フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

歎異抄 4条

2009年04月17日 00時34分25秒 | 社会・政治・思想哲学

 仏教には聖道門と浄土門の違いがありますが、仏教の根本である慈悲についても、聖道門と浄土門には違いがあります。
 
 聖道門の慈悲といいますのは、われわれが他の生きとし生けるものをかわいがり、その生けるものをいとおしく思い、それを育てようとする慈悲であります。

 しかし、われら無力な人間の世界にありましては、われらの思うがままに、徹頭徹尾他の生けるものをたすけることはきわめて困難なことであります。
 
 逆に浄土門の慈悲といいますのは、念仏をして早く仏さまになって、仏の持っている大きな愛の心、大いなるあわれみの心でもって、思うように生きとし生けるものを救いとり、生きとし生けるものに利益を与えることをいうのでありましょう。

 
 この世の中でわれらがどんなに他の生けるものをいとおしい、かわいそうだと思ってもわれわれの思いどおり、いとおしいものを救うことができませんので、そういう慈悲は結局首尾一貫しない慈悲であります。

 だから、この世のことは業にまかせて、ひたすら念仏するのが、首尾一貫した大きな慈悲でありましょう。 (梅原猛訳)

 

 「歎異抄」は親鸞の弟子の唯円が親鸞の言葉をまとめたものである。

 3条の悪人正機説が有名である。

 「善人なをもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」 

 善人ですら極楽浄土へ行くことができる、まして悪人は、極楽浄土へ行くのは当然ではないか

 非常に奥が深い。

 親鸞は鎌倉幕府ができる前に生まれた。

 時は戦乱の世であった。

 そこらじゅうで殺戮がおこなわれ、死体がごろごろしていた。

 その中で人を救うことはできない親鸞は自分の無力を嘆いたに違いない。

 だから、大きな慈悲の心をもって、ひたすら念仏することを選んだのだと思う。

 私も人を助けたいとおもうが、自分の無力さゆえ何もできないときがある。

 その時、この4条を思い出す。

 ただ、祈る。

 それしかできないから。

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幸福を追求する会社

2009年04月15日 00時21分11秒 | 社会・政治・思想哲学

 日経ビジネスに「幸福を露骨に追求する会社」という記事があった。

 長野県伊那市で寒天を製造・販売している伊那食品工業だ。

 寒天の国内シェア80%、世界シェア15%である。

 2008年12月期の売上高は159億円と中堅企業の規模であるが、経常利益率は10%とほかの食品メーカーと比べると高い。

 また、自己資本比率は72%で、銀行借り入れもほとんどない。

 この会社の社是は「いい会社をつくりましょう」である。

 その言葉通り、従業員、取引先、顧客、地域社会など会社を取り巻くすべての人々にとって「いい会社」であることを目指している。
 
 人事制度は終身雇用の年功賃金。
 
 下請けを叩くことはなく、地域社会への継続的な投資も惜しまない。

 みんな、このような理念を持った企業を理想に経営しているのだろうが、それを達成するのは難しい。

 では、どのようにそれを実現しているのだろうか。

 まず、天候に左右されやすい不安定な相場商品であった寒天の供給を安定させる。
 チリやモロッコ、メキシコ、オーストラリアなど、原料の海草を調達するために世界を走り回り、それを実現した。
  

 1977年に新聞に次のような広告を出した。

 「寒天はもう相場商品ではありません」

 次に進めたのは寒天の用途開発である。

 寒天を使ったお菓子を作り、メーカーに提案すると同時に、メーカーの声に耳を傾け、物性や粘度が異なる新しい寒天を開発してきた。その過程では、棒状や粉末ではない寒天も生み出している。

 このような努力の末、高い理想を実現している。

 

 

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集合無意識

2009年04月13日 00時34分39秒 | 社会・政治・思想哲学

 言葉を自由に連想するゲームで、コンプレックスという概念をユングは、発見した。

 さらに、この個人のコンプレックスより深い無意識の領域があると考えた。

 つまり、個人を越えた集団・民族・人類のなかに共通する心があると。

 多くの人の夢や空想に現れるイメージは、さまざまな時代や民族の神話にも共通して存在する。

 このことから、個人を超えた民族や人類に共通する無意識があると考えられる。

 そのような共通の無意識を「集合的無意識」と名づけた。

 例えば、日本の神話「古事記」などを分析することによって日本人の集合無意識を見出すことができる。

 神話は口伝えで長く伝わってきたため、多くの人間の無意識によって物語が変化していったと考えられるからである。

 人間の行動や思考・判断は、個人の内面と外部世界が相互に影響しあって決まっていく面がある。

 しかし、それだけではない。個人は集合的無意識にも影響される。

 だから、集合無意識を分析することで自分では予測不能な行動を説明しうる場合もある。

 

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体を静の状態にする

2009年04月08日 17時14分30秒 | 身体・健康・筋トレ

 ピカソは何時間も立ち続けて絵を書くことができた。

 彼はあるときそんなに長く立っていて疲れないかと訊かれた。

 彼はこう答えた。

 「描いている間、私はイスラム教徒がモスクに入る前に履物を脱ぐように、戸口に肉体を置いてきているのだ。このような状態では、肉体は純粋に植物的にしか存在していない。だから、我々画家はたいてい長く生きるのだ」と
 

 絵の技術を問う以前に、身体が絵を描き続けられる状態になっていること。

 そのような状態に身体を維持できることが必要である。

  新学期が始まって、小学生はいやでも机の前に、座らなくてはならない。

 しかし、エネルギーが外へ外へ向かう子供にとって、何もせずにただ座っていることはかなり難しいことだ。

 だから、最初は5分くらいじーっと机の前に座る訓練は必要である。

 体を植物化することで、エネルギーを内に向かわせる。

 それができて、はじめて本を読んだり、何かを書いたり、勉強したりできるようになる。

 まず勉強ができるような身体をつくらなければならない。

 

 

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砧公園の桜

2009年04月05日 22時00分59秒 | 日々の出来事・雑記

 はじめて砧公園の桜を見に行った。

 砧公園の桜は大きい。その大きさに特徴がある。

 あんなに大きな桜を見たのははじめてだった。結構すごい。

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アカギのニヒリズム

2009年04月04日 23時20分37秒 | 社会・政治・思想哲学

 どれだけ金を積み上げ、どれだけ栄華を極めようと、所詮おまえはこの浮世の王に過ぎない。死ぬのさ。

 そう例えば、天空に君臨する太陽、目を灼く大陽、傲慢、不遜、尊大、巨大な大陽、あれはまるでお前そのものだ。

 しかし、残念ながらその大陽も実はか細い、どこか深い森の、沼の、水面に浮かぶ気泡。はかない。 

 闇、無限、未曾有、無尽蔵の、あの闇にくらべれば、ちっぽけ、哀れな火の玉。

 闇はその火を覆いつくし、包み、包む、包み込み、いつしか針の穴ほどの光にし、そしてそれも、結局は消す。

 闇に帰す。

 光は弱い、知も弱い、力も弱い。

 それらは闇の未曾有、無限の海に浮かぶ笹舟。

 闇に翻弄され、操られ、とどのつまり、呑み込まれる笹舟。

 闇こそ暴君。

 人は闇の狭間で、つかの間、漂う、その笹舟の乗員。か弱い。

 

 説明不能に生まれ、時がたてば死んでいく。それだけ、解答などない。

 

 

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自由連想と抑圧

2009年04月02日 18時17分26秒 | 社会・政治・思想哲学

 人が言い間違いをすることについて意味を見出したのはフロイトである。

 そして、精神分析の方法のひとつに自由連想というものがある。

 どういうものかというと、何でもいいから文字通り自由に単語を連想し繋げていく。

 そうやって言葉を声に出していると、ちょっとどもったり言い出すのが遅れる単語がある。

 その単語は、本人の抑圧されているものと関係がある。

 人はその出来事を、無意識の奥に押し込んでしまい、思い出さないようにしている。

 だから、言葉に出すのが遅れる。

 そのようにして本人も気づかないくらい抑圧されたものを探っていく。

 きつい作業であるが、問題を解決するに必要でもある。

 

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