読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

映画「グエルム~漢江の怪物」

2007-12-11 20:42:48 | 映画
 何かを探して本棚をひっくり返している最中なのに、ついふらふらと本屋に寄って新しい本を買って読みふけってしまう逃避癖よ。
 
 桜庭一樹の「赤朽葉家の伝説」(東京創元社)を読み始めたらおもしろくて止まらなくなった。これは久しぶりの「当たり」だ。この本は、夏頃アマゾンで「夜は短し歩けよ乙女」を検索した際に、《この商品を買った人はこんな商品も買っています》で出てきてちょっと興味を引かれた本だったが、「夜は・・・」の方があまりおもしろくなかったので買う気をなくしていたのだ。いやー、あれ、懐古趣味というかまあ、方向はわかるんだけど今はそういう気分じゃないんだなあ。で、鴨も鹿もこんなもんだろうと読まずにパスしたんだけど、昨日たまたま書店でこの赤朽葉色が目に飛び込んできて、本から『買え、買え』という怪しいオーラが出ていたので買ってしまった。
 これは「当たり」だ。私は「楡家の人々」のような一族の歴史物がわりと好きだ。昨年のお買い得だった『群像10月号』創刊60周年記念号に掲載された島田雅彦の短編「鉄が好き!」もなんとなく思い出してしまっておかしい。夜更かしして一気に読みきってしまったから今日また「少女七竈と七人の可愛そうな大人 」を買ってきてさっき読み終わったところだ。こちらもなかなかよいです。

 探していたというのは、宮台真司が「グエルム~漢江の怪物」について書いた文章だ。確かにどっかで読んだ気がするんだけど見つからない。「絶望 断念 福音 映画」(メディアファクトリー)の中に「映画『シュリ』に太陽政策の倫理的基盤を見出し、同時にまた、日本を超えた韓国の高い民度を見る」という章があるんだけど、私は「シュリ」は見ていないのだ。韓琉映画というのもあんまり興味がないのだけども「グエルム」のDVDを借りて見たら、ただの娯楽映画とはとても思えないストーリー展開だったから、「なるほど、こういうのが民度の高さというやつか」と納得したのだ。

 怪物は、軍の関連の研究施設で、アメリカ人科学者が流した有害物質が原因で、突然変異的発生から生まれるのだ。そして、それを知った科学者と軍関係者は、事実を隠ぺいしようと「感染性のウイルスを持っているから近づくな」とウソのアナウンスをして一帯を閉鎖してしまう。さらに、あくまでもさらわれた娘を助けてくれと訴える父親を殺そうとする。娘の家族は不信感を抱いて政府の禁止令を振り切って逃げ、娘の救出に向かうのだ。政府の情報や方針が必ずしも正しくはないのだから、たとえお尋ね者になってでも家族を守るというこの勇気!また、怪物撲滅のため一帯に毒を撒こうとする軍に対し「環境破壊だ!」と、即座に市民の反対デモが起こったりもする。
 だけど民度の高さってのはこういうのを言っているのではない。家族の奮闘にもかかわらず、娘は最終的には怪物に飲み込まれてもろともに撃ち殺されるのだ。あのとき軍に機銃掃射をされなければ助け出すことができたのに。父親が必死にそう叫んで止めようとしているにもかかわらず、軍はデモ隊の上から毒を撒いたり銃撃したりするのだ。これって何か思い出さないか?アメリカの介入で発生した怪物。その腹の中に飲み込まれて、怪物を撃ち殺せば娘も死んでしまうという設定。なるほど、「太陽政策」とは腹の中の娘を殺さないように怪物をこちらに誘導するための作戦なのか。日本ではとにかく「殺せ、殺せ」という強硬論ばかり目立って元も子もなくしてしまっている。この映画はそのことを言いたいのだと思った。
 
 また、娘の叔父さんにあたる青年が大学を出たのに就職できないのは民主化運動でデモばかりやっていたからだというセリフがある。携帯の発信源を突き止めようと携帯電話会社に勤める先輩を訪ね、「先輩はよく就職できましたね」と首を傾げるが、その先輩は懸賞金目当てに後輩を売るような奴で、なんでうまく会社に入れたのかは明白だ。デモなんかやっていたら就職が危うくなるというのに、それでもみんな政府の不当な行いに対してはデモをするのだ。根性があるじゃないか。こういう監督の批判精神がところどころに見られて、ただのアクションや怪物ものじゃない深い味わいになっていると思った。

 と、この映画を思い出したのは、今、姜尚中 宮台真司「挑発する知」(ちくま文庫)を読んでいて、その中で宮台真司が「日本の外交はネゴシエーションのスキルがない」と何度も言っていたからだ。
 2002年10月に政府が拉致被害者五人の強制帰国を決め、北朝鮮との約束を破ったときに、私はすぐにラジオで「北朝鮮は今後、日本を外交交渉の相手として認めず、アメリカを相手にして核カードを切るだろう」と予測したら、そのようになりました。
 即日そのように予想を語る人はほとんどいませんでした。もちろん同様な考えの人がたくさんいたでしょう。姜さんの本にも書いてありますけど、五人の拉致を認めるということは、あとのないカードを北朝鮮が切ったとみることができるからです。
 究極のカードを切った北朝鮮の意図は、簡単です。休戦協定を平和条約や不可侵条約に変えることも含めて北朝鮮を助けてくれないか。つまり二国間交渉をお膳立てしてくれないか。そうシグナルをだしてきたわけです。
 ここで日本が口を利けば、戦後初めて日本が外交でイニシャティブを採ることができたでしょう。これほど国益に資することはないと思ったのですが、安倍晋三という無能政治家が拉致被害者の北朝鮮への帰国を拒否したことにより、そのチャンスは一瞬にしてつぶれてしまいました。
 チャンスがつぶれたことを指摘すると、思考停止の輩どもから「北朝鮮のまわし者か」というリアクションがくるわけです。そうじゃない。チャンスがつぶれたことで、現に六カ国協議でも、北朝鮮によって日本が外されようとしています。

これは、2003年6月のトークセッションをまとめた文章なのだ。お二人ともなんと先見性があるのだろう。
 宮台氏は「千載一遇のチャンスを逃した」「日本は北朝鮮からだけではなく、アメリカからもその戦略性のなさをばかにされている」と厳しいことを言っているが、蚊帳の外に出されてしまった今でも強硬論が大勢らしいから日本の民度は確かに韓国より劣っているのだろう。日本が経済制裁したってロシアと中国が継続しているのだから効果はない。仮に各国一斉に制裁をしたとしても、それで追い詰められた北朝鮮が暴発したら、直接的な被害が及ぶのはアメリカではなく日本と韓国だろう。また、金日成さえ死ねば北は民主化するかっていうとそれも難しいだろう。大混乱に陥って難民が中国、韓国、日本に押し寄せると予測される。それこそ本当の怪物だ。

 もう、ちゃんと頭いい人が予測しているのだから、政治家は耳を傾けるべきだ。というよりも、耳を傾けて理解できる人を政治家に選ばなくちゃいけなかったんだな。

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