Across The Universe

当ブログはフィクションであり、登場する人物・出来事等はすべて架空のものです。

2007年07月30日 | ごあいさつ
 私は夏が嫌いなのですが、今日は涼しくて良かったですね。いつもこんな調子ならいいのですが、高温多湿な名古屋の夏は国内では最悪の部類に入るのではないかと思っています。私は1月生まれで、札幌に何年か暮らしていたこともあるので冬は大好きです。個人的には早く冬になってほしいですね(笑)。

期日前投票

2007年07月29日 | その他
 今日は選挙ですね。今日は休みですが、前回の休みの日に期日前投票を済ませておいたので今日は選挙には行きませんでした。期日前投票は駐車場の広い瀬戸市役所でやるのでクルマを持っている分にはそこで済ませたほうが楽なのです。いつもの投票所には駐車場がなく、家から1キロ程度離れているので、冬ならともかく今日みたいな35℃を超える猛暑の日には往復2キロを歩いていく気力がありません。昔より期日前投票(昔は不在者投票といってましたね)の審査が楽になったようなので、これからも真夏の選挙は期日前投票制度を大いに活用したいと思います。この期日前投票をする人の割合がだんだん増えているようですが、これはそれだけ政治に関心を持つ人が増えているわけでは決してなく、私のようなものぐさな理由で期日前に済ませる人が増えているだけのような気がします(笑)。ちなみに私は選挙ではいつも共産党に投票しています。

パノラマカー

2007年07月23日 | 鉄道関連
 久々に鉄道ネタをひとつ。今日は所用で岐阜まで出かけてきました。岐阜に出かける時はJRばかりなのですが、今回は名鉄で行ってみました。先日金山駅で12時20分前後の岐阜ゆき急行にパノラマカーが使用されていたのを見た覚えがあるので、久々にパノラマカーに乗ってみようと思い、大学にクルマを停めて名城線で堀田へ。少し歩いて名鉄の堀田駅で待っていたら12時18分発の急行がパノラマカーでした。7010Fでした。金山で最前列が空いたので岐阜まで前面展望を楽しむことができました。名鉄で岐阜まで出かけたのは2003年夏以来ですが、線形は豊橋方面と比べるとかなり悪いですね。これではスピードアップもままならず、JRに太刀打ちできないのも仕方がないかもしれません。岐阜駅手前の一箇所が単線なのもダイヤ編成上の大きなネックになっていると思います。ここなどかつて跨いでいたJRが高架になったのですからその際に複線に直しておくべきだったと思うのですが…。それにしても名鉄岐阜駅の駅舎が新しくなっていたのはまったく知りませんでした。



    




琴光喜

2007年07月22日 | その他
 愛知出身の関脇琴光喜が名古屋場所で13勝2敗の好成績を挙げ、場所後の大関昇進が確実となりました。愛知県出身で大関以上の力士は久々ですね。
 琴光喜といえば2001年に平幕優勝した際、14日目で優勝を決めた後、千秋楽で同じ愛知県出身の武雄山にボロ負けしたのにもかかわらず、その後のインタビューで「今場所の相撲を100点満点で表すと何点ですか?」と訊かれて「100点満点です!」とニッコリ笑っていたのを見て、私は「ああ、これは万年関脇で終わるタマだな」と思ったものです。ここ数年の琴光喜を見た限りこの予想は的中したと思っていたのですが、今回めでたく大関獲りに成功したのは大変喜ばしいことです。ただ、大関琴光喜の今後の課題はなんといっても朝青龍に勝つことです。いくらなんでも27連敗というのは情けないですからね。

極楽

2007年07月20日 | バス関連
 昨日から勤務が変わり、2日目は朝7時50分から19時までのうち、12時~15時に中休みがある勤務になっています(いわゆる「中継勤務」)。しかし、この3時間という中休みは非常に中途半端で、家に戻っている時間はないし、かといって休憩室などでボーッとして過ごすと長すぎるので、どうやって時間をつぶすのかが重要な課題となってきます(笑)。
 で、今回はうちの職場から出ている都市間高速バスで名東区の極楽まで行き、極楽から市バスで本郷に出て、本郷で昼食を食べて時間をつぶした後、東山線で名古屋まで戻りました。
 次回は6日後に中継勤務に入りますが、今度はどうやって時間をつぶそうか思案中です。

椎名町・要町界隈を歩く

2007年07月18日 | 素敵な街歩き
 このコーナーでは管理人が訪れたさまざまな街を紹介していきたいと思います。第1回目は管理人が一時期居住していた東京都豊島区の椎名町・要町界隈を紹介したいと思います。
 私は高校卒業後、池袋にある某私立大学に進学し、札幌の某国立大学に移るまでの3年強をこの界隈で過ごしました。先日東京目白の某研究所に立ち寄った際、ふと思い立って約7年ぶりにこの界隈を歩いてみました。
 某研究所から椎名町駅までは歩いて15分ほどでした。池袋周辺はこの7年間でかなり変化が激しいのですが、さすがに椎名町駅周辺はほとんど変わりがないですね。椎名町の商店街やスーパーはよく行きましたが、以前と変わらず活気がありました。
 椎名町駅から要町駅に向かって歩くと、都営12号線用試作車両が展示されている千早町ファミリー公園があります。ここも昔のままでした。しばらく歩くと当時住んでいたアパートの前へ。こちらも以前と同じでしたが、管理会社が変わったようです。そのまま要町駅へ。要町駅周辺も全然変わっていませんが、駅近くにあったファミレスとスーパーはつぶれてなくなってしまったようでした。
 その後は以前通っていた大学まで歩こうかと思いましたが雨足が強くなってきたので断念し、要町駅から有楽町線で池袋へ向かいました。久々に利用した要町駅で待っていたら、来た電車はやっぱり私の嫌いな7000系でした(何が嫌いかといえばドアの開き方がむかつくの一言に尽きる)。
 
  

読売日本交響楽団 第462回定期演奏会

2007年07月17日 | コンサート・レビュー
<曲目>
ストラヴィンスキー:サーカス・ポルカ
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番ハ短調 作品18(*)
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」
指揮:パオロ・カリニャーニ
ピアノ:辻井伸行(*)
会場:東京芸術劇場


 17・18日は連休だったので、研究者としての顔に戻り恒例の東京目白の某研究所での調査に行きましたが、たまたま17日夜に池袋の東京芸術劇場で読売日響の定期演奏会があり私の大好きなラフマニノフのピアノ協奏曲をやるというので、ついでに聴いてきました。
 ソリストは全盲のピアニスト・辻井伸行。しかし、今回の演奏会は期待はずれでした。指定された席は2階席のかなり後ろの方でソリストも指揮者も遠すぎてよく確認できませんでしたし、東京芸術劇場は音響が悪いようで(もう少し前の方なら良かったのかもしれないですが)、なんとなく迫力に欠ける気がしました。加えて、前回の名フィル定期ではオケがソリストに遠慮していて今ひとつ乗り切れていない印象でしたが、今回はまったく逆で、オケがソリストにまったく遠慮しなさすぎの感があり、非常に盛り上がる部分でオケがピアノの部分の音をかき消してしまいピアノの音が聴き取りづらくなってしまいました。もう少し抑制した音の響きが出せなかったものでしょうか。
 

長い長い3日間

2007年07月16日 | その他
 台風4号接近のおかげで15日出勤の泊まり勤務の人は14日夜は職場と同じ建物内にある某ホテルに宿泊ということになり、私も14日夜20時に仕事が終わってから宿泊し、15日から泊まり勤務で今日の昼終了ということになりました。実質上14日朝8時から今日の昼過ぎまで2泊3日、拘束時間52時間強というかなりハードな勤務で、さすがの私も疲れました。しかも台風の関係で、職場で運転している路線も一部運休が発生し、その関係で払い戻し手続きの人が多く来たので、3連休ともあいまってかなり忙しかったです。さらに終わりがけには新潟で地震が発生…。どうも私が勤務していると何かが起こる(台風による運休、東名阪・名阪国道での事故、地震など)確率が高いような気がします。そういえば万博八草駅にいた頃も、私が勤務の時に限って人身事故とか大雨とか不審物騒ぎで運休とかがよくありましたね(苦笑)。

A Day In The Life

2007年07月11日 | その他
 職場のシフトが16日から変更になります。今までは1日目が12時~20時、2日目が8時~19時、3日目が9時出勤の泊まりで4日目の10時48分終了、5日目・6日目は公休日という行路でしたが、16日以降は1日目が8時~18時54分、2日目が7時50分~19時、3日目が11時15分出勤の泊まりで4日目の12時59分終了、という風になります(実際には現在の行路は16日の朝で終了ということになるので、新しい行路の1日目は19日からになります)。新しい行路のほうが、前日の勤務を終えてから翌日の勤務が始まるまでの余裕時間が長いので良いですね。とくに泊まり勤務の日の場合、9時出勤と11時15分出勤ではだいぶ前日の睡眠時間が違うので行路が変わって楽になると思います。職場で見かけたら声をかけてくださいね。

Here Comes The Sun

2007年07月10日 | ごあいさつ
 題名はThe Beatlesのアルバム"Abbey Road"に収録されているGeorge Harrisonの曲で、私は彼の書いた曲の中では"Something"、"While My Guitar Gently Weeps"に次いで好きな曲です。個人的な話で恐縮ですが、以前書いた職場の人間関係も無事解決し、私生活の面でもいい雰囲気に向かいつつあり、久々に気分がいい状態が続いております。思えば去年の今頃は論文の構成が進まず、将来の見据えもまったくつかないというかなり精神的に暗い時期ではありました。しかし今では色々な点で明るい兆しが見えつつあり、まさに気分は"Here Comes the Sun"!といったところです。けれども思わぬしっぺ返しを食らわないためにも、常日頃から自らを戒めて生きてゆきたいと思っています。

グルダ・ノン・ストップ

2007年07月06日 | 名曲・名盤紹介
   

 グレン・グールドと並び20世紀随一の変人ピアニストとして知られたフリードリヒ・グルダ(1930~2000)のライブCDがあったので購入してみました。彼がどのくらいの変人であるかということを示すエピソードには事欠きませんが、代表的なエピソードとして2つ挙げると、①1981年頃ステージ上で全裸で演奏したことがある、②1999年3月ごろマスコミに自分が死去したという偽の情報を流し、マスコミが騒ぎ始めた数日後に生き返ったという設定で復活コンサートを開いた、などがあり、グールド以上の異端児といえるかもしれません(グールドがどれほど異端児であったかはまた後日)。
 さて、グルダといえばクラシックのピアニストという顔だけでなく、ジャズピアニストとしての顔もありました。このCDでは自作のジャズ曲も収録されており、それがクラシックの曲と見事に融合しているのが非常に面白いです。何となくモーツァルトやショパンもジャズっぽく聞こえてくるのが楽しいですね。

原爆投下正当「神話」のまやかし

2007年07月04日 | 管理人のひとりごと
         

 辞任した久間防衛相の「原爆投下はしょうがない」発言には大いに驚かされたが、米国のロバート・ジョゼフ核不拡散担当特使(前国務次官)は記者会見で、広島・長崎への原爆投下について、「さらに何百万人もの日本人が命を落としたであろう戦争を終わらせたという点に大半の歴史家は同意すると思う」と述べ、改めて正当性を強調したらしい。この見解は戦後一貫して米国が取ってきた立場であり、いまさら驚くに値しないが、そもそも原爆投下が最初から「戦争を終わらせるため」の「しょうがない」作戦であったのかというと大いに疑問である。
 原爆投下について、マッカーサーは次のような興味深い談話を、元帥退任後に日本の新聞に寄せている。
 「私は原子爆弾の投下について相談を受けなかった。もし受けていたらそれは不必要だ、日本はすでに降伏しているとの見解を表明したであろう」、と。この発言がマッカーサーの真意であるならば、原爆投下は「戦争を終わらせるため」の「しょうがない」作戦ではなかったということになる。
 現在では、現在のような米国政府の見解は米国の権力者が広めた「神話」であり、その内幕は、「敵はソ連」(グローブス将軍)と考えた米国の権力者がソ連に原爆の威力を誇示するため、原爆が完成し使えるようになるまで日本との戦争を終わらせまいとしていたということが明らかにされつつある。つまり、広島と長崎はソ連に核兵器の威力を誇示するための「実験台」にされたということである。
 ところで、米国は広島・長崎への原爆投下の後も、核兵器こそ使わないものの朝鮮戦争、ベトナム戦争での無差別殺戮、最近では湾岸戦争、アフガン空爆、イラク戦争と数年おきに戦争を繰り返している。第二次大戦後に限ってみれば米国が世界の国々の中でもっとも大量の民間人を殺傷している国であることは明らかである。このような国と「価値観を共有する」といってはばからない日本の政府であるが、少なくとも第二次大戦後は平和憲法を守り一人たりとも他国の人間の命を奪っていない日本と、数年おきに大量殺戮を繰り返す米国とでは、価値観の共有などできないし、価値観を共有させることなど絶対にしてはならないことは確かなのではなかろうか。