思考の踏み込み

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祈り3

2014-02-28 13:33:17 | 
以上のように大衆を動かす方法論はかなり研究されている。

だが一人一人の心を洗脳やマインドコントロールではなく、真に動かすモノはいったいなんだろうか?

人の心を動かすモノ、それは性質上余分なもののない純粋なモノであるべきではないかと思う。

人間一人の存在などちっぽけなものだ。そのちっぽけな存在が、追い詰められ、なす術も無くなったときに祈り、願う。

宗教的な意味を抜きにしてこの行為に私は "美" を感じてしまう。



こうした行為は命そのものの行為である。
ちっぽけながら一つの命が全力で存在しようとしているその発露の作用である。


そしてそこには一切の虚飾がない。
見栄や外聞や打算といった余分なモノが混ざっていない。

それは本当の意味で極限まで追い詰められたことのない者にはわからないことかもしれない。

溺れる者が藁にもすがりつく気持ちは溺れたことのある者にしかわかるまい。
人の強さには差があるが、悩みに大小はない。

ある者にはたいしたことのない事でも、別の者には深刻な悩みであることなどいくらでもある。

それがその者にとっての "悩み" である以上、その大小は外からは判別など出来ないということだ。

そこでどこまでその者の気持ちに寄り添えるか。
こうした事をしていかねば人間同志の本当の意味での理解になどたどり着けない。

これを "同調" あるいは "感応" という。