フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

大人と子供

2009年03月17日 00時42分02秒 | 日々の出来事・雑記

 深田恭子がテレビでずーっと年をとらず子供でいたいと言っていた。

 逆に今日ラジオで阿木燿子が若いときに早く大人になりたかったと言っていた。

 両者の違いは何なのだろうか?

 単純に昔は大人になった方が利益になり、今は子供でいた方が利益になるということかもしれない。

 

  

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シーシュポスの神話

2009年03月14日 11時32分17秒 | 社会・政治・思想哲学

 昔むかし、神話の世界のころシューシュポスという男がいました。

 彼は人間の中で、もっとも聡明でたくましい男だったんですが、その行動は神々の怒りを買うことばかりでした。

 神々は何度も許されるチャンスを彼に与えたのですが、シューシュポスはそのたびに、神たちを裏切り、とうとう地獄に落とされ、罰を受けます。

 シューシュポスが課せられた罰は、大きな岩を山の頂まで運んでいくことでした。

 ですが、その大きな岩は、山の頂の近くに来ると、岩自体の重みでふもとまで転がり落ちてしまいます。

 毎日毎日精一杯の力で、岩を押し上げ山を登っていくシューシュポス。

 しかし、やはりいつも山の頂近くに来ると、岩はその重み自体に耐えられなくなって、ふもとまで転がり落ちていく・・・・・・ 転がり落ちていく岩を見つめながら、シューシュポスはまたふもとに向かって、山を降りていきます。

 そんなことを繰り返しているうち、山を降りている時にシューシュポスの心に「悦び」の感情がわきあがります。

 この強烈にして、自分ではどうしようもない責め苦、そして何時果てるともわからないその真っ只中で、彼はまた明日、岩を持ち上げることに悦びを見出すのです。

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ロシアの怪物たち

2009年03月12日 17時33分57秒 | 社会・政治・思想哲学

  日本の政治家はみんな小粒だと思う。
 
 じゃあ、大物政治家は誰だと訊かれれば、私は迷わずロシアのプーチンと答える。
 政敵をつぶし、アメリカからの圧力に屈せず、エネルギーを盾にヨーロッパを恫喝する。
 なにより、国民に人気がある。
 あの冷たく燃えるような目は恐ろしい。
 「燃えるように冷たい」という言葉が似合う人間は、ロシアにしか生まれないような気がする。
 例えば、ロシア人の最強格闘家ヒョ-ドルも「燃えるように冷たい」目を持っている。

 ドストエフスキーの「死の家の記録」面白い。この本は隠れた傑作だと思っている。
 隠れてなんかないよ、というがいても驚かない(笑)。

 ドストエフスキーは思想犯として四年シベリア送りになった。
 この本は、そのときの経験に基づいて書かれたものだ。
 彼の人間に対する好奇心は凄まじいもので、囚人に対しても徹底した観察が行われている。

 そこにオルロフという囚人が出てくる。オルロフは死ぬ一歩手前までムチで打たれる。
 彼は意識を失うくらいムチを打たれたにもかかわらず、次の日には意識を回復して病院内を行き来する。
 
 ドストエフスキーは、
「彼の内部に秘められた精神力が、強く肉体を助けたことは明らかである。確かにこれは並の人間ではなかった。私は好奇心にそそられて彼と近づきになり、丸一週間彼という人間を観察した。私の生涯を通じて彼ほど強い鉄のような性格を持った男に一度も会ったことがない。」と記述している。

 
 また、トボリスクという男が出てくる。
 この男は完全な野獣で、人目見ただけで精神が鈍化し、快楽、淫欲、情欲の渇望しかない。
 顔の筋肉をひとつ動かさず人殺しをしたという。
 しかし、ドストエフスキーはトボリスクは刑を前にしたら恐怖におののくに違いないと考えていた。
 精神は子供以下だからだ。

 
 オルロフは強靭な精神が肉体を完全に押さえつけるタイプである。
 このような人間は自分をどこまでも抑制することができ、あらゆる苦しみや刑罰をものともせず、世の何者をも恐れていない。
 彼の中に見出されるのは、無限のエネルギーと行動の渇望と復讐の渇望と心に決めた目的達成の渇望だけである。

 プーチンもこのようなタイプだと思う。
 
 ロシアにはこのような怪物は生まれてくる。理由はわからないが。

 革命家レーニンもそうだったのかもしれない。

 そもそもドストエフスキー自体が怪物だ。

 

 

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都会と田舎

2009年03月12日 00時02分28秒 | 社会・政治・思想哲学

 田舎から都会に出てきた人間にとって多少気になる問題がある。

 地方の過疎化だ。

 そして、その最も進んだ形が、限界集落の問題である。
 
 地方に仕事がなくなると、若者が都会に出てくる。

 そうでなくても、若くてエネルギーのある人間は積極的に都会にでてくるだろう。

 しかし、現在、インターネットの普及により田舎にいても都会と変わりのない情報を受け取ることも出来る。

 また、情報の発信についても、ブログなどを通じて簡単に、出来るようになった。

 これらの点で、都会と田舎の差はなくなりつつある。

 ただ、地方の一番の問題はどうやって、そこでお金を稼ぐかである。

 農業をしたい人はやればいい。ただ、それだけにこだわる必要もない。

 例えば、芸術の分野(小説、漫画、アニメ、デザイン等)で稼いだっていい。

 その辺は、いろいろアイデアを出せばいい。

 都会の人間が田舎に引っ越してくることも考えられるが、田舎の人間がいろんなことをやろうとするなら、それが出来るだけの人材を育成する教育が重要になる。

 面白いことは、一程度の知性が必要である。 


 「国家の品格」の著者の藤原氏は、数学の天才は自然の美しいところで生まれると言っていた。

 数式の美的感性と関係があるらしい。

 そうだとすれば、教育は田舎でやるほうがいいのかもしれない。
 

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自分の内なる声を信じること

2009年03月09日 16時23分29秒 | 日々の出来事・雑記

 NHKの爆笑問題の番組で、ある教授がいいことを言っていた。

 「間違ったことはいずれ科学が間違っていると証明するし、みんながいくらバカにしようが正しいことはまた科学が証明する。だから私は科学をしている」と。

 なかなかいい言葉だ。

 天動説のように、社会の常識には反しているが、正しいこともある。

 そして、そのような主張する人は常に少数派だ。

 誰にも注目されず、命すら狙われることもある。

 

 ちょっと、科学とは関係ないが、映画の「おくりびと」は、最初、日本ではあまり注目されず興行成績も悪かったようだ。

 しかし、観た人からの評判は良かった。

 いいものは、いつか評価される。

 いいか悪いかの判断をもたぬ者は権威を拠り所にする。

 自分の内なる声を信じよう。

 他人と違うことを恐れずに。

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ベーシックインカム

2009年03月05日 16時50分13秒 | 社会・政治・思想哲学

 最近、ベーシックインカムの話をよく聞く。

 知らない人もいると思うから、少し説明すると、すべての国民に対して最低限の所得を保障することをいう。

 「すべての国民」というところがポイントである。

 つまり毎月10万円くらいの定額給付金をすべての国民がもらえるということである

 「働かざる者、喰うべからず」ではなく、働かなくても、喰えるのである。

 どこにそんな財源があるのか疑問であるが、もしそれが可能なら悪くない考え方のような気がしている。

 財源も問題であるが、エネルギー・資源をどうするかといったことも考えなくてはならない。なせなら、日本は輸出で稼がなければ、石油を輸入できず、国民にお金をばらまくことなんかできないからである。

  もし、ベーシックインカムが可能なら、どのような社会になるか見当がつかないが、ギスギスした感じのすくない、ぬるくて精神的余裕のある社会ができるだろう。
 
 暇人の多い社会は文化が豊かになる。

 

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