" 天地人 (あめつちひと) モ分カザルニ
ウイ ノ一息 動ク時 東登リテ 西下リ
空 (うつほ) ニ巡リ 天地(あわ) ウビノ
巡レル中ノ 御柱ニ 裂ケテ陰陽 (めを)
ナル 陽 (を) ハ清ク 軽 (かろ) ク巡リテ
天 (あめ) ト成リ 陰 (め) ハ中濁リ
地 (くに) ト成ル
水埴 (みずはに) 分カレ陽 (を) ノ空 (うつほ)
風生ム風モ 火 (ほ) ヲ生ミテ
陽 (を) ハ三ツトナリ 陰 (め) ハ二ツ
ヲセの宗元 (むなもと) 日ト丸 (まろ) メ
イモノ源 月ト凝リ 空風火 (うつほかぜほ) ト水埴ノ 五ツ交ワリテ 人トナル ー "
「?」
また前触れもなく、"記憶" が何かを詠んだ。
いつもは極めて無口なこの存在が、今宵に限って何故これほどに饒舌なのか、誰もが不思議に思った。
しかしその発言はやはり何かの「記憶」でしかなく、彼自身の言葉は相も変わらず一切発しない。
「それは何の詩か?」
だから淵明がそう問うても記憶は答えなかった。
淵明の作でないことは確かなようだ。しかし、淵明は言った。
「古えの聖典たる "易経" の宇宙創成のくだりにソックリじゃな。いずかたの神話か存ぜぬが、真理が見事な律で響いておる。」
律とはリズムというほどの意味らしい。
ー "真理" とは?
知性が問う。
「この "世界" ー 彼らの棲む場所も含めてー その世界に於ける根本的な原理原則よ。
即ち、清は登り、濁は下る。
だがそれは価値に差があるものではない。あくまでも性質の違い、それだけじゃ。
"天" は九つ有る、と古人は言った。彼らはその上層で生じたモノ達であるらしい。
らしい、というのはわしもその辺りの事はよくわからんからじゃ。
いってみればそこはもう "神々" の世界だから。
"ー 天道は幽にして且つ遠く 鬼神 (=霊界) は茫昧然たり"
畢竟、其れは人間の霊程度では、なおもって容易には窺い知れぬ。まあ神々と言っても地上で考えられている様な、人臭い神なんかはもちろんおらんがのう。
そしてそこは "響き" を発する世界じゃよ。「響」とは「郷」の「音」と書く。驚くべきは漢字を造った古人の聡明な事よ。
もちろん「郷」とは彼らにとっての故郷じゃが、その記憶は我々も共有しておる。
我々はその頃の記憶から、代用品として歌を必要とし、楽器を造った。"ことば" もそこから生まれる。
古代のことばは全て "詩" だった。
今だに以って "詩" に韻律が必要とされるのは、我々が無意識の内に言葉本来の在り方に回帰し、その "力" を取り戻す為なのだろう。」
詩人としての本能が死してなお淵明には息づいているからか、単に酔いが廻ってきただけか。一気呵成に彼は話した。
ウイ ノ一息 動ク時 東登リテ 西下リ
空 (うつほ) ニ巡リ 天地(あわ) ウビノ
巡レル中ノ 御柱ニ 裂ケテ陰陽 (めを)
ナル 陽 (を) ハ清ク 軽 (かろ) ク巡リテ
天 (あめ) ト成リ 陰 (め) ハ中濁リ
地 (くに) ト成ル
水埴 (みずはに) 分カレ陽 (を) ノ空 (うつほ)
風生ム風モ 火 (ほ) ヲ生ミテ
陽 (を) ハ三ツトナリ 陰 (め) ハ二ツ
ヲセの宗元 (むなもと) 日ト丸 (まろ) メ
イモノ源 月ト凝リ 空風火 (うつほかぜほ) ト水埴ノ 五ツ交ワリテ 人トナル ー "
「?」
また前触れもなく、"記憶" が何かを詠んだ。
いつもは極めて無口なこの存在が、今宵に限って何故これほどに饒舌なのか、誰もが不思議に思った。
しかしその発言はやはり何かの「記憶」でしかなく、彼自身の言葉は相も変わらず一切発しない。
「それは何の詩か?」
だから淵明がそう問うても記憶は答えなかった。
淵明の作でないことは確かなようだ。しかし、淵明は言った。
「古えの聖典たる "易経" の宇宙創成のくだりにソックリじゃな。いずかたの神話か存ぜぬが、真理が見事な律で響いておる。」
律とはリズムというほどの意味らしい。
ー "真理" とは?
知性が問う。
「この "世界" ー 彼らの棲む場所も含めてー その世界に於ける根本的な原理原則よ。
即ち、清は登り、濁は下る。
だがそれは価値に差があるものではない。あくまでも性質の違い、それだけじゃ。
"天" は九つ有る、と古人は言った。彼らはその上層で生じたモノ達であるらしい。
らしい、というのはわしもその辺りの事はよくわからんからじゃ。
いってみればそこはもう "神々" の世界だから。
"ー 天道は幽にして且つ遠く 鬼神 (=霊界) は茫昧然たり"
畢竟、其れは人間の霊程度では、なおもって容易には窺い知れぬ。まあ神々と言っても地上で考えられている様な、人臭い神なんかはもちろんおらんがのう。
そしてそこは "響き" を発する世界じゃよ。「響」とは「郷」の「音」と書く。驚くべきは漢字を造った古人の聡明な事よ。
もちろん「郷」とは彼らにとっての故郷じゃが、その記憶は我々も共有しておる。
我々はその頃の記憶から、代用品として歌を必要とし、楽器を造った。"ことば" もそこから生まれる。
古代のことばは全て "詩" だった。
今だに以って "詩" に韻律が必要とされるのは、我々が無意識の内に言葉本来の在り方に回帰し、その "力" を取り戻す為なのだろう。」
詩人としての本能が死してなお淵明には息づいているからか、単に酔いが廻ってきただけか。一気呵成に彼は話した。