読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

犬の散歩 3

2008-02-16 15:21:26 | 日記
 神社の上の広場には、古い古い祠がある。その傍に大きな石があるのだが、これが何だかよくわからない。人為的に置かれたものには間違いなかろうが、それは四角い粘土をげんこつで殴りつけたように真ん中がへこんでいて、いつも水が溜っている。もしやお清めの手水鉢なのかとも思うが、それにしては水が汚すぎる。現代彫刻の作品という可能性もありうるなあとしげしげ眺めるが、それならば作品名や作者名がどこかに書いてあるだろう。説明らしきものは一切ないのでこれが何だかわからない。しかしそんなことに頭を悩まさない犬はこれが大のお気に入りだ。いつも覗きこんでは水をぺちゃぺちゃ飲むのを日課にしていた。

 溜っているのは雨水なのでだんだん汚れてくる。色は紅茶色からコーヒー色に変わり、底に沈んだ落ち葉が腐ってヘドロ臭もしてくる。いかに言っても健康に悪かろうと私は犬にこの水を飲むのを禁じ、水筒(アルカリイオン水入り)を持参するようになったが、犬はもちろん言うことをきかない。隙を狙ってこそっと飲む。アルカリイオン水をたらふく飲ませてやっているのに・・・。どれだけ叱っても吸い寄せられるように石に向かって行くので、ある日、いったい何が犬を誘引するのかと調べてみることにした。木の枝を拾ってきて、それで手水鉢の中をかき回してみると、はなはだしい腐臭がして枝にすずめの羽根が引っかかってきた。ぎょっとしてさらにかき回すと骨のついた翼が出てきた。暑い盛りのことでウジも湧いている。汲み取りトイレによくいるやつだ。こんなところにいるなんて・・・・。こんな水を飲んでいたのか、と私は鳥肌が立つ思いで木の枝を投げ捨てた。限界だ・・・・。

 私は下に降りて神社脇の公衆トイレからバケツとデッキブラシを拝借し、水も汲んで来て、ヘドロの入れ物になっている手水鉢をごしごし洗った。何度も水を替えて洗い、ブラシでこすって中の水が完全になくなるまで撥ね飛ばした。これでいい。完全に乾いてしまえば、当分犬の悪食で悩まされることはないだろうと満足して家に帰った。しかし、甘かった・・・・。その晩、久しぶりに大雨が降り、次の夕方行ってみると手水鉢にはまた満々と水が溜って溢れそうになっていた。犬は大喜びでぺちゃぺちゃ飲む。よいのか?

 やっぱりこれはよくないと思い、またデッキブラシを拝借して水をかき出し、カラにして帰った。そしてそれから3日後、また雨が降り、水満々。3度目に掃除した直後にまたポツポツと降ってきたときにはさすがに気味が悪くなった。これはどういうことか、と帰る道々考えていてふと思いついたのは「センサー」という言葉だ。そーか!これは神様のお天気センサーで、この手水鉢の水がカラだってことは相当長く日照りが続いているってことなので、「じゃあ、そろそろ雨降らそうか。どっこいしょ」なんて雨を降らせるための指標になっているのだ!わはははは・・・

 んーなわけないだろが!
 私はフレイザーの「金枝篇」を思い出した。確か、偶然の一致が度重なってジンクスとか迷信とかができ上がっていく過程を考察していたはずだ。「手水鉢の水を捨てる→雨→水を捨てる→雨→水を捨てる→雨・・・」なるほど、たった三回だが私は恐れを感じて「この岩は神様の大切な道具だから、さわってはいかんのだ」と思いこむところだった。結局、土俗的な風習とか信仰っていうものはもともとこういうふうにしてでき上がっていったものなのかもしれないな。などと偉そうにわかった気になったが、もう手水鉢にはさわらないことにした。いや、別にバチが当たるとかそういうことを思ったわけじゃない。ち、違いますって・・・・。
 ついでに祠に手を合わせて「家内安全、交通安全、宝くじの大当たり」をお願いしてきた。まー、初詣に行かんかったしね。

 そうしたら、その晩夢に変なおじいさんが出てきた。
「そんなにいろいろ言われても、わしはできんぞ」
「はっ?えーっと、どちら様でしたっけ?」
「わしはこの神社の神さんじゃ」
「えっ!おじいさんって神さんなんですか?」
 私は夢の中でふと思い出した。あの祠のある反対側の山の端っこには大昔の豪族が葬られた跡があって、つまりこの山は全体が古墳であったということを。
「あのー、おじいさんはあの古墳の主ですか?」
「そうじゃ」
「じゃ、ゆ、幽霊?」
「いや、幽霊ではない」
おじいさんはにこりともしない。愛想のかけらもない水気の少なそうな顔は、私の死んだ祖父にそっくりだ。着物はもとは青かったらしいがすっかり色あせて灰色になっているし、黒い変な冠をかぶっていて、履物も草履ではなく黒いぽっくりみたいな履物だ。カビと薬のような臭いもするので私はできるだけ息を吸い込まないように気をつけながら聞いてみた。
「えーっと、宝くじで一億円というのは無理としても、交通事故に遭わないようにというお願いはどうですか?」
「それもできん」
「政治的なことは?」
「できん」
「だって、あそこに平和祈願って石碑が立ってるじゃないですか」
「わしは、このあたり一帯のことしか知らん」
「じゃあ、何ができるんですか?」
「雨を降らせることじゃ」
「雨?」
冗談など考えたこともないようなくそ真面目な顔だ。
 そーかー、昔は雨が降る降らないは農作物の出来に関わる重大事で、ほとんど死活問題だったんだー。でも、今はそんなのほとんどどうでもいいことだ。
「しかも、このあたり一帯にだけ?」
おじいさんは頷いた。
「だめじゃん」
おじいさんは表情を変えなかったが、喉の奥で笑っているようだ。声までカラカラで不気味に響いたので私はちょっと怖くなって後ずさりしながら
「わかりました。ありがとうございました」
と言いながら坂を駆け下りて帰った。

という夢を見てしまったとさ。

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