読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

ドストエフスキー「白痴」

2008-02-13 01:37:47 | テレビ番組
 と言っても、私は「白痴」を読んでいない。

 昨日、HNK「知るを楽しむ」亀山郁夫 「悲劇のロシア」第二回「入口も出口もない物語~ドストエフスキー『白痴』」を見ていて思い出したのだけど、私は昔、たぶん大学生の頃「白痴」を図書館で借りたけれども読み終えていない。どうも、途中でなんだかブレーカーがパシャッと落ちるように脳が理解を停止してしまって、文字を読んでいても理解しない状態になったようだ。ナスターシャが死んだことは覚えている。なんでブレーカーが落ちたんだろうかと思いながら聞いていてわかった。危険過ぎるからだ。

 もうひとつ思い出した。前回取り上げられた「罪と罰」で、本筋とは関係なく唐突に出てきて妹ドーニャを口説き、拒絶されたために失望してピストル自殺した中年男(アルカージイ・イワーノヴィチ・スヴィドリガイロフ)が、ドーニャを手篭めにしようと部屋に鍵をかけるシーンだ。ドーニャには、一応婚約者がいる。男は、何が何でもドーニャを手に入れたい。ドーニャは激怒している。目をらんらんと輝かせ、睨みつけ、「手を触れたら死にます」と言ったはずだ。激怒した顔も美しい。二人は二匹の獣のように向かい合い、見つめ合っている。そして、男は悟るのだ。決してこの娘を手に入れることはできないということを。だから彼女を帰した後で自殺した。(大昔の記憶なので違ってるかもしれない)

 「言語道断だ!」と、高校生の私は思った。なんでこんな危険なおっさんが出てくるのかわからないとも思った。今はかなりわかる。ああ、なんてかわいそうなおっさんだろう。それから売春婦ソーニャの父親。家族のために苦界に身を沈めた娘に飲み代をせびる情けない父親。彼が言う。「あの子の目がおそろしい。何も言わないが、あの澄んだ青い目に見つめられると・・・」そりゃー、おそろしかっただろうよ。

 今の私はどちらかというと、人生が思うにまかせず絶望してしょぼくれている人の方に共感できるのだ。

 だから、ナスターシャがムイシキンを選ばず、やけくそのようにロゴージンと出て行った気持ちもだいぶわかる。昔はわからなかったのだ。わかるはずがない。10万ルーブルを暖炉に投げ込むような気持は。10万ルーブルを差し出すのも燃やすのも狂気の部類だ。3人とも正常じゃない。これは常識的な恋愛の話ではない。狂気に近いような究極の愛の話なのだ。だからブレーカーが落ちたのだと思う。

 物語の構図を読み解く一つのカギとして、亀山氏は「模倣の欲望」ということをおっしゃった。ルネ・ジラールの「欲望の三角形」だ。ロゴージンはムイシキンの欲望を模倣してナスターシャを欲したのだというのだ。ムイシキンはほとんど信仰に近いほどの愛でナスターシャを欲していていた。その愛が強ければ強いほど、ロゴージンもナスターシャを欲望し、強引に奪い取ろうとする。ドストエフスキーの作品にはこのように愛する女性を奪われるといったストーリーが多いという。

 表象的に理解すればムイシキンは「神がかり(聖痴愚)」で病弱、キリスト的な風貌の人物であるし、ロゴージンは肉体派で粗野でマッチョ、と対照的だ。肉体派と純情派と、女がどちらを選ぶかという下世話な物語とも見える。しかし、それほど単純ではない。この二人はいずれも性的に不能であったのではないかと推測できる節があるという。ムイシキンは病弱のため「まったく女というものを知らない」というし、ロゴージンは、ロシア正教で異端であった「去勢派」の一家の出らしい。このセクトでは性的快楽をまったく否定するために、性器を切除するのだという。(!)さらにナスターシャにも過去の不運な経歴があり、この3人はみな「傷」を負っているという点で共通しているのだ。おそろしいことだ。ロゴージンのように強烈な欲望を持った人間が、不能であるにもかかわらず女性を完全に所有しようとした場合、考えられるのは、① 恋敵であるムイシキンを殺す。② 決して逃げないようにナスターシャを殺す。という二通りしか考えられない。しかし、ロゴージンはムイシキンと十字架を交換し、兄弟の契りを結んでしまったために①という選択肢はありえない。よって②のナスターシャを殺すという結末しかなかったのだという。

 自分が死ぬという選択肢はないんかい!と思ったが、それをやったのが「罪と罰」のアルカージイなんとかというおっさんだったのだ。きっと、それじゃあまりにもかわいそ過ぎたのでドストエフスキーは別な選択肢を選んでみたのに違いない。そもそも、自分が死んで、思い人と恋敵が幸せになることなんて絶対に許せなかったのだ、ロゴージンは。野蛮人だから。

 「緋文字」のナサナエル・ホーソーンに、「痣」という短編がある。妻の頬に天使の手形のような小さな痣があるのを苦にした男が、強力な美白薬を発明して見事に痣を消すことに成功する。しかし、妻は死んでしまう。男は、痣が消えさえすれば妻の美貌は完璧になると思ったのだが、そうではなくて、完璧な美はこの世に存在することを許されないから痣を持つことによってかろうじて存在していたのだった。という話だ。「白痴」の解釈を聞いていて、私はこの「完璧な美」という話を思い出した。きっと「完璧な愛」というものも地上には存在しえないもので、それは神のものではないかと思う。だから、あまりにも強すぎる愛は人を殺してしまうのだ。

 私はめまいがした。風邪をひいて気分も悪かったのだけど、話を聞いていてぞっと寒気がしてきた。私は複雑すぎる愛の話には拒絶反応があるのだった。たぶん、もう一度「白痴」にチャレンジしても、またブレーカーが落ちるに違いないと思う。

最新の画像もっと見る