。何一つ単独では成り立たず、すべては、空間的にも、時間的にも、連関し合い、「縁りて起こる」のである。そして、それぞれが互いに「因」となり、「果」となり、「縁」ともなり、しかも、それらを貫きゆく「生命の法」がある。釈尊は、その不可思議な生命の実体を会得したのであった。彼は、自身が、今、体得した法によって、無限に人生を開きゆくことが確信できた。迫害も、困難も、逆境も、もはや風の前の塵にすぎなかった。

彼は思った。〝人はこの絶対的真理を知らず、自分は単独で存在しているかのように錯覚している。その錯覚が、結局は人間を欲望の虜にし、永遠不変の真理である「生命の法」から遠ざけてしまう。そして、無明の闇をさまよい、苦悩と不幸に沈んでいく。しかし、その無明とは、自身の生命の迷いである。まさしく生命の無明こそが諸悪の根源であり、生老病死という人間の苦悩をもたらす要因にほかならない。ゆえに、この迷い、無明という己心の悪と対決するところから、人倫の道、崩れざる幸福の道が開かれるのだ!″

彼方には、朝霧を払い、まばゆい朝の太陽が昇ろうとしていた。それは、人類の幸福と平和の夜明けの暁光にほかならなかった。