徳川慶勝(よしかつ)という人をご存知の方はそれほど多くないと思います。慶勝は幕末の尾張藩主(第14代・17代)であり、1824年に尾張徳川家の支藩である美濃国高須藩主松平義建(よしたつ)の二男として江戸で生まれています。最後の将軍徳川慶喜は彼のイトコに当たり、慶勝の弟には会津藩主松平容保(かたもり)や桑名藩主松平定敬(さだあき)、第15代尾張藩主徳川茂徳(もちなが、のち一橋徳川家11代茂栄)がおり、それぞれに優秀な人物であったので俗に「高須四兄弟」と呼ばれています。
しかしながら、幕末の動乱はこの四兄弟の運命を大きく変えることになります。すなわち、慶勝以外の弟3人は佐幕派として幕府に従う道を選んだのに対し、慶勝は御三家筆頭という立場でありながら朝廷方に味方する道を選びました。このため慶勝は血を分けた兄弟と戦うことを余儀なくされましたが、結果として明治維新へ大きな貢献をすることになりました。
明治維新以後、急速な近代化を推進するために政府は封建的身分制度の撤廃とあわせ、これまで士族(武士)に支給していた家禄の大幅な削減に乗り出しました。これは、急速な近代化を推進するためには四民平等の国民国家を実現する必要性があり、富国強兵政策の下では国民皆兵が求められたために、ある特定の身分に属するものだけが国防を担うというあり方が否定され、徴兵制の施行とともに士族への家禄支給の根拠が喪失したこと、全人口のわずか5%程度に過ぎなかった華族・士族に支給されていた家禄が国家予算の30%以上を占め、新政府にとって大きな負担となっていたことが挙げられます。
大幅な家禄削減によって下級士族の生活は困窮するようになりましたが、それに追い討ちをかけるように1876年新政府は従前の石高に応じて金禄公債証書を発行し、これ以降一切の家禄支給を行なわないことを決定しました(秩禄処分)。
秩禄処分により華族は莫大な金額の公債を与えられ、利子のみで生活できるほどになりましたが、下級士族は少額の公債しかもらえず、より一層困窮するようになりました。公債はインフレによって紙切れ同然となり、商業に転ずる者もいましたが、いわゆる「士族の商法」によって没落する者も続出しました。こうして、各地で不平士族による反乱が起き、士族問題が大きな社会問題となりました。
このため、当時の旧藩主たちは困窮士族問題を解決するためにさまざまな対策を行なっています。たとえば群馬県の富岡製糸場などはもともとは殖産興業だけでなく困窮士族対策という意味合いも強いものですし、北海道開拓も明治初期は士族授産という意味合いが強いものでした。
徳川慶勝も秩禄処分によって莫大な財産を得て、一躍日本第12位の富豪となりましたが、困窮士族対策には腐心していたようで、私がここ数年研究テーマとしている尾張徳川家による北海道八雲の開拓ももともとは困窮士族対策であり、徳川家が私財をなげうって行なったものです。徳川家が旧家臣団の北海道移住に対して支出した額は1878年から1884年までの間で約12万円の巨額になります。手放しで評価するわけではありませんが、かつての家臣団に対して多額を出費して何とか困窮状態から脱却させようとする慶勝の、旧藩主としての強い責任感がうかがえるのではないでしょうか。
こうしたさまざまな対策を行なった結果、士族授産問題は明治中期にはおおむね解決を見るに至ったわけですが、私は明治初期の士族の状況と現代日本の格差社会は似た状況にあるのではないかと考えています。しかし、人口の5%に過ぎなかった特権階級を撤廃するために行なわれた改革の途上での困難と、全雇用者の3割が非正規雇用(私もその1人です)であり生活保護世帯が100万世帯を突破した現代日本の格差社会問題とでは、その深刻さの度合いは全然違います。明治初期の改革は少なくともその目的は近代化達成のため封建的身分制度を撤廃することにありました(それが不徹底なものであったことは周知の通りですが)。ところが、現代日本の場合は、格差の固定化が進み新たな特権階級を出現させかねないような社会状況になっていると思います。
ところで、こうした状況の中で日本のトップたちは何をしているのでしょうか。明治初期の場合は、少なくとも旧藩主たちは困窮士族授産のためにさまざまな対策を施しましたが、莫大な利益を上げる企業のトップたちには、格差社会を是正して利益を労働者に還元しようとする考えはさらさらないようです。経団連前会長の奥田碩氏はこう発言しています。「差を付けられた方が凍死したり餓死したりはしていない。勝ち組・負け組と言いたがるのがそもそもの間違い」と。また、経団連の現会長である御手洗冨士夫氏は、自らは創業者の一人である叔父のコネでキャノンに入社しておきながら、経営側のさらなる儲け拡大と貧困層のさらなる増加を促すホワイトカラーエグゼンプションの導入・偽装請負の合法化・法人税減税・消費税増税を主張しています。
現代の日本では、戦後長らく続いた「一億総中流」の時代から、格差拡大が進行しつつある歴史の転換期に差し掛かっていると思います。こうした中で、このまま格差拡大を是認して格差社会を許すのか、それともこうした状況に歯止めをかけて、憲法第25条が定める「健康で文化的な最低限度の生活」を営むことができる状態にするよう是正していくのか、求められているのはわれわれ自身だと思います。