読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

「考える人」2008年冬号

2008-02-12 14:54:25 | 雑誌の感想
 季刊誌「考える人」2008年冬号は、河合隼雄氏の追悼特集であった。冒頭に作家小川洋子さんとの未発表対談が掲載されていてこれがなかなかおもしろかった。
 小川洋子さんのおじいさんは金光教の教師だったのだそうだ。
小川 金光教では、教師と信者さんの座る位置が独特なんです。祭壇があるとすると、祖父はそれに対して九十度の方向を向いて座る。で、祖父をはさんで信者さんが座る。こういう位置関係で、祖父は、こっちの耳で神様の声を聴いて、反対側の耳で信者さんの声を聴いて、両者を取り次ぐという役目なんです。

 金光教は、神様と人間の関係をつくっていく宗教なんです。そしてその関係はまだ確立されていない。なぜなら、神様のことを「親神様」という言い方をするのですが、要するに神は親なんです。氏子というのは子供で、親神様と氏子が親子の関係を作っていくことが信心するということ。神様は親として、氏子たちが悩み苦しんでいるのを見て、心を痛めている。金光教で一番救われていないのが神様なんですね。ですから信者たちは神様を救うために信心をするんです。

 この金光教の考え方で究極なのが、「死んでもままよ」ということなんです。死ぬっていうことも親神様の計らいだから、何も怖いことはない、どんなことも神様の計らいで自然にそうなっているんだから、任せておけばいいという、なんとも消極的な宗教なんですね。「こうしなくちゃいけない」とか「こうしないと救われない」とか「これをしてはいけない」とか、そういうことがない。教会のお参りも来たければ来ればいいし、来れなければ来なくていいっていうところもあります。

河合 神様の命令じゃなくて、神様を悲しませないように、というところが面白いね。さっきの続きで言うと、キリスト教は「原罪」の罪が基本であるけれど、日本の宗教は「悲しみ」が根本になるのが多いです。(中略)
 だから僕は、「原罪」に対して「原悲」があるという言い方をしています。日本のカルチャーは原罪じゃなくて原悲から出発してるから、と言っているんです。金光教はその最たるものやね。面白いね。


 私は金光教のことは知らないけれども、教師が説教したり経典の解釈で信者を導くというのではなくて神と信者との単なる仲介者という立場なのは興味深い。心理カウンセラーの仕事によく似ていると思った。カトリックの告解にも似ている。話したことによって事実がどうにかなるというものでもないし、相手がどうにかしてくれるというものでもない。なのに人は心の重荷を一人で背負うことに耐えきれないから話すのだと思う。そして、相談を受けた者も、自分がその重荷を受け取るわけではなく、丸ごと神様に渡すわけだから気が楽だ。河合隼雄さんは「カウンセラーの仕事は大変でしょう」と言われて、「僕はアースされてるから大丈夫」とおっしゃっている。このアースっていうのが「神に渡す」というところといっしょだ。宗教には人のこころを安定させて、生き続けさせる力があって、それは人間にとって必要不可欠の要素だったのだと思う。宗教を捨て、共同体も空洞化してしまった現代の私たちはその代替としてカウンセラーに悩みを打ち明けているのだが、まだまだ十分じゃないと思う。「こころの隙間」だらけだ。

 もうひとつこの対談でおもしろかったのが、河合さんがアメリカのプリンストン大学で学生たちに日本の映画を見せたときの話。

 ところが、見てもらった自主映画に、男女が絡み合うようなシーンがあった。女子学生がものすごく興奮して、「あんな淫らな映画を日本人は作るのか」って怒るんです。「ちょっと淫らかもしらんけど、芸術作品の中の許容」と答えると、「あんなのは許容範囲じゃない。日本人はこんなものをファミリーで観に行くのか」とかあんまり言うから、こっちもだんだん文句言いたくなって、「そう言うけど、プリンストンの外れの町へ行ったら、ものすごいポルノをやってるやないか」って言ってやったんです。そしたら、「私たちは絶対に観ない。あれは観てもいいと思ってるやつが勝手に観てるんだ」て言う。(中略)
 その次がもっとすごい。「われわれはああいうものを観ないという人生観の下に生きてきたんだから、東京であれ、パリであれ、観れば人格が崩壊する」て言うんです。すごい。
小川 ちゃんとした境界線があるわけですね。
河合 ビシーッとね。それで造られているわけですから、破れば人格が崩壊してしまう。この話をした後で僕はよう言うんだけど、日本の教育者で普段絶対ポルノなんか観ない人がパリでちょっと観たとしても人格は全然崩壊せんで生きとるわ(笑)。(中略)
 そういう無責任さ、あるいは曖昧さをよしとして、われわれ日本人は生きているけど、あちらの人からすると、やっぱりそれは許されないんです。だからアイヒマンにしたって、認めたら死ぬよりしかたない。

 映画でエロいシーンを観たら人格が崩壊するんじゃ、日本映画なんて全然観れなくなる。どういう映画を観ているのだろう。ディズニーか?男女の性愛とかドロドロの愛憎劇とかそういうものを抜きにして人間理解ができるのだろうか。人間ってそんなに単純で清廉潔白なものじゃない。だけど、きっぱりと割り切って進化論まで否定しちゃう人たちがいるんだからアメリカってすごいね。
 この雑誌には私の好きな人がたくさん寄稿している(なかには全然理解できない人もいるけど。茂木さんとか)。梨木果歩さんの引っ越しに関するエッセイをずっと読んできて、やっぱりものの考え方が共感できるところが多いと思っていたら、昔河合隼雄さんの大学の助手をしていたことがあったと、この号で書いておられた。そうだったのか・・・。河合隼雄さんの『昔話と日本人の心』に出てくる「片子」(鬼と人間の間の子で、人間の国に帰ってくるが、結局共同体の中で「誰からも相手にされず」自殺してしまう)は、梨木果歩「裏庭」のモチーフだ。河合さんの研究には、この「片子を殺してはいけない」という思いが根底にあって、梨木果歩さんはそれを受け継いでいたのかと今更ながら腑に落ちた。

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
読みたいです!! (『考える人』のファン(?))
2011-08-20 21:36:58
 よく「河合隼雄」という字を目にします。しかし、その字の方へ手を伸ばしたことはありませんでした。

 手を伸ばそうかな、と考えてた矢先にこの本が!! 河合隼雄氏の特集はもちろん、私の好きな内田樹さん、中沢新一さんなども筆を握ったということで是非読みたい!!

 しかしながら、この本はもうどこにもなく・・・。Amazonでも定価以上の値段で販売されていて、手が届かない。

 何とか読みたいものです。
返信する