読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

映画DVD「シリアナ」

2008-09-26 16:02:22 | 映画
 先日、現在公開中の映画「ウォンテッド」(You Tube予告編)を見た。派手なアクション(殺人シーン)が多くてなかなか楽しかった。
 暗殺を目的とする「機織り職人」の秘密結社?ターゲットの名前が織物の布目に暗号であらわれてくる?そんなもん信じるなよ!“Fate”(運命)ってなにさ!誰が陰で操っているかわかったもんじゃない。見ているうちに「ああ、これってあれだ」という気がしてきた。ほら、「ボーン・アイデンティティー」三部作とかあの類の、「社会的秩序を守るために超法規的行動も許される秘密の組織を作ったところ、その内部のトップにいる奴が私利私欲のためにその組織の鉄砲玉を使って悪いことをする」というパターン。しかも他のセクションからは見えないのでその不正はだれにも知られない。「どうもおかしい」と思った鉄砲玉が独自行動をしてその不正を突き止める、ってやつ。
 ただし、この映画は甘いと思う。リーダーの不正をメンバーの前で暴いたところ、逆に殺されそうになるがその時、「自分の命より、組織より、“Fate”の正統性の方が大切だ」と考える一人がいてメンバーを自分ごと皆殺しにしてくれる。結局、わけのわからん“Fate”とやらはそのまんまじゃないか。主人公はそれに従って生き残ったリーダーを殺し、おそらく正統な後継者として後を継ぐのだろう。それでいいのか?


 「ボーン・アイデンティティー」シリーズは、「ほんとうの自分探し」の物語じゃなくて、記憶が書き換えられていることは事実として、書き換えられる前の「ほんとうの自分」ではなく、上書きされた情報を持つ新たな自分の内発性に従うしかないじゃないかという「トータル・リコール」のテーマを踏襲しているように思った・・・けど、そう単純でもないか(宮台ブログ「大ヒット映画に対する出鱈目な批評の横行に文句が言いたい!」)。どこかに“Fate”(天の目)があって、それに従えばいいっていうのじゃなくて、記憶の書き換えによって人は容易に殺人マシーンになるし、どこにも正統性はないし、しかもそれを「自ら志願した」という事実によって免責もされないってことが大事なのか。
 さらに、そのような状況は何もCIAとかに入ってなくても、「現代社会を生き抜くためには欲望の制御が大事だ」みたいなことを考えてる私なんかにも言えることで、それ自体が「被制御の産物」だ・・・って?まったく救いがない話だ。もっとも、欲望の制御ってったって自己啓発セミナーにも行かないし禅寺にこもるわけでもない私は意思の力だけじゃ実現不可能だけど。
 10数年前に友人たちの間で自己啓発セミナーがはやって、私も青年会議所主催の公開講座(1日限定)に行ったことがあった。心理学の交流分析的手法を使ってて、あれはあれでいいんじゃないかと思ったけど、ネットワークビジネスっぽいところがイヤでセミナーには行ってない。友人の中には発奮して起業した人もいたけど、2、3か月たつとモティベーションが落ちると言ってあれこれハシゴした人もいる(最後に「モティベーションが落ちない」って感激してたのがヒーリング系の「前世療法」ってやつだった。そこに行くのか)。

 先日NHKスペシャル(「戦場 心の傷(1)兵士はどう戦わされてきたか 」「戦場 心の傷(2)ママはイラクへ行った」を見たが、このような、兵士を「戦闘マシーン」にするための訓練によってイラクからの帰還兵たちが社会に適応できなくて苦しんでいる状況が報告されていた。「兵士から人間らしい感情を奪い、条件反射的に殺人ができる」訓練プログラムは年々進化して殺人も精度も増してきているらしいけど、戦場から帰った兵士の心のケアをし、日常生活に適応できるようにするプログラムというものはまだまだ未発達で、実施状況も不十分のようなのだ。社会的にトラブルを起こす人はわずかだけれども、帰還兵の半数近くが何らかの心の問題を抱えてケアを必要としているらしい。こういった問題は自助努力では解決できないので、精神的な治療法がもっと深められなくてはならないし、帰還兵の「戦闘解除プログラム」みたいなものが確立されなくちゃいけないと思う。けれども、人間の心って、そんなにプログラムひとつで「戦闘モード」「日常モード」と切り換えることができるんだろうか?2度も3度も召集されてる人はどうなるんだろう。危険じゃないか?

 あるいは、戦闘的でなくては生きていけない社会に適応するために、自己啓発セミナーに参加して「戦闘モード」に書き換え、みなで経済活動に邁進したとして、その結果が9・11であり、「ダーウィンの悪夢」であり、地球環境の破壊であるとしたらどうすればいいのだろう。「ボーン・アルティメイタム」も結局は悪の大元がいて、そいつを通報して捕まえれば一件落着だけども、現実にはそんなに単純じゃない。誰が悪いやつかなんて、はっきりしない。いや、悪いやつなんてほんとはいないのだ。みんなが現状に適応しようとした結果がこうなのだ。

 とりあえず言えることは、「ただでさえ秘密性の高い組織の中に、さらに特別な組織を作って超法規的行動をとらせるようなことはしてはいけない」ってことだろうな。誰に責任があるかわからないような複雑な組織とか、もしもトップが悪いやつだったらとんでもないことになってしまうノーチェックの組織とかは変えなくちゃいけない、と。アメリカ映画で最近その手の教訓を示唆するようなのが目立つように感じるのはやっぱり「今のアメリカは危険な状態だ。このような教訓を忘れるな」と繰り返し警告することが必要だと思っている人がいるのかなと最近思う。

あ、「シリアナ」にたどり着いていない。
つづく・・・

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