思考の踏み込み

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寿司5

2014-02-14 00:15:37 | グルメ
寿司は芸術たりえるか ー ?

芸術とは世界 (自然) を人の手を僅かに加えることで永遠たらしめる行為のことであると思う。

この「僅かに」という所が重要である。
真の芸術は手を加えすぎてはいけない。
少なくとも芸術と対峙する者に手を加えた痕跡をできるだけ見せない方がより素晴らしい。

努力や汗の臭いが僅かにでも感じられる芸術作品は観ていて重苦しいだけである。

この意味で寿司はまぎれもなく芸術である。
だが、たかだか寿司を握っているだけと思うなかれ。

ネタの選定に始まり、下処理、捌くべき最高の瞬間の見極め (ネタによっては数日寝かせた方が美味しい) 、包丁の入れ方 (刃を入れる角度で魚の細胞壁の断面は変わる ー 当然味も変わる)。シャリの質と炊き方、温度、酢の配合のバランス、、、。

これら全てを "握り" という高度な技術でもって瞬間的にまとめ上げ、何食わぬ顔で客に出す。

客はその過程など微塵も感じないほどに鮮やかな手捌きで寿司は出てくる。
客は寿司職人の僅かに手を加えた部分しか見ることがない。
それは寿司の "カタチ" にも表れていて余分な飾りが一つもないという事も含む。

そしてその美味しさの感覚は瞬間として永遠になる。

これを芸術と呼ばずに何と呼ぼうか ー。





寿司に限らず、和食はこの点で極めて芸術的である。

即ち、素材を限界までそのままの状態で活かす。その形は簡素でこれ見よがしな盛り付けはしない。

素材の原型すらとどめないほどに手を加えることが多く、技術の粋を尽くすフレンチなどはこの点で比べるとどうしても意匠が強すぎるように感じてしまう。



しかしそれは文化の違いでしかないからどちらがどうというわけではない。
ただフレンチは (少なくとも近年の日本の華美に過ぎる店はー ) あたかもリストの超絶技巧曲のようで、とても我々日本人には毎日は聞けないというだけである。
(もちろん家庭料理は別である。)