旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

奥州道中紀行9 芦野宿~白坂宿~白河宿~女石追分

2017-12-17 | 日光道中・奥州道中紀行

08:40 「芦野宿」
 上野駅05:10発の始発に乗ると黒田原駅から芦野へ行く午前中唯一本のバスに乗れる。
本陣臼井家は隈研吾氏設計の「石の美術館」となって石と水と光の空間を創っている。

 

香ばしい匂いがしてくる。炭火で鰻を焼く匂いだ。すでに昼の仕込みをしている。
旅籠から300年の歴史を持つ「うなぎの丁子屋」は芦野宿のランドマークなのだ。

苔むした石段の先、切妻四脚門は曹洞宗建中寺の山門。芦野氏の菩提寺になる。

白河方入口に座するのは新町地蔵尊、享保2年(1717年)建立、開眼の導師は建中寺住職だ。
国家安全・領主の子々孫々の繁栄、お参りする人々の良縁を願って立てられたものとある。

 

Navi90. 遊行庵食堂(右折)→<国道294号>→九番町歯科クリニック 15.8km 200分

Navi90-2. 岩倉右大臣歌碑(斜め左)→<旧道 : 350m / 4分> 

09:05 「べこ石の碑」
 芦野宿の問屋を務めた戸村右内忠怒が嘉永10年(1848年)に建立した19段、約3500文字の碑文。
孝行の大切さと善行をすすめ、堕胎の戒めと生命の尊重など儒教的精神で人の道を優しく教えている。
碑は自然石に炎帝神農氏の姿か、石の形がか臥牛に似ているため「べこ」と呼ばれたらしい。

 

Navi90-3. 国道294号合流後160m(斜め左)→<旧道 : 230m /3 分> 

Navi90-4. 国道294号合流後160m(斜め右)→<旧道 : 2.5km / 30分>

国道294号線から板屋の集落へと旧道を入る。板屋は芦谷と白坂の間の宿になる。
草地一面に白い霜が降りて今朝の冷え込みを物語る。道祖神が1体斜面を滑って助けを請っていた。 

09:25 「板屋一里塚」
 板屋の一里塚は、日本橋から44番目となる。両塚が残っている。
坂の傾斜を緩和させるために道路を掘り込んだので、左右見上げる状態で全容はうかがえない。

間の宿・板屋を抜ける2.5kmほどの旧道は街道風情が残っている。

 

次から次へと馬頭観音や道祖神をはじめ石仏群が現れ、目を楽しませてくれる。

 

Navi90-5. 寄居集落センター(斜め左)→<旧道 : 650m / 9分>

 

旧道(県道185号)を左折すると湯殿山常夜燈を見つけた。信仰の誘いにも陸奥(みちのく)の匂いだ。
山桜が有名な與楽寺の参道には大きな地蔵尊が行き来する人を見守っている。 

10:15 「泉田一里塚」
 街道が国道294号に戻ったところに在るのが泉田の一里塚だ。西塚だけが保存されている。
江戸日本橋からは45番目になる。

 

Navi90-6. 平沢石材工業手前(斜め左)→<旧道 : 450m / 6分>

芦野から白坂までの国道294号線の道程は、何度となく長閑な旧道を歩くことができる。
寄居大久保集落に入ると、 地蔵尊や馬頭観音、二十三夜塔などの石仏群を目にする。

 

芝居「箱根権現躄仇討」で、滝口上野に父を殺された初花が使ったとされる清水が流れ出ている。
この「初花清水」に水を汲みに来た小父さんと暫し談笑、これからコーヒーを淹れるのだと云う。
瓢石(ふくべいし)も仇討話に関連している。
兄の敵滝口上野を追った飯沼勝五郎はこの地で躄(いざり)になって仇討を断念する。
その時、手慰みに彫ったのがこの瓢石である。 

 

Navi90-7. 国道294号合流後450m(斜め右)→<旧道 : 550m / 7分>

堂矢場集落へと旧道に入る。下野国最後の集落になる。
旧家の庭先に、「明治天皇山中御小休所」の石碑があったので家人に訊ねてみる。
明治14年、山形・秋田・北海道巡幸の際に、県境の峠を前に休息されたと云う。 

国道294号に戻ると崖上の地蔵尊と観音像に見守られて峠へと進む。 

「境の明神(玉津島神社) 」
 玉津島神社は奥羽側の住吉神社と並立している。
天喜元年(1053年)、紀州和歌浦の玉津島神社の分霊勧請とされ、峠神として街道とともに発展した。
明治39年、火災により類焼し昔日の面影を失ってしまっている

 

11:00 「下野陸奥国境」
 並立する二社の間が栃木県と福島県の県境の峠になる。ここからが陸奥(みちのく)となる。 

「境の明神(住吉神社) 」 
 文禄4年(1595年)、白河を支配していた蒲生氏が社殿を造営した。
現存するのは弘化元年(1844年)に建てられた祠だ。
並立する二社は、女神は内(国を守る)、男神は外(外敵を防ぐ)という信仰で祀られる。
実際、陸奥・下野ともに自らの側を「玉津島」、反対側を「住吉明神」としている。

 

11:20 「白坂宿」
 陸奥に入って最初の白坂宿には、本陣佐藤家をはじめ旧い遺構は残っていない。
秀吉が伊達正宗に命じて開いた集落は、本陣1、脇本陣1、旅籠27軒の宿場になった。 

宿並みのほぼ中央に在るのが観音寺、戊辰戦争で戦死した大垣藩士の墓がある。

 

12:00 「朝日屋食堂」
 白河はご当地ラーメンが有名だ。白坂宿を過ぎると人気の朝日屋食堂が在る。
開店の11:30を目標にしたのだが適わず、10名程の席待ちの後に並ぶことになる。 

今日の街道めしは白河ラーメン。太めの手打ちのモチモチ縮れ麺にあっさりスープが絡んで美味しい。

Navi90-8. 小丸山の貯水池先(斜め右)→<旧道 : 500m / 6分>

12:50 「戊辰の役古戦場」
 慶応4年(1868年)、薩摩・長州・大垣藩などの兵を会津藩家老西郷頼母が迎え撃った白河口をの戦い。
南側に「長州大垣藩戦死六人之墓」、北側に「会津藩戦死墓」と松平容保公題字の「銷魂碑」がある。
街道はこの地で直角に右に折れる。初代白河藩主丹羽長重が町毎に設けた防御の鉤型だ。

Navi91. 九番町歯科クリニック(左折)→<国道294号>→セブンイレブン白河天神店 1.1km 13分

谷津田川を渡ると間もなく白河宿の江戸方入口になる。
レトロモダンなボンネットバスを見かけた。白河市内を循環する「こみねっと」だそうだ。

Navi91. セブンイレブン白河天神店(右折)→<国道294号>→常陽銀行白河支店 0.9km 11分

天神神社前で三度直角に折れた街道は、鷹匠町で鉤型に折れる。車列も鉤型に行く。

 

Navi92. 常陽銀行白河支店(右折)→<国道294号>→五十嵐歯科医院 0.4km 5分

 

13:30 「白河宿」
 大手町でも鉤型に折れると宿並みの中心部になる。
幕府が管轄する奥州道中最後の白河宿。その規模は、本陣1、脇本陣2、旅籠35軒と大きい。
旧い遺構はないものの、情緒のある家並みが所々見られる。
本陣芳賀家所在地の向かい側は屋台会館になっている。

 

Navi93. 五十嵐歯科医院(左折)→<国道294号>→女石追分 1.7km 22分

本町で左直角に折れた街道は東北本線のガードを潜って北上する。左手には小峰城だ。
やがて阿武隈川に至る。ここが白河宿の北の外れになる。 

阿武隈川を渡って右手に現れる「姫神社」は、皆鶴姫を祀る古社だ。
皆鶴姫は、平治の乱で敗れた源義朝の遺臣、吉岡家三兄弟の長兄の鬼一法眼の息女だ。

14:00 「女石追分」
 会津街道と仙台街道の分岐点は戊辰戦争の激戦地で戦死供養塔が建てられている。
奥州道中は、ここ女石追分で江戸日本橋から195kmの旅を終える
追分を直進すると会津街道、緩やかに右へ往くと仙台街道。ここから先は各藩の管轄となる街道だ。 

 

 江戸日本橋を発ったのは正月3日。延べ7日をかけて紅葉前の10月、鉢石宿(日光東照宮に)至る。
宇都宮追分に戻って奥州道中は延べ4日で白河関を越えて陸奥(みちのく)に入った。

芦野宿から情緒たっぷりの街道風情を堪能、国境の境の明神を詣でて白坂宿へ。
戊辰戦争の激戦地白河を幾度も桝方、鉤型を曲がって白河宿、そして女石追分に至った。
最後の行程は21.4km、5時間30分。小峰城を見上げて奥州道中の旅を終える。 


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