思考の踏み込み

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前田智徳37

2014-09-02 00:39:27 | 
前田智徳という、孤高の天才と呼ばれた男の ー その天才性の本質と彼が見ていたのはどんな世界なのかをいろいろに考察してみたが、結局推測でしかないから実際はまったく違うかもしれない。

しかしそれは別にどちらでもよい。

彼を主題に思考を踏み込ませていった結果、こういう内容になっただけで、前田智徳伝を書いているつもりはないからだ。

しかし、前田智徳が見ていた世界の捉え方について書いた内容は、それほど間違っていないのではないかと思っている。




なぜならもし、前田が単なる異常な負けず嫌いなだけの人間だったとして、それが彼のひたすらな努力の理由であるとするならば、前田が甘いボールを見逃して難しい投球ばかりを狙った事の説明がつかないからだ。

勝ち負けや記録だけにこだわるなら、結果で明示する為にも甘いボールほど見逃してはならない。

前田がもしそれをやっていたら、四割などは楽に打っていただろう。
この事に気づいている人は意外と少ないのではないか。

だから私は一番始めに前田と他の選手と、打率やOPSとか記録で比べることには興味がないと述べた。
(近年のセイバーメトリクスによる新しい分析と評価のシステムの構築は、野球の見方を変えるという点でとても面白いモノではあるが、前田智徳の様なタイプの選手はなおその枠には入りきらない。)


前田の生涯打率が三割を超えて歴代では何位で、もしケガがなければもっと打てていた、とかそんな仮の話もどうでもよいのである。

ケガをしていたって、前田が難しい球ばかり選んでなければ ー つまり、理想の打球など追求していなければ、打者としての全てのプロ野球記録は塗り替えられた可能性がある。



それ程の打者であったと言って過言でない。



…いや、だがそれも仮の話。

前田が理想の打球を追求していなければ、彼の打撃への熱意はそれほどでもなく、その技術の進歩もなかったかもしれない。

世の中とは、うまくできているというべきか、ままならぬというべきか ー 。

前田自身が語っている。

" 本当の天才なら三割八分とか、四割とか打ってますよ ー 。"


この言葉の裏側には、記録なんか狙えばいつでもオレは打てる、という確信に近い自信が潜んでいる様に思えなくもない。



だが、記録の為に理想を犠牲にする事は彼にはできなかった。
それは彼にとって堕落でしかないからだ。

その "気高さ" こそ、私が前田が好きな理由であるし、彼が "孤高" と評される所以でもあるだろう。