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名曲・名盤紹介(2) ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 ニ短調 作品47

2006年12月07日 | 名曲・名盤紹介
1.はじめに
 ショスタコーヴィチの交響曲ではもっとも有名な作品で、私がショスタコーヴィチにのめりこむきっかけとなったのは、やはりこの曲です。この曲をはじめて聴いたのは1995年頃ですが、第4楽章のあまりの凄さに驚き、以来ほぼ毎日聴いています。それ以前は、私はもともとヴァイオリンとピアノを習っていたので、クラシック音楽もそれなりに好きでしたが、よく聴く音楽といえばビートルズなど洋楽が中心でした(今でもよく聴きますが)。今回はショスタコーヴィチの名作、交響曲第5番を紹介してみたいと思います。
2.作曲の背景
 1924年の交響曲第1番の成功により一躍天才作曲家として名声をほしいままにしたショスタコーヴィチに転機が訪れたのは1936年のことでした。この年に発表した歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」とバレエ「明るい小川」がソ連共産党中央委員会機関紙「プラウダ」社説において「西側の堕落したモダニズムに毒された作品」「音楽の代わりの荒唐無稽」などと厳しく批判を受けたのでした。
 当時のソ連では、スターリンによる大粛清がまさに始まろうとしていた時期であり、この時期にこのような批判を受けることはまさに致命傷でした。事実、彼の友人や仲間には「人民の敵」とレッテルを貼られ、銃殺された者もいました。このような状況の中で、ショスタコーヴィチは、名誉回復のため当局の意向に沿った作品を発表する以外になく、危険を察知した彼はすでに完成していた交響曲第4番の発表を撤回しています。そして翌1937年、交響曲第5番を完成させ、同年11月にムラヴィンスキー指揮レニングラードフィルハーモニー管弦楽団の演奏で初演しました。この初演は大成功を収め、圧倒的な拍手と賞賛に迎えられ、彼は名誉を回復しました。
3.曲の構成
 この曲では悲痛な第1楽章から間奏曲的な第2・第3楽章を経て、壮大なクライマックスを築く第4楽章で終わるという、「暗」から「明」の流れをもつ伝統的な4楽章構成のスタイルとなっています。以下、各楽章について説明していきたいと思います。
・第1楽章 Moderato~Allegro non troppo ニ短調
 強烈な印象を残す緊迫した冒頭主題が印象的。その後ヴァイオリンに下降音型の第1主題、ついで歌謡的な第2主題が現れます。ピアノが不気味な和音を奏でる展開部から第1主題が大々的に展開され、打楽器を伴った第1主題の行進曲を経て冒頭主題の再現部に突入、圧倒的なクライマックスを迎えます。クライマックスがドラの一撃で静まると今度はホルンとフルートによる穏やかな第2主題の再現。しかし再び絶望的な曲調に戻り、チェレスタがかすかな希望を奏でつつ終了します。
・第2楽章 Allegretto イ短調
 いかにもショスタコーヴィチらしいスケルツォ。中間部のテーマはソロヴァイオリンによるユーモラスな旋律で、それがフルートや木管群に引き継がれます。
・第3楽章 Largo 嬰へ短調
 いかにもショスタコーヴィチらしい絶望的で非常に暗い曲。弦楽器による恐怖におびえるようなトレモロや木管楽器によるモノローグを経て大きなクライマックスを迎えます。
・第4楽章 Allegro non troppo ニ短調
 一転して激しい情感のほとばしりが感じられる楽章。まずティンパにに始まり圧倒的な金管楽器の主題によって始まり、曲は次第に加速してゆき一度輝かしいクライマックスを迎えますが、再びドラの一撃により停滞し、これまでの疑問にこたえているような内省的な音楽となります。次第に明るい曲調になってゆき、冒頭主題が静かに回帰。金管楽器が輝かしいニ長調のファンファーレを宣言、圧倒的なフィナーレを迎えます。
4.ヴォルコフ『ショスタコーヴィチの証言』と第4楽章
 ショスタコーヴィチを語る上で避けられないキーワードとして、前述の「プラウダ批判」のほかに『ショスタコーヴィチの証言』(以下、『証言』と略す)という書物が挙げられます。ソ連から亡命した音楽学者ソロモン・ヴォルコフが1979年にアメリカで発表した書物であり、これによりこれまでの西側のショスタコーヴィチに対するイメージは一変することになりました。これは、ヴォルコフが1970年代前半に晩年のショスタコーヴィチにインタビューした内容を綴ったものですが、『証言』の中ではソ連体制に反抗し、苦悩するショスタコーヴィチの姿が描かれており、それはこれまで西側から「ソ連の御用作曲家」と見られてきたショスタコーヴィチとはまるで違った姿でした。
 とりわけ注目されたのは交響曲第5番第4楽章に関する発言でした。これまで第4楽章のフィナーレは「勝利のフィナーレ」という解釈が一般的でしたが、『証言』の中で彼は、これは「勝利のフィナーレ」などではなく、「強制された歓喜」であると語っています。
 「あれは『ボリス・ゴドゥノフ』(引用者註。ムソルグスキー作曲の有名な歌劇)の場面と同様、強制された歓喜なのだ。それは鞭打たれ『さあ、喜べ、喜べ、それがお前たちの仕事だ』と命令されるのと同じだ。そして鞭打たれたものは立ち上がり、ふらつく足で行進をはじめ、『さあ、喜ぶぞ、喜ぶぞ、それがおれたちの仕事だ』という」 (『証言』332頁より)
 この『証言』によってはじめて、ショスタコーヴィチが名誉回復のために体制に迎合して作曲した音楽とみなされてきた交響曲第5番が、実は作曲家の意に反して書かれた音楽であると見られるようになりました。ただし、『証言』そのものについてはは、現在ではほとんどヴォルコフによる偽書であるという見方が確定的となっています。ただし、『証言』の解釈は現在でも交響曲第5番の解釈に一定の影響を及ぼしており、指揮者の考え方の違いによってフィナーレ部分のテンポの違いが如実に現れています。
 ただ、私個人の見解では、「強制された歓喜」という考え方もあながち嘘ではないと思います。しかし、この曲が書かれた1937年当時においては、やはり「勝利のフィナーレ」というつもりで作曲していたに違いない。なぜならば、当時のショスタコーヴィチは粛清の恐怖と闘っていたのだから。ただ、スターリン時代が終わり、少なくとも書いた曲の内容によって銃殺されるような時代ではなくなった1970年代になって当時を回想した場合、やはり単なる「体制迎合作曲家」ではないイメージを打ち出しておいたほうが良いと考えるのは至極当然のことではないでしょうか。こういったインタビューは、いつ、どのような状況で行なわれたのか、を考慮しなければ真贋を検証する意味はないと思います。
5.第4楽章の演奏の違いについて
 この曲のもうひとつの特徴として、第4楽章の演奏が指揮者によって大きく異なる点が2つあげられます。1つは第4楽章コーダのテンポ設定で、大きく分けて、遅いテンポで荘重な感じで終わる演奏(ムラヴィンスキー、ゲルギエフなどロシア系の指揮者に多い)と非常に速いテンポで終わる演奏(バーンスタインなど西側の指揮者に多い)という違いがあります。もう1つは第4楽章の283小節の音型が、初演者ムラヴィンスキーのものと、現在出版されているスコアのものとで異なることです。
 スコアによれば、第4楽章コーダのテンポは「四分音符=188」となっていますが、指定通り演奏すると、とてつもなく速い演奏になってしまいます。したがって、この箇所は現在ではおそらく誤植であろうという見方が有力となっています。ちなみに初演者ムラヴィンスキーのスコアでは「四分音符=88」となっているそうで、ショスタコーヴィチがそれに異議をはさまなかったことから考えても、ムラヴィンスキーの採用しているテンポが正しいと思われます。ただ、283小節の音型の違いに関してはまったく謎です。私でも違いがはっきりわかる位なので、作曲者が気づかないはずがないですが、作曲者がそれに異議を唱えたという話はありません。
 ともかく、指揮者の解釈の違いによって演奏の違いがこれほどはっきりわかる曲はほかにないと思います。また、最近は少ないですが、『証言』型演奏といって、フィナーレが沈滞した雰囲気となっているものもあり、本当にバラエティ豊かで興味深い曲だといえるでしょう。
6.名盤紹介
 聴いた順に並べています。五段階評価で、★が多いほどおすすめです。


サー・ゲオルグ・ショルティ&ウィーンフィルハーモニー管弦楽団盤(93年録音)★★★★
 初めて聴いた録音がこれ。最初はわからなかったのですが、何枚か同じ曲を聴くと、やはりウィーンフィルらしい演奏だとわかりますが、それがこの曲の演奏に向いているのかどうかは微妙です。第4楽章コーダはかなり速いですが、フィナーレは楽天的です。解説にショルティのインタビューが掲載されており非常に興味深いです。現在では入手困難かもしれませんが、結構おすすめです。


レナード・バーンスタイン&ニューヨークフィルハーモニック盤(79年ライブ録音)★★★★
 東京でのライブ録音。第4楽章コーダは非常に速く楽天的な感じ。随所にバーンスタインの個性が感じられます。政治的意図にとらわれず純音楽として楽しんでいる感じの演奏は好感が持てます。ムラヴィンスキーとは対照的な西側のショスタコーヴィチの代表的な録音といえるでしょう。このCDは容易に入手でき、ヨーヨー・マ独奏のチェロ協奏曲がカップリングされているので、ショスタコーヴィチ入門編としておすすめです。


ワレリー・ゲルギエフ&マリインスキー歌劇場管弦楽団盤(02年録音)★★★★
 近年躍進著しいゲルギエフ&マリインスキー歌劇場による待望の録音。第4楽章コーダは遅めで荘重な感じです。オーケストラもゲルギエフ得意の濃厚な仕上がりで、典型的なロシアのサウンドが楽しめます。入手も容易で、おすすめできると思います。


小林研一郎&名古屋フィルハーモニー交響楽団盤(99年ライブ録音)★★★★
 1999年に愛知県芸術劇場で行なわれた名フィル演奏会のライブ録音。コバケンならではの異様な熱気が感じられる一枚です。演奏は、さすがにウィーンフィルやロシアのオケと比べると金管などに技量の差が出てしまいますが、非常に真摯なもので好感が持てます。第4楽章コーダは比較的速め。フィナーレ後のブラヴォーや拍手の大きさが当日の熱気を伝えています。入手はわりと簡単だと思います。まずまずおすすめできる一枚といえるでしょう。

ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ&ナショナル交響楽団盤(82年録音)★★★
 ドイツグラモフォンの2枚組名曲シリーズ「パノラマ」に収録されていたもの。入手は容易です。作曲家とも親交の深かったチェリスト・指揮者のロストロポーヴィチによる演奏ですが、これはハズレでした。ロストロポーヴィチもソ連からアメリカに亡命した人ということもあって、悲劇的な『証言』型解釈の演奏といえると思います。ただし第4楽章コーダについてはロシア式の遅いテンポとなっています。しかし、テンポ変化が強引過ぎるきらいがあるように思えます。オケも技術的に粗い印象があり、あまりおすすめはしません。ただし、2枚組みでショスタコーヴィチのいろいろな曲が聴けるので、そういう点では良いと思います。


マリス・ヤンソンス&ウィーンフィルハーモニー管弦楽団盤(97年ライブ録音)★★★★
 ウィーンフィルの演奏ということもあって、ロシア的濃厚さとは無縁の官能的な響きがする仕上がりとなっています。ただ、この演奏がショスタコーヴィチにマッチするのかというと微妙なところです。ショスタコーヴィチというよりもマーラーを聴いているような錯覚を受けてしまいます。ヤンソンスはソ連出身ですが、第4楽章コーダはわりと速めな感じです。入手は比較的容易だと思います。同じヤンソンスでオスロフィルの同曲盤もあるので、いろいろなものを聴き方には比べてみたい方にはおすすめです。


飯守泰次郎&名古屋フィルハーモニー交響楽団盤(96年ライブ録音)★★★
 名フィル創立30年記念の東京公演でのライブ録音。コバケン指揮の99年録音盤ほどではないですが、時折指揮者のうなり声も聞こえ、ここでも熱い演奏を聴かせてくれています。技術的には99年盤のほうが進歩している印象で、名フィルのショスタコーヴィチを聴くなら99年盤のほうがいいと思います。第4楽章コーダは速めな感じです。入手は困難で、名フィルで通信販売で買う以外にないと思います。
 

レナード・スラットキン&セントルイス交響楽団盤(86年録音)★★★
 たまたまブックオフで見つけて入手したもの。現在では入手はかなり難しいと思います。聴いた感じ整然とした演奏で、技術的にも瑕疵はないのですが、ただそれだけで何も印象に残らない演奏でした。沈滞した雰囲気の演奏は、典型的な『証言』型解釈の演奏だといえると思います。とくに聴くほどのものではないように思いました。


エフゲニー・ムラヴィンスキー&レニングラードフィルハーモニー管弦楽団盤(73年ライブ録音)★★★★★
 いまや伝説となったレンフィルの1973年日本公演時のライブ録音です。ライブ録音ということもあって多少雑音が気になるところもありますが、アンサンブルも完璧で、この曲の模範的な演奏といえるのではないでしょうか。金管楽器の音も、これまでの8枚と比べてももっともクリアーな感じです。第4楽章コーダは非常にゆっくりとしたテンポで、荘重な感じで曲を終えます。このCDは予約しなければなかなか入手できないと思いますが、まずこの録音がすべての基本のように感じました。万難を排して手に入れたい一枚だと思います。


ユーリ・テミルカーノフ&サンクトペテルブルグフィルハーモニー交響楽団盤(95年録音)★★★★
 ソ連崩壊後、サンクトペテルブルグフィルと改称したかつてのレンフィルの演奏。テミルカーノフはムラヴィンスキー亡き後の常任指揮者です。このコンビのショスタコーヴィチはどうしてもムラヴィンスキーと比較されてしまうためか、いまいち評判が芳しく、実際にこのコンビの第7番「レニングラード」の録音はあまり大したことはなかった印象があるのですが、この第5番は素晴らしい出来で面目躍如といった感があります。解釈は伝統的な第5番の解釈と変わりなく、第4楽章コーダは非常にゆっくりとしたテンポとなっています(283小節の音型変更はなし)。アンサンブルも素晴らしく、弱点をいうならあまりにオーソドックスな解釈で面白みに欠けるといった程度で、まあそれは贅沢な要求というもんでしょう。おすすめできる一枚だと思います。カップリングは対照的に軽いキタエンコ指揮のジャズ組曲なので、ショスタコーヴィチの二つの側面が楽しめると思います。入手は予約すれば大丈夫だと思います。



※これ以外にもショスタコーヴィチ交響曲第5番のCDはたくさんあります。私はまだ10枚持っているだけですが、今後新しく別のCDを購入した場合、ここに書いている評価が変わることは当然考えられると思います。まだ聴いたことがない方で、ご購入を検討される方は、おそらく国内一いや世界一ショスタコーヴィチのCDを集めている工藤庸介さんのホームページに詳しい評価が載っているので、参考にしてみるとよいと思います。ただ、音楽の評価というのはあくまで主観的なものですので、私の評価が絶対というわけではありません。あくまで参考に留めておいてください。 

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