読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

雑誌二冊

2008-02-28 16:54:20 | 雑誌の感想
 「本の旅人」3月号

 「本の旅人」という角川書店の小さな雑誌(100円)を定期購読している。これに大島弓子の漫画が連載されているからだ。
 「グーグーだって猫である」を愛読していたのだが、昨年春、たまたま書店で3巻が出ているのを見つけ、続きがあったことを初めて知って買った。どうも大島さんはますます寡作になってきたようで、「グーグー1」から7年もたっている。3巻を読んでびっくりしたのは2匹だったはずの猫がさらに増えて4匹になっていることだ。この間に何があったのか。その上子猫を5匹も拾って、貰い手探しに四苦八苦(楽しそうに)しているという話だ。猫まみれ!ぜひその間の話も読みたいと、2をあちこちの書店で探したのが去年の夏だったが、版元切れになっていてもうどこにもなかった。Amazonマーケットプレイスでは高値がついていて買う気になれない。せめてこの続きでもと、この漫画が連載されていた「本の旅人」を購読し始めたのだが、猫まみれ状態はさらにパワーアップしている。近所のノラ猫が家に入り浸っている話、不治の病のノラ猫を看取る話、「犬のしつけ」の話(犬もいたのか!)、猫は多すぎてもはやどれがどれだかわからない状態であった。そして、この3月号でまたノラが産んだ子ども4匹を引き取ったということになっている。大島さん・・・・
 笙野頼子の「愛別外猫雑記」(河出文庫)を思い起こさせる孤軍奮闘ぶりだと最初は同情していたが、最近「グーグー」の2巻をやっと入手したところ、これがまた猫のためにマンションを売って一戸建ての家を買う話(!)であった。笙野さんとまるでおんなじじゃないか。あの「綿の国星」のなんとなく浮世離れしていた人が立派な「猫おばさんに」なっちゃってるじゃありませんか!いや、たぶん今も浮世離れしていらっしゃるんでしょうし、私も人のことは言えません。言えませんが、あんな風にはなりたくない。いや、もうなっちゃってるかも。ああこわい・・・・。と、なかなか複雑な心情を喚起する漫画なのだ。

 「本の旅人」は「グーグー」しか本気で読んでいなかったのだけど昨日ふとめくってみると、あの「警官の血」の佐々木譲の連載小説が載ってるではないか。気がつかなかった。ちゃんと読み返さなきゃ。こんなに薄いのにクオリティーは高いようだと本気で読みはじめたところ、中島義道の今月の新刊「孤独な少年の部屋」によせて春日武彦が書いたエッセイ(「普通であること」への憧憬)に興味をそそられる。「この本はぜひ買わなくては」と思いながら、次に中島義道の新連載小説「ウィーン家族」を読んでガックリきて気が変わる。やっぱり中島さんが少年時代を振り返ったエッセイなんて読んだらエネルギーが枯渇しそうなので遠慮しておこう。「ウィーン家族」は夫婦の確執を描いたものだ。

 中村ウサギ・倉田真由美「うさたまの妖怪オンナ科図鑑」が抱腹絶倒。だけどいつも笑った後で「これ私も入ってる?」と考えこんでしまうのが悲しいところだ。倉田さんは妖怪化した女を物影から見て皮肉っぽく笑ってる感じがするが、中村さんは「あー、身につまされるー!」と同情しながら書いてる感じ。
 私は、私という人間の「規格外」な部分こそを彼氏に理解して欲しかったのだが、若い男というものは「規格外」を拒絶するのである。彼らは、自分の概念から逸脱した女が絶対にダメだ。いや、若い男に限らず、男ってもんはそもそも、そんなものなのかもしれない。(中略)たとえ女の個性に寛容な男でも、「理解はすれどチンコは勃たず」ってなスタンスが多かったりもするのだ。

そう、「規格外の女」を見る時の男の目は、まるで妖怪でも見ているような不安と恐怖に彩られている。女たちは割りかし「規格外の男」を面白がるが、男は面白がる余裕すらなく、暗闇で化け物に会った時のような「げぇっ」という反応をするのだ。

ほうほう、わかります。ところで、朝日新聞の「男と女」という気色の悪い連載はなんとかならないもんかと思う。やっと終わってくれたかと安心していたら延々とつづくのだ。目に入る度にどっと老けこむ。(うわ、かんべんしてくれ~)。「愛の流刑地」以来のダメージングな攻撃で、もう朝日をやめて毎日にしようかと思うほどだ。
 
 パウロ・コエーリョ「七つの美徳」は今月で最終回。テーマは「節制」冒頭に例の新約聖書からの引用があった。「あなたは冷たくもなければ熱くもない。どちらか一方であったらよかったのに!」
おお、またシンクロニシティか。(ちがう!)このフレーズはよほど有名であるらしい。上に「愛」などという言葉があるとなんとなく色っぽく感じてしまうなあ。

つづく


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