旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

中山道紀行10 新町宿~倉賀野宿~高崎宿

2011-10-15 | 中山道紀行

「新町宿」 13:10
 行程第10日目からは上州路。出発点新町宿には旧い遺構はほとんど残っていない。
宿並の中心部には、教育委員会の「新町宿小林本陣跡」の杭だけが淋しく打たれている。

中山道は関越自動車道を潜るとしばらく烏川堤のサイクリングロードを歩く。
途中の河畔に伊勢神宮の小さな祠を見つけた。

「追分」 14:20
 柳瀬橋で烏川を渡し右岸を進み、高崎線をオーバーパスして工場地帯を抜け倉賀野へ。
倉賀野は中山道と日光例幣使街道の分岐点、追分には立派な道標と常夜灯が立っている。
「例幣使街道」ゆえ、上方から来て江戸方面と日光方面へ分岐する構造になっている。

「倉賀野宿」 14:40
 倉賀野は利根川水系烏川最上流の河岸を合わせた宿場であり、荷の集積で栄えた。
上州・信州の産物(煙草・屋根板・砥石など)が江戸に送られ、行徳から塩や干魚など
を積込んで戻って来たと云う。

旧道には本陣跡、脇本陣跡の碑が立ち、須賀脇本陣前には高札場を復元している。

「高崎宿」 15:50
 中山道は、R17、上越新幹線と現代の街道とクロスすると榎並木となり高崎市街に入る。
高崎は徳川の重臣井伊家の城下町であり、本陣や脇本陣は置かれなかった。
あら町諏訪神社は文化10年(1813年)頃のもの、高崎宿は何度か大火に遭っているからだ。
入母屋造りの屋根は千鳥破風をつけた瓦ぶき、軒下に鳥居を造りつけているのが珍しい。

旧道沿いに遺構もないので、高崎城址を今日のゴールとした。
高崎城と中山道の間は僅か200m、平時の城とはいえ防衛上大丈夫?と余計な心配をする。
新町宿から烏川を渡って倉賀野宿、高崎城下までは11.8km、約2時間30分ほどの行程。
今秋中に碓氷峠まで到達したいものだ。



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