思考の踏み込み

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寿司 後記4

2014-02-21 08:15:03 | グルメ
"真味" も同じである。

以上の如き作業の先に残るものこそが "真味" であろう。それはやはり京風の薄味に結局は向かうものである。

信長は大将としてはあまりにも最前線で働く男であった。
従って体力の消耗は激しい。

それは京風の薄味に向かえる状態ではない。彼が田舎者であったから、石斎の料理を美味しく感じなかったのではない。
信長は可憐な程の実務行動家だったというだけである。

従ってこの挿話における石斎の感想は正しくなく、頭から京風こそ至高と押し付ける石斎の傲慢さが匂う。

信長もまた敏感にそれに反応し過ぎた。普通の者なら、「京料理」という権威に屈し、その薄味を理解できなくてもわかったフリをするものだが、信長という革命児はその権威こそ怪物の様に世の進歩をはばんでいる正体だ!と感じてその手先の様な石斎など殺してしまえ!となった。

しかし石斎の作る京料理の真価はそんな中世的な怪物たちとは本来無縁である。

なぜなら本当に優れたものは時代を超えるからだ。

従って信長の石斎の料理に対する反応も過敏に過ぎるが、彼の使命感からは無理もないことといえよう。

この石斎と信長の挿話は本来こうした感受性の違いが生んだ話であってどちらかの味覚や食に対する考え方が正しいかとかいった事ではない。

しかし "味わう" ということの本質を突き詰めていくと石斎たちの系譜が作り上げて来た「和食」の世界に辿り着くことは間違いがない。

いかにして突き詰めるのか?

それは自己の "内側" を鎮め整えることである。
正しく "外界" と触れるにはその作業がなければならない。

生理面と直結しやすい "食" という行為は本来中々この作業に向かい難いものでもある。

例えば良寛の書と対峙するとき、心を下肚に鎮めて呼吸を深くして味わうのと、ただなんとなく見るのとでは良寛の真価に迫りうることのできる範囲はまるっきり違う様に、"食べて味わう" ということもまた同じである。

頭髪蓬々 耳卓朔
衲衣 半ば破れて雲烟の若し
日暮れて 城頭 帰来の道
児童 相擁す 西又東
越州沙門良寛書

寿司 後記3

2014-02-20 07:46:40 | グルメ
内的エネルギーがうまく鬱散できずに心理的に鬱屈しているときや、体力の発散ができずに持て余しているときなどは、身体は味の濃いモノを欲しがり、それを美味しいと "感じる" 。

また単純に肉体を多く疲労させる者は汗をかくから塩分の濃い味を求めることは当然である。寒い地方の料理の味付けの濃いことも同じような理由といえる。( 寒さに耐える事はそれだけで体力を消耗するからだ。)

従って体力や心理面の鬱散そのものを "食" で行う場合と、鬱散による欠乏感、消耗感を補おうとする場合とがあることがいえる。
それはどちらも "内的状態" としては偏りのある状態であって、心を静めて "真理" と接することのできる状態とはいえない。

強いストレスを感じたときに激しい音楽を聞きたくなることも、悲しいときに暗い表現の絵を見たくなることも偏りである。



"偏り" こそが人間の文化を豊かに彩っているのだが、かといって基準を設定しなければ人は右往左往するだけで一生を終えてしまう。

基準とは心の静まった状態の感受性のことであり、それは絵でいえば余分な表現を省き、無駄をなくし、簡素化されていく水墨のような世界であり、味で言うところの "真味" もまた同じようなものであろう。

( 水墨とはただの無味乾燥な世界ではけしてなく、むしろ色彩を使わないことで無限の鮮やかさを表現している様に、味覚にもまた相通ずる世界がある。)



何事も突き詰めていけば余分なモノはうるさくなってくるものだ。

老人は体力が衰えてくるから自然と同じ境地になり易いが、本来無駄を省いて省いて、極限まで踏み込んでいって先鋭化し、簡素化されていくことと、老いることで感受性が枯れていってモノクロな世界観に至る事とは似て非なるものであることに気づくべきである。

東洋文化はその意味でけして老人の文化ではない。
このことは多くにおいて誤解されていることだが、それはまた極度に洗練された世界でもあるからその過程に取り組んだことのない者には普通わかりにくいものであることも止むを得ない。

(日本の文化の "復権" を真剣に考えるには、現代の感覚に合うように、いかにしてこの老人趣味とは違うか、ということを明確にしていく作業が求められてくると思う。だがそれはここでの本題ではない ー )

寿司 後記2

2014-02-19 00:19:57 | グルメ
この話は京都人が田舎者を嘲笑い、京こそ至高というある種の中華思想に浸るときに好んで引用されたり、あるいは信長の徹底的な合理主義、目的主義のよく顕われたエピソードとして読まれたりする。

しかしいずれも一方向からの視点でしかない。
"食べる" ということは "内" と "外" との調和であるということを中々解る者はいない。

言ってしまえば、この世に "美味しいモノ" など存在しない。

正確に言えば、"そのとき、その者が美味しいと 「感じた」モノ " があるだけである。

満腹状態で何を食べても美味しくはないように、その者の身体状況で求める味など変わるものだ。


または "慣れ" ということがある。
慣れ親しんだ味とまったく次元が違うモノに突然ふれてもその本質を急には理解できないことがある。

紙タバコに慣れているものは、葉巻の上質な香りがはじめ中々理解出来ないことが多い。( もちろん肺に入れる入れないの違いはあるが )

ちなみにタバコにおける発ガン性物質はこの "紙" に染み込められた薬品にある。タバコの害がやかましく言われ出したのも紙タバコの普及からである。
タバコの歴史はもっとはるかに古い。



それはともかく、こうした味覚の戸惑いをよく「貧乏舌」などといって揶揄されるが、そうではなくて感受性の硬化であるとみるべきだろう。

では、「寿司 本編」でなぜ真味は淡白などと言い切ったのか?

それは京風の味という権威に媚びているわけでも、その味を知り、一部の京都人のように優越感に浸って言うわけでもない。

"内" 側の話である。

即ちそれは自らの身体状況のことである。そこには心理的状況も含む。


寿司 後記

2014-02-18 08:37:14 | グルメ
まだ握り寿司が生まれるより以前の話ー


織田信長というほとんどたった一人で中世を終わらせたといっても過言ではない強烈な革命児の軍団が、あるとき三好家の料理人で京料理の最高の名人とされている坪内石斎という男を捕らえることになる。



部下が暫くして、信長に石斎の処分をいかが致しましょう?と信長に尋ねた。

信長答えて曰く、料理を作らせてみよ。旨ければ殺さぬ ー 。

その日は一日、周りの者は石斎の為に緊張したという。料理の出来如何で命が掛かっているとはなんと烈しい時代であることか。
信長の周辺の文化圏には全てこの緊張感がある。

さて、料理を食べた信長の答えは?

「 ー 殺せ。」

ところが石斎、なにか思うところがあったか、今一度作らせて頂きたいと申し出る。
意外にも信長はそれを許す。

翌朝、再び石斎の料理を食べた信長は
「旨い。取り立ててつかわす。」と、一転。

不思議に思った周りの者たちは何が最初と違うのか、石斎に尋ねた。

「はじめのは京料理の上品な最高の料理。二度目は三流で味の濃い田舎料理。」

所詮は信長公も田舎者なのさー、とまで石斎が言ったかどうかわからぬが、そういう意味に周囲に伝わり、やがてその話は信長の耳にまで届く。

これを聞いた信長は意外に怒らなかったという。
むしろ「当たり前なことだ」と言った。

信長は京に上洛して以来、都人との付き合いの席でさんざん京料理を口にしていた。

そしてそこで出される京風の薄味とそれを最高として悦に浸る都人の得意顔が、彼が潰すべき中世そのもののように思われて敵意さえ感じていた。

そこへ持って来て最初の石斎の料理である。
「こやつも同じ輩か!」
「殺せ!」

となるわけである。

我が料理人なら我が舌の喜ぶ味を作るべきだ。通人ぶった押し付けがましい水っぽい料理などいらぬ。

「だが翌朝味を変えてみせた。あいつは使えるやつじゃ」

ー さて、この有名な話から何を読み取るべきか?
食べるということ、味わうということの本質は何なのか?

寿司8

2014-02-17 00:12:41 | グルメ
和食が優れているといえる決定的なものがある。

ー それは "時間" を使っていることである。
およそ人間のあらゆる技術の中で時間を巧く使ったものに優るものはない。
巧く ー とは "待つ" ことと "機" を掴むこと。

それは教育も医術も農業も芸術も、あるいは勝負事の世界においてさえ、同じである。拙速、インスタントは全てにおいて良い結果を生まない。

では和食の技術における "時間" とはなにか?

「発酵」である。

"神与の調味料" といわれる "塩" 以外のあらゆる調味料を日本人は発酵食品でまかなってきた。

醤油、味噌、味醂、酢、酒、、、。

これらが和食独特のうま味やコクや香りや甘みを創り出す。

そしてその発酵を実行しているものは何者か?

その正体は "米麹" 。

学名アスペルギルス・オリゼという黴の一種である。



何故かこのオリゼ、世界で日本にしか棲息していないのだという。

日本という文化圏の面白さはこのオリゼを代々数百年、守り続けてきた種麹屋が今もなおいるということである。

まるでおとぎ話のような話だが、彼らは日本人の味の総元締めの様な存在でそれは世界最古のバイオビジネスとさえいえる。

我々が米麹による食品を口にするとき、そこにはオリゼという千年近く続く "いのち" が宿っていることを思うと、より味わい深いではないか。

和食は彼らと、彼らが守ってきたオリゼという特殊なカビとそして "時間" という神の力 (そこには四季の豊かさという意味も内包する) が協力し合うことで初めて生まれる料理なのだ。

発酵食品は世界各地にあれど、その発酵との付き合い方という意味でも和食は独自性を有している。

こうしてみてくると「寿司」とはその本質は発酵食であった。
つまり "時間" に頼った食品であった。
その "時間" を人の "技術" によって極度に圧縮する。

拙速による安易な "短縮" ではなく、人の技による "圧縮" である。それは "待つこと" そして "機" を得ることではじめてなし得る技術である。

そこには強烈な密度がある。

これは三十一文字を十七文字に圧縮した芭蕉の偉業や、神速を以て瞬間を圧縮し空間を制す "居合い" を生んだ林崎甚助のそれと似てさえいる。





握り寿司とはまさに "時間の芸術" であるといっていいだろう。




願わくば! 我々庶民でも気軽に行けてそれでいて完成度の高い寿司屋が増えて欲しいものである。