読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

雑誌「新潮45」 その3

2008-10-26 01:13:28 | 雑誌の感想
 ドストエフスキー

 現代の貧困で思い出した。
 ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟 2」(亀山郁夫訳)(100万部突破とかで先日も全面広告が出ていた)を読んでいたときのことだ。そういえば亀山氏はスネギリョフ大尉一家についてこう言っていた(2008年2月27日の日記)
私は、この一家の物語がドストエフスキーの神髄だと考えるようになりました。それはひとことで「狂っている」ということです。とりわけ、このスネギリョフの奥様の(狂い方)が異常で、これを描けるドストエフスキーはすごい。先ほど、わからないところは砕いて翻訳したと言いましたが、この奥様のセリフだけは最後までわからなかった。

だけど、スネギリョフ一家の出てくる場面を読んでも、私には狂ってるという気がしないのだ。スネギリョフが半ば自虐的に、自分の家族をアリョーシャに紹介する場面では「狂ってるのはこいつか!」と思ったけれども、狂ってたらあそこまで赤裸々にしゃべれない。奥さまの支離滅裂なセリフときたら、私の母や姑がいかにも言いそうな感じなんで、逆に実にしっくり理解できた。近所のあの人がああ言った、こう言ったという話の中には背筋が寒くなるような話もあったりして、そんなん普通。だから「ああ、みじめな生活が目に浮かぶようだ」とは思ったけども「狂っていて理解できない」という気はしなかった。だいたい、亀山氏はウラジーミル・ソローキン のおっそろしく支離滅裂(かつエロチックでスカトロ)な小説などを翻訳されているのに、なんでこの奥さまのセリフがわからないと言うのだろう。(ちょっと関係ないけど、ソローキン氏は東京外大で講義を受け持たれてたことがあるのね。)
 私がそこで考えたのは、「なんでこの一家はこんなに不幸なのか」ということだ。その原因の大元が家長である飲んだくれのスネギリョフの失業であることは間違いない。父親が失業してしまったら、即座に生活苦に陥って娘の医療費も、学費も払えなくなり、息子は学校でいじめられるのだ。失業保険も医療保険も奨学金も生活保護も児童扶養手当も障害者手当もない。セーフティーネットがひとつもないのだ。こんなダメ男であっても家長に頼らなくては生きていけない社会というのは間違っている。間違っているのだが、もちろんあの時代には社会福祉なんてものは存在しないし、存在しないものは想像することさえできない。「だれそれさんはうちに来て部屋が臭いから換気しなさいなんて言うの」(だって洗濯物を部屋に干してるんだもん)などと言って泣くことしかできない。自分たちがなぜ不幸なのか、わからないのだ。個々の問題は認識できても、そもそも自分が不幸であるということ自体が認識できない。
 だけどスネギリョフはせっかくアリョーシャから貰ったお金を投げ捨てる。いったんは狂喜して受け取りながらながら「ああ、これでミネラルウォーターが買える。食事療法ができる。娘と妻をを療養に行かせてやれる。長女の学費も払える。」と泣かんばかりに喜んでいたのに、急にはっと我に返ると、わが身のみじめさにかっとなるのだ。大バカ者だと私は思ったが、この時代には弱者の当然の権利として失業手当や生活保護を受け取ることができないのだ。お金持ちの人の善意に縋ってへこへこと卑屈に感謝しながら施しを受けることしかできないのだ。やっぱり間違っている。彼が自己嫌悪に陥り、自分と相手とお金とを憎悪するのもわかる。
 そして、帝政ロシア時代の貧困を解決するためには、やはり革命しかなかったのかなあと、ややこしくて悲惨な歴史を思い起こしながら考えた。だって、納税によって貴族や金持ちからお金を徴収し、それを福祉、教育、医療などの社会インフラ事業につぎ込むという今では当たり前のシステムを当時の支配層は到底理解してくれそうにはないから。血みどろの革命と追放、暗殺、粛清、大混乱を避けることはできなかったのか。社会が成熟して中間層が豊かになり、公平な分配を求める民衆の意向が政治に反映されるようにはならないのかと思ったが、そんな悠長なことを言っているうちにはこの一家はみんな餓死してしまっている。

 佐藤優 「外務省に告ぐ」

 で、カラマーゾフといえば「大審問官」。「大審問官」の神学的解釈を「PLAYBOY」誌で連載していた佐藤優氏の新連載が「新潮45」に載っていてこれがなかなかおもしろかった。町山智浩氏が対談で「童貞の人怖い」と言っていたが、「外務省に告ぐ  童貞外交官の罪と罰」は童貞の外交官がどう怖いかをすっぱ抜いている。おお、これぞ「新潮45」テイストだ。やっぱり外交官になるような人は「思い込んだら一直線」じゃなくて男女関係も外交も状況にあわせて柔軟に対応できるような人でなくちゃだめだよなあ。って、まあどうでもいいですけど。
 童貞が怖いかどうか、童貞の人と親しく付き合ったことがないんでわからないけど、佐藤優氏が怖いことは間違いない。この写真が怖い。どう見てもスパイかマフィアの掃除屋(もしくはヤクザの若頭)だ。抜群の記憶力と分析能力。それに独自の情報網を持っているらしいし、そういう人が外務省のスキャンダルをすっぱ抜いているのだから怖いはずだ。

 プーチンと大審問官

 亀山郁夫+佐藤 優「ロシア 闇と魂の国家」(文春新書)で佐藤氏がこう言っている。
エリツィン時代に国務長官をつとめたゲンナジー・ブルブリスという頭のいい男がいます。ブルブリスがこう言っていたんですね。
 「プーチンの大統領職に対する考え方は、三回変遷している。大統領になった瞬間、自分のような中堅官僚が突然、大統領になったのは、エリツィンのおかげだと思った。そこでエリツィンに足を向けて寝られないと思った。それから半年くらい経つと、ロシア国民に支持されるカリスマが自分にはあると感じるようになった。一年半くらい経つと私のような中堅官僚が大統領になったのは、神によって選ばれたからだと、神がかりになっていった。それからようやく大統領らしい顔になってきた」

2007年4月26日の大統領年次教書演説で、プーチンは大統領職を離れた後に「民族理念の探究」に従事すると述べました。(中略)ここで、民族理念を探求し、国家イデオロギーを構築し、プーチンは21世紀ロシア国家の司祭に就任することを意図しているように私には見えます。(中略)私には、プーチンの戦略がだいたい見えます。2020年までという、今後、12年間というい時限を設けて、その間にロシアを帝国主義大国に再編することが目標なのです。その前提として、帝国を支えるイデオロギーが必要になります。このイデオロギーは地政学に基づく、「ヨーロッパとアジアの双方に跨るロシアは独自の空間で、そこには独自の発展法則がある」という1920~30年代に亡命ロシア知識人の間で展開されたユーラシア主義に近いものになります。
 ロシアとかロシア人というのが自明の存在概念ではなく、これから「われわれ」、つまりロシアの指導部と一般国民が協同して作っていく生成概念であるという考え方です。
 実はこのような考え方は、1920年代のイタリアでベニト・ムッソリーニが展開した初期ファシズムにきわめて類似しているのです。プーチン=メドベージェフ二重王朝のロシアは、今回の大統領選挙の結果を受けて、ファッショ国家に変貌をとけようとしているのです。

 「神がかり」!「帝国主義」!「ファッショ」!19世紀に逆もどりかよ!
 それでやっとわかった。前NHKで放送した「ロシア “愛国者の村”」に出てきたファシズムっぽい宗教集団の意味が。どうも、ロシアは欧米諸国とは別の時間が流れているようだ。こんな国が原油や資源価格の高騰でお金持ちになったらしいのは怖いことだ。
 そして、次の章が「ロシアは大審問官を欲する」で、佐藤氏は、ロシアのような後発資本主義国において強権的な政治が行われるのは当然で、それは資本主義の過渡期的現象ではなく、このような後発資本主義国の政治の型なのだという。強権政治を行う「大審問官」、それはかつてはスターリンであったし、現在はプーチンであるが、ロシアの社会、そして人民が欲したために出現したのだというのだ。
 「カラマーゾフの兄弟」の大審問官は要約するとこのように言っている。
 「人間は生まれつき単純で恥知らずだ。人間にとって、人間社会にとって自由ほど耐えがたいものはない。どんなに時代が下って科学が進歩しようと人々が言うのは『パンをよこせ!』『食べさせろ』ということだ。人々は自由に耐えられないために自らそれをわれわれの足もとに差しだし、『わたしたちを食べさせてくれるのなら、いっそ奴隷にしてくれた方がいい』と言う。人間は自由を持て余すがゆえに、それを差し出し、ひざまずくべき相手を常に探している。普遍的にひざまずく相手を求めるためには殺し合いすら辞さない。だからわれわれは彼らを支配するのだ。もはやおまえ(キリスト)は必要ない。邪魔をするなら火炙りにしてやる。」
 彼は前日に100人もの異端者を火炙りにしたばかりだし、これからも火炙りを続けるだろう。愚かで臆病で奴隷のような者たちを幸福にし、パンを与えるために。

 プーチンは確信犯的にそのように考えているのか!
 
 で、亀山氏はドストエフスキーの「悪霊」の中に出てくる「シガリョフの理論」というものが非常に予言的であるとして文中から引用しているんだけど、こういうのだ。
 「彼(=シガリョフ)はですね、問題の最終的な解決策として、人類を二つの不均等な部分に分割することを提案しているのです。その十分の一が個人の自由と他の十分の九にたいする無制限の権利を獲得する。で、他の十分の九は人格を失って、いわば家畜の群れのようなものになり、絶対の服従のもとで何代かの退化を経たのち、原始的な天真爛漫さに到達すべきだというのですよ。これはいわば原始の楽園ですな。もっとも、働くことは働かなくちゃならんが。人類の十分の九から意思を奪って、何代もの改造の果てにそれを家畜の群れに作り変えるために著者が提案しておられる方法はきわめて注目すべきものであり、自然科学にのっとったきわめて論理的なものです」

 「彼はスパイ制度を提唱しているんですよ。つまり、社会の全成員がたがいを監視し、密告の義務を負うというわけ。一人ひとりが全体に帰属し、全体が一人ひとりに帰属する。奴隷であるという点で全員が平等なんです。極端な場合には中傷や殺人もあるが、何よりも大事なのは、平等。まず、手はじめに、教育、学術、才能の水準が引き下げられる・・・・つまり、飲酒、中傷、密告を盛んにし、前代未聞の淫蕩をひろめる。あらゆる天才は幼児のうちに抹殺する。いっさいを一つの分母で通分する―つまり、完全な平等でね」

 ドストエフスキー後の歴史を思い浮かべると、ただの空想と笑ってはいられないではないか。ソ連、東ドイツ、東欧諸国、その他の社会主義国の密告制度、そしてナチスドイツの「最終的解決」というやつ。

 この本を読んだ後でNHKスペシャル「言論を支配せよ~“プーチン帝国”とメディア~ 」を見て私はぞっとした。反プーチン的なメディアはでっち上げの罪で潰されてしまうし、政権批判をした記者は殺されてしまうのだ。私はぞくぞくしてきた。国民を食わせるためならば他国侵略も言論弾圧も辞さないプーチンが怖い。あのような独裁者に熱狂するロシアの民衆が怖い。ドストエフスキーが怖い。ついでにプーチンに対抗して日本の「国家イデオロギー」を再構築しようとしているように見える佐藤氏が怖い。「大衆家畜化計画」に密かに頷きかねない日本の右翼エリートが怖い。ナチスのガス室(最終的解決)をねつ造と言いながら心の中で「あれは正しかった」と思っていそうな歴史修正主義者が怖い。チベットを侵略した中国も怖い。

 ということを夏中考えていた。そして、日本の先行きにも非常に不安を感じて、あることを思ったのだけども何を思ったのかは秘密だ。

 「ロシア 闇と魂の国家」の中で大審問官に対するキリストのキス(=祝福)の意味がよくわからないと亀山氏が言うと佐藤氏が
 人間の力でこの世の悪を是正しようとしてもだめで、善への変容はこの世の外部、つまり神の側からしか来ない。すなわち、救いは悪の存在の否認からではなく、「祝福」という現実を現実として認める行為、現実の悪をも是認することからはじまるということです。

と言っている。これ、内田先生の「呪いの時代」とおんなじじゃないか?
と、今気がついたのだった。ドストエフスキーおそるべし。

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