読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

雑誌「新潮45」 その2

2008-10-25 01:08:27 | 雑誌の感想
 「呪いの時代」内田樹つづき。
 ロストジェネレーション論によると、社会の最底辺に格付けされている人間に社会の諸矛盾は集約的に表現されており、その人たちはそれゆえにこの社会の矛盾の構造を熟知しており、この社会をどう改革すべきかの道筋も洞察しているということになります。「おまえたちに、私の苦しさがわかってたまるか」という言葉は、社会の成り立ちに対する知的優位性の請求をも意味しているのです。彼らが現に苦しんでいることは十分理解できます。けれど、それと「彼らはこの社会の成り立ちを熟知しており、それゆえ彼らの政策提言が優位的に聴かれるべきである」という命題は論理的には繋がらないと思っています。あるゲームでつねに勝つ人間とつねに負ける人間がいた場合に、そのゲームが「アンフェアなルール」で行われていると推論することは間違っていません。けれども、負け続けている人間は勝ち続けている人間よりもゲームのルールを熟知していると推論することは間違っています。通常、ゲームのルールを熟知している人間はそうでない人間よりもゲームに勝つ可能性が高いからです。

 このあたりがよくわからないんだけども、「社会の最底辺に格付けされている人間に社会の諸矛盾は集約的に表現されており、」ここはいい。「その人たちはそれゆえにこの社会の矛盾の構造を熟知しており、この社会をどう改革すべきかの道筋も洞察しているということになります。」ここのところ、そんなことを誰が言っているのか。社会の最底辺に格付けされている人たちがそんなことを言っているというのか?そうじゃない。私が読んだ新聞記事で雨宮処凜さんや他の人たちが書いていたのはまるで逆のことだ。1986年に労働者派遣法が施行され、さらに1990年、産業界の強い要請による改正で、製造業など派遣業種の拡大が起こり、正社員の採用人数が激減した。その結果、それまでならば正社員として採用されたはずの若者が就職活動で何十社も断られ、派遣で入った会社には簡単に首を切られ、職を転々とするうちに貧困状態に陥り、日々の食費にも事欠く中で不安と自己嫌悪に駆られてリストカットを繰り返したり自殺をしたりという悲惨な状況が多いのだという。彼らは「法律が悪い。政治が悪い」と声高に主張しているか。いや逆だ。「自分に能力がなかったからこうなってしまった」と思って自分を責めている。グローバル化の中で製品の値下げ競争に否応なしに巻き込まれてしまった企業が、コスト削減のために人件費に手をつけ、そのしわ寄せがみんな若年層に集中しているのだ。それを言っているのは「社会の最底辺」の人たちじゃなくって朝日新聞だろうが。

 6月に、男女共同参画センター主催の「ワーク・ライフ・バランス」についての講演会および若者の雇用に関するパネルディスカッションを聴きに行って来たのだが、討論者たちの話は「ワーク・ライフ・バランス」などという優雅なものではなく身も蓋もない切実なものだった。福祉関係の仕事をしていた男性は「この仕事は好きでやりがいもあったのだが、給料が低く、それも年々削られていく。子供が生まれて、このままでは生活ができないと悩んで最近転職をした」と言うし、高校の非常勤講師は、生活していけないから仕事の掛け持ちをしているという。学校現場では非常勤の割合が増え、生徒指導の仕事が一部の教師に集中して先生たちがとても疲れているとか、大学に求人にくる企業の中には、あきらかに自己啓発の手法を悪用しているように見えるところもあって、非常にきついノルマを課し、それが達成できなければボロクソに批判して夜中の2時、3時まで帰さないようなところもあるとか、「2年以内に9割の新入社員が辞めてゆき、残ったのは『鋼のような体と空っぽな脳みそ』を持つロボットのような社員」だとか、運悪くそういう会社に入ってしまって心がボロボロになって一時期引きこもりになった人だとか・・・、まあそんなような話がいろいろ出てきた。
で、つづき
  
 階層化にそのつどの景況が関与しているのはもちろん事実です。不況のときは好況のときより新卒者の雇用条件が悪いのは当たり前ですから。けれども、自分たちが社会の下層に釘付けにされているのはもっぱら卒業年次のせいであるという「洞察」を誇らしげに掲げ続けた場合、彼らが今後社会的上昇を遂げる可能性はほとんどゼロであるでしょう。卒業年次ゆえに下層に釘づけになっているのだと主張する限り、彼らが階層を上昇することは「原理的にありえない」ことになります。もし、彼らの中に階層を上昇するものがいたとしたら、それは「卒業年次が階層化の基本要因である」という説明に背馳するからです(個人的な才能や努力や偶然がプロモーションにつよく関与するというのは誰でも知っていることですが、ロストジェネレーション論はその「常識」を否定するところから出発しています)。だから、彼らが自分たちの明察をあくまで主張しようとする限り、彼らは絶対に階層を上昇してはならない。

 内田先生のこのような論法は「ためらいの倫理学」でもおなじみのものだ。マルクス主義とかフェミニズムとか反戦平和運動とか、何かを否定することが目的の運動は、その「何か」が存在することを前提としており、それゆえに永遠にその存在を許し続ける、(もしくは逆に希求している)みたいな論法だ。(違ってっかな?)まあ、「テロとの戦い」が逆にテロリストを無限に増殖させているような逆説的現状もあるし、一見単純でクリアに見える理論の前提を疑ってみるというのは大事なことだと思うのだけども、でも、私は「ロストジェネレーション」という言葉ができたのはそれなりに意義があったことだと思う。だって、それまでは「フリーター」=拘束を嫌って好きで非正規雇用についてる人という固定観念しかなかったし、「フリーターはけしからん」というような自己責任論ばかりだったし、「自己実現」とか「心のダイアモンド」とか言って若者を安い給料で1日12時間くらい働かせてるような会社の社長がメディアで持ち上げられたりしてたんだから。
だから、彼らが自分たちの明察をあくまで主張しようとする限り、彼らは絶対に階層を上昇してはならない。もちろん、彼らのような有能で力のある青年たちを卒業年次で差別するような社会システムはその不公正の「報い」を受けなければならない。それはあらゆるシステムが手がつけられないほど機能不全になり、人々が互いに憎みあい、嫉妬し合い。傷つけあうような社会が現出することで証明されます。ロストジェネレーション論者はその正しさをあくまで主張しようとする限り、彼ら自身を社会下層に進んで釘付けにし、彼ら以外のすべての人々もまた彼らと同じように(あるいは彼ら以上に)不幸になることを願うことを強要されます。個人の発意とはかかわりなく、論理の経済がそれを要求するのです。私はこれを「呪い」と言わずに何と呼ぶべきか他の言葉を知りません。

ああ、赤木くんね。「自分が不幸なのは社会のせいだ。おまえらみんな不幸のどん底に落ちてしまえ」というのね。あの言い方には猛烈に腹が立つけども、でも、実は私もときどき密かにそういう気持ちになることがあるから他人のことは責められないなあと最近思うようになった。そもそも、そういう非論理的、破壊的な情念は、「間違ってるよ」なんて諄々と諭したってダメなんじゃないかと思う。政治家や官僚は、精神論で説得したり「こころの教育」なんていうんじゃなくて、自殺やテロ的犯罪を防止するために必要な社会的救済の手だてを考えるべきだ。それから私も秋葉原の事件が起きたときに一番に思い出したのが「丸山真男を殴りたい」だったけども、だからって、最近の「ロスジェネ世代」がみんなあんな感じで、あんなふうに思ってるかっていうと全然違うと思うな。
 そんなこんな考えていたら、ちょうど一昨日(22日)、NHK「時事公論」派遣労働者の大量解雇のニュースを報じていた。
(「解説委員室」「時事公論 工場減産 しわ寄せは派遣社員に」(こんなブログができてたのか。便利だ)
実はこの10年、経済のグローバル化の中で正社員ではない働き方をする人たちが増えているのは、日本だけでなく、他の先進国にも共通する現象です。違うのは、そうした変化に対する対処の仕方です。ヨーロッパ諸国では非正社員を増やしつつ、一方で、そうした人たちの権利を守るための対策に力を入れてきました。ドイツやフランスでは派遣先で正社員と同じ仕事をする場合には、同じ賃金を払うよう義務付けるなど、より強く法規制を行うことで弊害をできるだけ小さく抑えてきました。一方、日本では、対策を十分に取らないまま、規制を緩和したため、非正社員は、働いているときも、そして仕事を失ったときにも、大きな格差を強いられることになったのです。

今、早急に整えなければならないのは、仕事を失った非正社員の人たちに対するセーフティネットです。雇用保険の適用を広げたり、住まいを失う事態にならないよう、生活保護制度で住宅に関する費用だけの支給を認めたりといった緊急の対策を急ぐべきです。その際、重要となるのが、雇用と福祉の政策の一体化です。たとえば、ドイツでは、福祉政策として生活費を支給しながら、同時に、仕事につけるよう支援する制度を作り、大きな成果をあげています。また、こうした取り組みと合わせて、環境や福祉、農業などの分野で新たな雇用を創り出していく努力も欠かせません。

やらなきゃいけないことはわかっているのだ。もう、10年も前から指摘されているのだ。雇用の分野で規制緩和をするときには、同時に社会保障の拡大とかセーフティーネットの強化とか、抱き合わせでしなきゃいけなかったはずなのにわかっていてやらなかったのだ。「格差は悪いことではない」とか言って。そのようないびつな改革がいったい誰の要請で行われたかってわかりきったことじゃないか。ゲームのルールを熟知しているのは決して社会の底辺の人たちではない。

工場で働く派遣の人たちに聞き取り調査をしたNPOの人がこんなことを言っていました。「“今、不安に思うことはどんなことですか?”と聞くと、次々に答が返ってくる。でも、“今、要望したいことは何ですか?”と尋ねると、“え?”と聞き直したり、“わかりません”と答えたりして、回答が出てこない人が多かった」というのです。大きな不安に包まれて、何かを求める気持ちすら持てない人たちが増えていく社会の未来に、明るさは見えるでしょうか?

当事者には「わからない」のだ。なぜ自分がこのような状況に陥っているか、何をどう変えればよいのかが。だって、私みたいに図書館で雇用問題に関する10年前の本を借りて読んだりするような暇がないんだから。

 内田先生の言いたいこともまあ、わかるのだ。破壊によっては何も生まれないし、不幸な人はもっと不幸になるはずだ。だけども、
 この「呪いの時代」をどう生き延びたらいいのか。・・・・それは生身の、具体的な生活のうちに捉えられた、あまりぱっとしないこの「正味の自分」をこそ、真の主体としてあくまで維持し続けることです。「このようなもの」であり、「このようなものでしかない」自分を受け入れ、承認し、「このようなもの」にすぎないにもかかわらず、けなげに生きようとしている姿を「可憐」と思い、一掬の涙をそそぐこと。それが「祝福する」ということの本義だと思います。
 呪いを解除する方法は祝福しかありません。

なんてのは、いったい誰に向けて言っている言葉かさっぱりわからない。とりあえず、過酷なノルマがこなせずいびり出された新入社員とか、人員削減による過重労働で職場のストレスが溜まっていじめのターゲットにされた派遣社員とか、10年以上正社員と同じ仕事をしながら昇給も雇用保険もなくキチキチの生活をしている人にではないだろうな。第一、そういう人は「新潮45」も「下流志向」も読んだりはしないだろう。こんなもんを読むのは日経新聞必読と思ってるようなおっさんか私のような暇でノー天気な主婦くらいだ。だから一向にかまわないのだけども、やっぱり彼らには「あまりに実情を知らなさすぎる」と言われるだろうし、テロみたいな犯罪の抑止にもならないだろうな。

 もしかしたら、朝日新聞の人に向けて言っているのだろうか。それならわかるけど。

 あっ、2ちゃんねらーにか?・・・ホレ、怒れ!

参考メモ
「秋葉原事件と派遣労働 背後に人を使い捨てる非人間的搾取の構造」 小谷野 毅(ガテン系連帯事務局長)
【ハケンという蟻地獄】秋葉原通り魔事件:派遣労働者とメディアが懇談会
「EU労働法政策雑記帳」
「経団連中心政治からの転換」(広島瀬戸内新聞ニュース)

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