- 前回の続き、古代ミステリーの投稿です。✨
中央構造線とは、関東から九州まで日本列島を東西に横切っている大断層のこと。
香取神宮・鹿島神宮、諏訪大社、伊勢神宮、石神神宮、宇佐神宮、幣立神宮など、⛩️名だたる神社がこの線上に祭られている。
奈良時代の投稿だが一度離れ、これらの神社が祭られた古代まで遡ってみる。
何故、神社は中央構造線上に祭られているのか?
✨✨✨✨✨✨✨✨
中央構造線上に、主要な神社が多く祭られている事はよく知られていて、
「ゼロ磁場の影響があるパワースポットだから」
「地震の影響が多いスポットだったから」など、祭られている根拠は様々な憶測があって、古代ミステリーファンの好奇心を掻き立てられている。
それとも理由はなく、たまたま偶然並んでいるだけなのだろうか?
中央構造線は、鹿島神宮辺りからフォッサマグナ東端に沿ってやや北上し、フォッサマグナ西端にある静岡・糸井川構造線と交わる辺りで、南に折れ曲がる。
この交差する地点は、諏訪市と茅野市の境界辺りで、北アメリカプレートとユーラシアプレートの境界でもあり、ここに諏訪大社が祭られている。
主要な神社と言ってもこうしてみると神社ではなく、諏訪大社以外は「神宮」が多い。神宮は明治神宮や伊勢神宮など天皇家と関わりのある特別な神社だけが「神宮」と呼ばれる。
一方、「レイライン」と呼ばれる北緯35度付近のラインにも神社が祭られていて、こちらは光の道(レイライン)という文字通り太陽の日照時間が最も長いラインであり、太陽の恵みを最も受けられるスポットだ。
西端は島根県「出雲大社」、東端は千葉県「玉前神社」で、出雲は櫛稲田姫、そして玉前神社に祭られる玉依姫も稲作を伝えた神であり、農耕民族にとっては雨の恵みと太陽の恵みは無くてはならなかったので、サンロードとも呼ばれるこの太陽の恵みライン上に田畑を拓き、社を祭り豊穣の祭祀を行っていたのかもしれない。
天の恵みパワースポットのレイラインと比べ、
地のパワースポットの中央構造線上で祭られている神宮や神社、特に皇祖と関わりのある神々たちは、大地の裂け目からどの様な恩恵を受けていたのだろうか?
【大地の恵みと神宮】
中央構造線は、約1億年前の白亜紀の頃に誕生した大きな断層で、大地の横ずれが日本列島を東西に横切っている。中央構造線の北側はマグマの噴出があり南側はないという、特殊な地質ラインの様だ。
この中央構造線上の大地からは、「丹生」と呼ばれる鉱物資源が古くから産出されることが知られていて、縄文時代早期から採集が行われていた。
丹生とは赤い鉱物のことで、赤鉄鉱から採れるベンガラや、辰砂(朱水銀)などを「丹生」と言い、赤い着色顔料として使用された。
縄文土器の着色から、神社の朱色まで日本文化の彩に一万年近く使われてきた伝統的な赤色顔料だ。
(※朱とは=水銀のこと。朱色の鉱石で無機水銀なので害は比較的少ないらしい。かつて消毒に使用された所謂赤チンの材料。仏教伝来と共に鉛を焼いて赤色化させる方法も使われる様になりこれも「丹」と言う)
しかし、丹生は顔料だけにとどまらず、
製鉄が渡来した弥生時代頃からは、赤鉄鉱のベンガラは製鉄の為に使われ、
秦氏が渡来した古墳時代からは、辰砂から水銀が採取される様になり、金の精製や金メッキに使われる一層重要な鉱物となった。
なので、中央構造線に限らず「丹生」が産出され製鉄が行われていたエリアでは、丹生都姫神社や丹生神社が祭られている。ちなみに中央構造線上には高野山もあるが、丹生都姫は、空海を高野山に導いた神としても知られている。
辰砂(朱=水銀)
前回の投稿から挙げている中央構造線上にある『水屋神社』の東は、伊勢神宮社領内(多気)に丹生水銀鉱山があり、西の大和方面(奈良県宇陀市)に抜けるとやはり水銀鉱山がある。
そのまま、中央構造線を西に沿って、丹生川上神社中社、上社、下社と続き、奈良盆地には鏡作坐天照国照神社があり「石凝姥命」という鍛冶の神や、物部氏の始祖ニギハヤヒも祭られている。
太玉命(フトゥダマ)祖神とする末裔で、天孫族の製鉄部族を率いていた。
十種の祓詞という祝詞に「皇神たちの鋳あらわし給う十種の宝」とあるが、王家の象徴である神具や鉄器は無二の神宝で、王には必ず鋳物を扱う専属の鍛冶職人がいた。日本神話では
忌部氏の天目一筒神(天津麻羅)が天孫族の神具の金工を担っていたとされる。
物部氏は神具でなく武具を扱った。「物」とは刃物のことで、刃物を扱う部族なので物部という。香取神宮の御神名の布津御魂の剣や、石神神宮の七支剣など物部系の神剣がある。
石凝姥命は、天皇家の三種の神器の一つである「八咫鏡」を作った神様で、日本神話では天岩戸隠れのときにオモイカネに命じられ八咫鏡を作り、鏡の光で岩戸から出てきた天照大神に鏡に映った御姿を見せたという。神具、武具、神器と、それぞれに鍛冶の神がいる。
更に中央構造線を西にいくと、
和歌山市には八咫鏡に先立って作られた日像鏡をご神体とする『日前神宮』と、日矛鏡をご神体とする『國懸神宮』が祭られている。
枚挙に暇がないが、中央構造線上の神社は鍛冶や製鉄に関係する神々が祭られ、そして「神宮」と呼ばれる天孫族系の主要な神社が多く、日本の神宮の1/3が中央構造線上に祭られている。
日本列島を統べた天孫族が、地下資源の得られるエリアを次々と拠点にしていったのだろうか?
【伊勢神宮と水銀を伝えた秦氏】
⛩️宇佐神宮は、九州の中央構造線の近くにあり、秦氏が渡来してきた時の拠点である。
日本に製鉄と辰砂から水銀を採取する方法や、養蚕や機織りなど殖産の多くをもたらした。
水銀採取法は秦氏が初めて日本に伝えたとされ、秦氏が拠点として造った秦王国は「辰王」とも言うので水銀の原料が「辰砂」と呼ばれている事とも関係があるのだろうか🤔
(中国の辰州で採れるからです😅☝️)
辰砂から採れる水銀は、大仏や仏具の金メッキの為に使用され、奈良の大仏建立時には、夥しい量の水銀が奈良へ運びこまれてきた。
仏教にはなくてはならない資源で、当時は水銀が金や銀よりも価値があった事もあり、どこの寺社でも水銀を備蓄していた。
しかしなんといっても伊勢が水銀の有数の産出地であり、奈良平城京の仏閣建築の殆どを賄っていたが、それだけに留まらず、中国にまで輸出されていたほどの最大の産出地だった。
(水銀の産出国は、日本・中国・スペインと限りがあり古代では大変貴重なものでした🙄産出国にまで輸出するのは相当な需要と伊勢の供給量があった様で、伊勢は日本と言うより世界有数の産出地だった様です🤔)
伊勢神宮の社領から採れる水銀資源と、
仏教勢力の仏教建築の専門性と、双方が合わさり奈良の仏教建築は可能となっていたので、双方の立場が拮抗していたのはそうした理由もあったのかもしれない、🤔
「製鉄を制する者が国を制する。」
「水銀を制する者が国を制する。」と言われた事もあり、
石器から鉄器に替わった時代、
弥生時代~古墳時代(4世紀頃)に渡来した王族たちは、中央構造線上の鉱物資源が多く採れるエリアに「宮」を置き拠点としていた。
古代は祭政一致であり、古墳時代までは祭政はそれほど分離してなかった為、
「宮」=王宮のことであり同時に
「宮」=神の坐す場所でもあり、
当に神宮と呼ぶのに相応しい王都だったのではないだろうか。
ちなみに四国の中央構造線上には古代の鉱山はないので、神宮もない。
中央構造線上では鉱物由来の拠点はヤマト王朝のあった紀伊半島(ヤマト水銀鉱床)に集中していて、他は必ずしもそうではないのだ。
関東・九州の中央構造線に至っては地中深くに埋もれていて実際は何処にあるかは確認できておらず、やはり四国と同様に大地の恵みへ手がとどかないエリアだ。
例外的に、宇佐神宮のある九州東端の大分には別府金山・臼杵丹生郷などの鉱山(香久山)があり、四国東端には安房水銀鉱床があり、天照大神の葬儀を行ったという伝承がある八倉姫神社がある。
関東西端の武蔵野国一の宮の氷川神社がある埼玉県は、「地球の窓」と言われる程の地下資源が豊富で、奈良時代の和同開珎~昨年閉山した秩父鉱山まで、日本有数の鉱山が多いエリアであり、丹生の採集も古くから行われていた様だ。
しかし、関東の香取神宮、次いで鹿島神宮などは「王の宮」ではなく⚔️東征した物部氏や🧿平定した中臣氏の拠点だった様で、
中央構造線上に建立というよりも、東日本平定の為に最東端の岬から上陸し、拠点を構えたと言うだけなのかもしれない。
(たまたま突き出た最東端と構造線エリアが重なったのは、フォッサマグナでへし折られた時の影響も関係あるのかも?しれないが…)
弥生時代の初期に渡来してきた
農耕民族は、天の恵み「レイライン」上に宮を置き
弥生~古墳時代に渡来してきた
製鉄民族は、地の恵み「中央構造線」上に宮を構え栄えた。
と、言った感じではないだろうか。🤔
諏訪大社のある信州エリアについては書くと長くなりそうなので割愛する。単に製鉄や農耕、中央構造線と言った視点だけでは覗い知る事のできない、日本の中でも稀な伝統とヤマト族とも違う民俗性が残る特殊なエリアだ。
最後に、幣立神宮がある熊本は謎としておいていきたい。😌
次回、奈良時代の最終章へ続く…
✨✨✨✨✨✨✨✨
長い話を、最後まで読んで頂いてありがとうござました。🙏
(古墳時代の須恵器「はそう」)
水銀を丹生からエア・リダクションで抽出する為の蒸留器。小型のものは祭祀用で全国から出土している。
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