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Across The Universe

当ブログはフィクションであり、登場する人物・出来事等はすべて架空のものです。

乗り降りした駅の記録(JR東日本編 2)

2007年03月03日 | 鉄道関連

▲米坂線羽前椿駅にて撮影 

 昨日に引き続いてJR東日本管内で乗り降りした駅をリストアップしてみます。

JR東日本管内で乗り降りした駅(その2、2007年3月現在) 全262駅
<東北新幹線> 全8駅
(東京)、上野、大宮、福島、仙台、一ノ関、北上、盛岡、八戸
<上越新幹線> 全6駅
(大宮)、熊谷、高崎、越後湯沢、ガーラ湯沢、長岡、新潟
<東北本線> 全25駅
(東京)、神田、秋葉原、御徒町、(上野)、鶯谷、日暮里、西日暮里、田端、王子、赤羽、川口、蕨、浦和、北浦和、さいたま新都心、戸田、南与野、(大宮)、(郡山)、(福島)、長町、(仙台)、利府、塩釜、松島、(一ノ関)、平泉、(北上)、(盛岡)、(八戸)、三沢、野辺地、浅虫温泉、青森
<赤羽線> なし
(池袋)、(赤羽)
<川越線> 全1駅
(大宮)、川越、(高麗川)
<高崎線> 全1駅
(大宮)、宮原、(熊谷)、(高崎)
<上越線> 全2駅
(高崎)、(越後湯沢)、六日町、小出
<吾妻線> 全2駅
小野上温泉、大前
<両毛線> 全4駅
伊勢崎、桐生、足利、佐野
<日光線> 全2駅
今市、日光
<烏山線> 全1駅
烏山
<磐越西線> 全4駅
(郡山)、会津若松、塩川、喜多方、五泉、(新津)
<只見線> 全2駅
七日町、只見
<常磐線> 全13駅
(日暮里)、北千住、綾瀬、金町、松戸、馬橋、新松戸、柏、天王台、取手、佐貫、水戸、勝田、いわき
<水戸線> 全1駅
下館
<水郡線> 全1駅
(水戸)、常陸太田
<磐越東線> なし
(いわき)、(郡山)
<仙山線> なし
(仙台)
<仙石線> 全1駅
(仙台)、本塩釜
<石巻線> なし
素通り
<気仙沼線> なし
(気仙沼)
<大船渡線> 全2駅
気仙沼、盛
<陸羽東線> 全1駅
鳴子温泉、(新庄)
<北上線> なし
(北上)
<田沢湖線> 全1駅
(盛岡)、角館
<花輪線> なし
(大館)
<山田線> 全2駅
(盛岡)、茂市、宮古
<岩泉線> 全1駅
(茂市)、岩泉
<八戸線> 全1駅
(八戸)、久慈
<大湊線> 全2駅
(野辺地)、下北、大湊
<津軽線> 全3駅
(青森)、油川、蟹田、三厩
<羽越本線> 全6駅
(新津)、坂町、村上、鶴岡、酒田、象潟、羽後本荘、(秋田)
<米坂線> なし
(坂町)、(米沢)
<陸羽西線> なし
(新庄)
<奥羽本線> 全14駅
(福島)、米沢、かみのやま温泉、山形、北山形、新庄、大曲、秋田、土崎、追分、東能代、鷹ノ巣、大館、弘前、川部、(青森)
<男鹿線> 全1駅
(追分)、男鹿
<五能線> なし
(東能代)、(川部)

乗り降りした駅の記録(JR東日本編 1)

2007年03月02日 | 鉄道関連

▲169系快速新幹線リレー号(武蔵野線北朝霞駅にて98年秋頃撮影)

 乗り降りした駅の記録、今回はJR東日本編です。JR東日本は釜石線、奥羽本線(横手~大曲)、仙石線(あおば通~仙台、本塩釜~石巻)、石巻線(前谷地~女川)、左沢線がまだ未乗で残ってます。JR東日本は規模が大きすぎるので、東北地方は次回とし、今回は関東・甲信越地区の乗り降りした駅を書きます。


JR東日本管内で乗り降りした駅(その1、2007年1月現在)
<東海道本線> 全16駅
東京、有楽町、新橋、浜松町、品川、大井町、蒲田、川崎、新川崎、鶴見、横浜、大船、藤沢、辻堂、小田原、熱海
<伊東線> なし
(熱海)
<鶴見線> 全6駅
(鶴見)、弁天橋、浅野、浜川崎、大井町、海芝浦、大川
<根岸線> 全7駅
(横浜)、桜木町、関内、石川町、山手、根岸、磯子、新杉田、(大船)
<横須賀線> 全5駅
(大船)、北鎌倉、鎌倉、逗子、横須賀、久里浜
<南武線> 全3駅
(川崎)、(浜川崎)、八丁畷、鹿島田、武蔵溝ノ口、(立川)
<横浜線> 全3駅
長津田、町田、橋本、(八王子)
<相模線> なし
(橋本)
<山手線> 全12駅
(品川)、五反田、目黒、恵比寿、渋谷、原宿、(代々木)、(新宿)、新大久保、高田馬場、目白、池袋、大塚、巣鴨、駒込、(田端)
<総武本線> 全10駅
(東京)、(御茶ノ水)、(秋葉原)、両国、亀戸、本八幡、西船橋、船橋、千葉、都賀、佐倉、成東、銚子
<京葉線> 全5駅
(東京)、新木場、葛西臨海公園、舞浜、新浦安、千葉みなと
<成田線> 全5駅
(佐倉)、酒々井、成田、空港第2ビル、成田空港、佐原
<鹿島線> なし
素通り
<東金線> なし
(成東)
<外房線> 全6駅
(千葉)、鎌取、上総一ノ宮、太東、大原、鵜原、安房鴨川
<内房線> 全5駅
五井、木更津、君津、浜金谷、館山、(安房鴨川)
<久留里線> 全2駅
(木更津)、久留里、上総亀山
<中央本線> 全30駅
(東京)、(神田)、御茶ノ水、飯田橋、市ヶ谷、代々木、新宿、中野、荻窪、吉祥寺、武蔵境、国分寺、立川、八王子、高尾、鳥沢、猿橋、大月、甲府、竜王、塩崎、韮崎、日野春、小淵沢、信濃境、富士見、茅野、上諏訪、下諏訪、岡谷、辰野、塩尻
<武蔵野線> 全4駅
(西船橋)、(新松戸)、東川口、北朝霞、新座、新秋津
<青梅線> 全6駅
(立川)、拝島、羽村、青梅、沢井、御嶽、奥多摩
<五日市線> 全1駅
(拝島)、武蔵五日市
<八高線> 全5駅
(八王子)、(拝島)、東飯能、高麗川、越生、明覚、寄居
<篠ノ井線> 全3駅
(塩尻)、広丘、松本、姨捨、(篠ノ井)
<大糸線> 全3駅
(松本)、信濃大町、白馬、南小谷
<北陸新幹線> 全2駅
(高崎)、軽井沢、長野
<信越本線> 全8駅
(高崎)、横川、篠ノ井、(長野)、黒姫、二本木、新井、直江津、(長岡)、東三条、新津、(新潟)
<小海線> 全2駅
小諸、野辺山、(小淵沢)
<飯山線> 全3駅
戸狩野沢温泉、上境、十日町
<越後線> 全1駅
関屋、(新潟)
<弥彦線> 全1駅
(東三条)、(燕三条)、弥彦
<白新線> なし
(新潟)

乗り降りした駅の記録(JR東海編)

2007年02月28日 | 鉄道関連
             

 とくに書くネタがありません。私はいろいろな駅に立ち寄るのが好きなので、今日は今までに乗り降りした駅がどのくらいあるのか書いてみようと思います。まずは地元JR東海です。ちなみにJR東海管内は1999年3月に全線完乗しています。乗換えなどでホームに降り立っただけで改札から出ていない駅は除外しています。


JR東海管内で乗り降りした駅(2007年3月現在) 全115駅
<東海道新幹線> 全13駅
東京、小田原、熱海、三島、静岡、浜松、豊橋、三河安城、名古屋、岐阜羽島、米原、京都、新大阪
<東海道本線> 全28駅
(三島)、沼津、原、富士、興津、清水、(静岡)、金谷、掛川、(浜松)、新所原、二川、(豊橋)、蒲郡、岡崎、安城、(三河安城)、東刈谷、刈谷、大府、大高、笠寺、熱田、(金山)、尾頭橋、(名古屋)、枇杷島、尾張一宮、木曽川、岐阜、西岐阜、大垣、関ヶ原、柏原、美濃赤坂
<御殿場線> 全6駅
松田、足柄、御殿場、富士岡、岩波、裾野
<身延線> なし
(富士)
<飯田線> 全12駅
(豊橋)、下地、小坂井、豊川、本長篠、湯谷温泉、中部天竜、大嵐、小和田、中井侍、田本、金野、飯田
<武豊線> 全2駅
(大府)、半田、武豊
<中央本線> 全30駅
(名古屋)、金山、鶴舞、千種、大曽根、新守山、勝川、春日井、神領、高蔵寺、定光寺、古虎渓、多治見、土岐市、瑞浪、釜戸、武並、恵那、中津川、坂下、田立、南木曽、野尻、大桑、須原、上松、木曽福島、宮ノ越、藪原、奈良井、贄川
<太多線> 全1駅
(多治見)、可児、(美濃太田)
<高山本線> 全8駅
(岐阜)、鵜沼、美濃太田、白川口、下油井、飛騨金山、下呂、高山、飛騨古川
<関西本線> 全6駅
(名古屋)、八田、弥富、長島、桑名、四日市、亀山
<紀勢本線> 全6駅
(亀山)、津、六軒、松阪、多気、紀伊長島、熊野市
<名松線> 全1駅
(松阪)、伊勢奥津
<参宮線> 全2駅
(多気)、二見浦、鳥羽

(注)品川駅は東海道新幹線を利用して乗り降りしたことはありませんので、カウントしませんでした。

瀬戸市内の車両(9) 名鉄モ700形・モ750形(運用終了)

2006年12月01日 | 鉄道関連
 
<写真1> モ752 揖斐線美濃北方駅にて撮影 (1995年5月)


 モ700・750形というと私の世代だと揖斐線・谷汲線の印象が強いと思いますが、この車両も瀬戸電OBです。先日載せたク2320形の写真を撮った際にモ750形も撮影していたので、今日はモ750形について紹介いたします。
 モ700形は名鉄の前身である旧名古屋鉄道(→名岐鉄道)が1927年に製造したデセホ700形が、モ750形は1928~29年に製造されたデセホ750形がルーツで、モ700形が片運転台、モ750形が両運転台となっていますが、車両の造りや特徴は前年に製造された両形式ともほぼ同じです。1932年には高山本線との直通運転の開始に伴い、モ755・756がお座敷列車に改造され、SLに牽かれて運用に就いています。両形式とも本線系で活躍していましたが、本線が1500Vに昇圧されると1965年ごろまでにモ702~704とモ750形全車が瀬戸電に移籍しています。
 移籍した翌年には早くもモ752・753・756・757・760が揖斐線・谷汲線に転属しています。1973年にはモ702・703・759を除いて揖斐線・谷汲線に転属、残った3両は1978年の1500V昇圧まで活躍しました。
 揖斐線・谷汲線では、モ700形は同じ瀬戸電OBのク2320形とコンビを組んで使用されましたが、単行運転ができないため、1997年モ780形の投入に伴い廃車されました。しかし、モ750形は単行運転可能だったためにその後も使用され、2001年9月30日に揖斐線(黒野~本揖斐間)と谷汲線が廃止されるまでモ751・754・755の3両が使用されています。

 

<写真2> 瀬戸蔵ミュージアムに保存されているモ754


<写真3> 瀬戸電時代の姿に復元されたモ754の内装
 
 最後まで残った3両のモ750形のうち、モ754が2005年にオープンした「瀬戸蔵」ミュージアムに展示されるため里帰りしています。残念ながらスペースの関係で後ろ半分はカットされてしまいましたが、残った部分については、塗装も瀬戸電時代の緑色に直されるなど徹底的に瀬戸電時代の姿に復元されています。「瀬戸蔵」内部には2001年に惜しくも解体された旧尾張瀬戸駅舎も復元されており、古きよき時代の瀬戸電を偲ぶことができます。そのほかの展示もなかなか面白い博物館なのでぜひ一度足を伸ばしてみてはいかがでしょうか? 

瀬戸市内の車両(8) 名鉄ク2320形(運用終了)

2006年11月30日 | 鉄道関連
 ク2320形は瀬戸線が1500Vに昇圧される以前に走っていた車両です。昇圧は私が生まれる以前ですので、この電車が走っていた時代をリアルタイムでは知らないのですが、たまたま11年前に撮影した写真が出てきたので紹介することにしました。この車両は瀬戸線で運用を終了した後も全車廃車とはならずに一部の車両が揖斐線・谷汲線に転属しています。この写真は1995年5月に揖斐線の忠節駅で撮影したものです。この車両は1997年にモ780形が増備されたことにより全廃されました。
 この車両が誕生したのは1926年で、名鉄の前身である愛知電気鉄道(愛電)の特急・急行用として登場したそうです。当初はデハ3080形と名乗っていました。1935年に愛電は名古屋と岐阜を結んでいた名岐鉄道と合併し、名古屋鉄道が発足しました。この際に改番が行なわれモ3200形となりました。その後1964年に3730系に電装品を譲渡したため制御車となりク2320形に改番され、1965年に瀬戸線に転属しました。
 この車両は瀬戸線でも特急用として活躍し、一部の車両は白帯塗装に変更しミュージックホーンとパノラマカー風の逆さ富士形の行き先表示をつけて快走したそうです。しかし、1973年に2両が揖斐線・谷汲線に転属、1978年に1500V昇圧が行なわれたため完全に余剰となり多くの車両が廃車になりましたが、2両のみ揖斐線・谷汲線に転属して1997年まで活躍しました。写真のク2325は1973年に転属した車両のようです。