旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

木曽川左岸をローカル線に揺られて 尾西線・津島線を完乗!

2019-10-06 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

 終点の玉ノ井に小休止している2両編成。なんでも尾西線は名鉄で最も古い路線らしい。 
かつては4キロ先の木曽川橋駅(戦時中に休止)まで延び、乗客は徒歩で笠松駅へ連絡した。
現在の名古屋本線が開通するまでは、岐阜と名古屋を結ぶ幹線だったそうだ。 

開明駅を出ると2両編成は高架に上がり、真直ぐな鉄路は一宮の市街地へと延びる。

尾西線は名鉄一宮で本線と接触する。
駅ビルは名鉄百貨店が入る立派なビルだけど、JR側と比べるとずいぶん地味な雰囲気だ。 

駅から歩くこと10分、JRの駅名そのままに、尾張國一之宮が鎮座している。
眞清田神社の祭神は天火明命(アメノホアカリ)、一宮は門前町として発展してきた。 

 1番線の北側は玉ノ井行き、南側には津島行きが停車している。
どちらの電車もほぼ同時刻に到着しては折返す。尾西線は一宮を越えて直通しないのだ。
なるほど乗り継ぎする乗客もほとんど居ない。大抵名古屋方面へ乗り換えている様だ。 

一宮~津島区間もきっかり30分毎、生真面目に2両編成がシャトルしている。
この本数なのに、途中の森上からはなんと複線、かなりのオーバースペックだ。 

 

 昼の営業終了直前に「松屋うどん店」の暖簾を潜る、地元では人気の店だ。
メニューは味噌煮込み一本、カウンターに座るや "天ぷら玉子味噌煮込み" を注文する。
大将の手際に見入りながらキリンラガーを呷ると、着丼を待つ時間も愉しい。 

土鍋がぐつぐつ音をたてて、最後に落とした玉子が次第に固まっていく。
天ぷらは、海老、ナス、かき揚がのる。汁を吸う前にサクサクと味わってしまおう。
暑い中、ハフハフとうどんを食べる。濃いめの味噌が美味いね。
ボク的には、汁をたっぷり吸った揚げが好きだな。「名古屋めし」堪能の津島の町。 

 さて津島~弥富間は津島線を名古屋方面から電車が直通してくる様だ。
結局のところ、尾西線は一宮と津島で3つにぶつ切りされているってことだね。 

この区間は長めの4両編成、車掌氏も乗車してテンポ良く走る。弥富までは10分の乗車だ。
紅い4両編成は、JR関西本線の弥富駅に間借りしたような3番線でその旅を終える。 

申し訳程度の駅前広場には迎えのマイカーが並ぶ、名古屋から僅か16キロの駅だけどね。
日本の大都市にあって、名古屋における自動車の交通分担率は40%を超える。
東京・大阪が15%を切ってるから、名古屋のマイカー依存は際立っている。おっと脱線。  

 津島に戻って、今度は津島線を須ヶ口へ向かう。
津島線は延長僅か12キロ、毎時4本走る電車の2本に1本は名古屋本線に直通している。 

ステンレス製の近代的な車両、紅いラインをひいた4両編成は15分で須ヶ口へ抜ける。
乗客のほとんどは、向かい側のホームに滑り込んだ名古屋方面への急行に乗り換える。
役割を終えた4両編成は、隣接する車両基地に回送され、暫し休憩ってとこだろうか。 

須ヶ口は清州市、っと思い立って五条川沿いに清洲古城跡公園まで歩く。もう汗だくだ。 
公園には武具を纏った信長公と、それを見つめる濃姫の像、桶狭間へ出陣ってとこか?
対岸には信長が天下統一への第一歩を踏み出した清洲城がその威容を誇っていた。 

名古屋鉄道・尾西線 玉ノ井~弥富 30.9km
名古屋鉄道・津島線 津島~須ヶ口 11.8km 完乗 

マイ レディ / 郷ひろみ 1979



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