フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

ブロブの炎上について

2013年06月11日 09時01分38秒 | 社会・政治・思想哲学

 岩手県議が自身のブログで病院に対する批判をして炎上したようだ。その内容の一部を引用する。

「ここは刑務所か!。名前で呼べよ。なんだ241番とは!と受付嬢に食って掛かりました。会計をすっぽかして帰ったものの、まだ腹の虫が収まりません」
「本日は有難うございました。と、カウンターの外に出て、長椅子に座ってる患者の方に来るべきだろうが---。デパートでもどこでも、1万円以上のお買い物客に、精算書を取りにこっちへ来い。と顎でしゃくって呼び寄せますか?」
 
 私もブログをやっている。私は公的な立場にもないし有名ブロガーでもないので炎上したことはない。しかし、その可能性は常にある。だから、人ごとではなくここから何を学ぶべきか考えておいたほうがよさそうである。
 ある事件や出来事について批判することがある。その批判が的を得ていたら、炎上することはない。しかし、批判を超えてしまうと炎上してしまうことがある。では、この「批判を超えて」とはどういうことなのだろうか。
 それは、立場をひっくり返してみて、自分がそのことを言われて納得するかどうかで判断するというのが1つの方法だと思う。それで、こんな事を言われたら自分でもむかつくだろうなぁと思ったら、公共の場で発表するのはやめたほうがいい。
 今回の例でいえば、自分が病院事務をしていて番号で呼ぶように指示されていたとする。それで患者に突然このような態度に出られたらどう感じるだろうか。この県議のことだから、ムカッとくるに違いない。
 
 私たちは自分が激しく怒ったことだから他人も共感するに違いないと思いがちである。特に愚痴なんかはそうである。愚痴を聞かされる方は、別に共感しているわけではない。その人の溜まったことを気のすむだけ言わせ、それで精神を安定させようとしているのである。つまり、優しさ故である。
 ネット上では、皆が私の友人でもないし支持者でもない。だから、愚痴を聞いてくれない。
 ネットである出来事について批判をするつもりなら、本当に相手のことを思って、その相手を良くしてあげようという優しさで批判をするべきである。そうすれば、簡単には炎上しないのではないかと思っている。

コメント
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