姫路城は播磨の守護職赤松則村が元弘3年(1333年)ここに砦を築き、その子貞則が正平元年(1346年)城を構えたことに始まったそうです。その後、羽柴秀吉が天正9年(1580年)西国攻略の根拠地として3層の天守閣を完成させました。
その後、羽柴秀長・木下家定と続き、関ヶ原の戦いの後、徳川家康の娘婿池田輝政(52万石)が入封し、慶長6年(1601年)から8年の歳月を費やして南の外堀を現在のJR山陽本線付近とする程の大きな規模の城域に拡張し、姫山に5層7階の天守閣を築きました。
さて、姫路城天守閣までには幾つもの門を潜らねばなりません。それぞれの門には「いの門」「はの門」「ろの門」等等名前が付けられています。
春の日差しをあびてのんびりと登閣すのはいいもんです。桜もまた綺麗です。
二の丸界隈だったでしょうか急に狭くなる所がありました。馬では通れないと思います。やはり戦を意識されています。
紋瓦も展示?がありました。何故こんな所にあるのかは分かりません。一つ一つじっくり観てみたかったです。
姫路城の屋根の鬼瓦や軒丸瓦には、築城した城主や修理をした城主の家紋を彫った瓦が使われれているそうな。
本丸直前の折り廻り櫓(やぐら)付近です。
本丸跡地です。本丸は「明治時代に消失した」との案内板があったような気が・・・。とにかく今はちょっとした広場になっています。展望がよいので有志の方はアマチュア無線でもいかがでしょう。
次回はいよいよ天守閣の内部に迫ります。