【玉崎神社】千葉県旭市飯岡2126-1
外房の九十九里の東端にある。玉依姫さまを祭る神社。
ご祭神の玉依姫さまは、上総の国⛩️一の宮の【玉前神社】(たまさき神社)の御祭神と同じだが、
玉前神社の分社と言う感じではなく、
神社名の由来も違う様だ。
鳥居をくぐると左方に、みごとな四本爪の龍がいる。
千葉の九十九里浜は
「玉の浦」といい東端を
「玉ケ崎」と言ったらしく、神社名の由来となっている様だ。
なので玉崎神社は、玉浦神社とも言うらしい。
上総の玉前神社は元宮⛩️神洗神社に玉依姫が上陸してきた由緒があるが、
下総の玉崎神社はヤマトタケルが東征の時に祭ったと言う⛩️由緒だ。
玉崎神社『拝殿』
源頼朝~平田篤胤まで、武人・文人たちから崇敬を集めていた。
玉依姫の上陸拠点『神洗神社』
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関東には、ヤマトタケルが東征時に創建した神社が多く残る。
三峯神社にイザナギ・イザナミを祭り
橘神社に妻の弟橘姫を祭った。
弟橘姫は、ヤマトタケルの妻で東征の時に荒れた海を鎮めるために犠牲になり、
橘神社、橘樹神社、吾妻神社などに祭られている。
内房(東京湾側)には弟橘姫の袖が流れ着いた為、「袖ケ浦」など、弟橘姫の所以の地名や神社が多い。
外房(太平洋側)の玉崎神社は違っていて、興味深い。
ヤマトタケルが犠牲になった弟橘姫を偲び建立した神社だが、
「弟橘姫」を祭らずに、「玉依姫」を祭っている。
下総の「香取神宮」の向こう
香取海(古代)側には、北東アジアの扶余系の渡来氏族が盤踞していて、
ヤマトタケルは征服戦をひかえ、
心にかかる事が何かあったのかもしれない🤔
神武天皇の東征にあやかり、
神武天皇の母である「玉依姫」を祭ったという伝承がある。
神武天皇が東征時に上陸した熊野にも「勝浦」と言う地名があり
千葉の外房にも「勝浦」と言う地名が残るのもそうした由縁だろうか、、
扁額
内殿には徳川吉宗の筆による扁額があるらしい。
摂社の後ろの気になる石碑。
正面には阿夫利神社(大山祇命)という石碑があったが、
祠の裏には三峰神社(イザナギ・イザナミ)がある。
何やら事情があるのかもしれない、🤔
もしかすると、
こちらがヤマトタケルが祭った
列島最東端の神社かもしれない。
突っ込んであれこれ 書いてみたいところだが、この辺で🙏
最後まで
お読み頂きありがとうございました。
✨✨✨✨✨✨🙏
Other Shot 📷
『玉崎神社⛩️一の鳥居』
鳥居の横に、座頭市の居宅跡
『九十九里の展望』
灯台の展望施設から
因みに千葉県の勝浦は、良質な魚がとれる漁港で知られる。
所謂『時価』と呼ばれる魚の価格があるが、
勝浦漁港で水揚げされたカツオの価格が、全国の価格基準になってるらしい😮
玉依姫さまのお膝元は、
お魚が美味しいです😌
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