読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

映画「ノーカントリー」

2008-05-05 17:15:04 | 映画
 今年見た映画の中で一番おもしろかった。公式サイト
 大金を奪った男を追う殺し屋が、意味もなく人を殺しまくる。いや、「意味もなく」というのは間違いだ。彼の中では合理的な理由があるらしい。宮台ブログに書いてあった。やっぱり彼は「脱社会的存在」って奴だ。雑貨屋の店主が「テキサスから来たのかい?車が雨にぬれていた」と言うと「何でそんなことを聞くのだ」と怪しむ。普通の人間だったら「ああ、そうだ。親戚の家を訪ねる途中さ」とか嘘八百でも適当に言えるが、彼には言えない。店主がやり取りに異様さを感じて「もう店を閉めるところだ」と言うと「なぜ?まだ明るい。いつもは何時に閉める」と聞く。このへんのやり取りのちぐはぐさから彼が普通の会話ができないということがわかる。殺し屋はこの店主を殺すかどうかコインを投げて決めさせる。「このコインと一緒に旅をしてきた」と彼は言う。自分の人生もコインを投げたときの表裏と同じように偶然によって今に至っているのに過ぎないし、人の生き死にも偶然の産物に過ぎないと考えているのだ。だから人を殺すのに罪悪感はない。

 田口ランディの小説によく「言葉を音として聞く」というシーンが出てくる。普通、言葉には意味が不随しているが、主人公たちにはそれが理解できないことがよくあるらしい。なぜなら人は心とはまったく裏腹のことを言うことがあるし、言葉の示す意味とはまるで逆の意味合いを持つ調子で喋ったり、振る舞ったりすることも多いからだ。普通私たちは言葉の裏にある意味を無意識のうちに読み取って適当に会話しているが、彼らにはそれができない。額面通りの意味を読み取ることしかできないので混乱してしまうのだ。たとえば「もう店を閉める」と言われれば「おまえは迷惑だから早く出て行ってくれ」という意味があるのだがそれが読み取れない。ただ、行為の異常さとしてしか認識できない。田口ランディの小説では、人とのコミュニケーションがうまくできないような育ち方をした主人公たちが、そのような混乱から身を守るために「言葉から意味を削ぎ取って、音として聞く」という行為をする。すると、言葉の持つ意味そのものではなく、別な意味合いが見えてくることがあるらしい。私は「ノーカントリー」の殺し屋も、コミュニケーション不全による不利益を避けるために自分なりのルールをこしらえて、それに忠実に従っているだけだと思う。だから、人から見てどんなに無意味な殺しであろうと、それは彼にとって合理的なのだ。「自分の身元を詮索する人間は殺す」。私たちから見ると、何も雑貨屋のおじさんを殺す必要はないように思えるが、モス(大金持ち逃げ男)が別の殺し屋に居所を突き止められたのは、女房の母親が空港で親切にカバンを持ってくれた紳士に気安く話したからだということを思うと、人に安易に個人情報を漏らすことがどれだけ危険な結果を招くかわかったものじゃないのだ。殺し屋は、ジェイソン・ボーンみたいに訓練を受けているわけでもなく、人一倍他人の感情を読み取ることが苦手なので、自分の決めたルール通りに危険な人物をしらみつぶしに殺していくしか生きる道がないのだと思う。

 異様といえば、麻薬取引のゴタゴタによって放置された大金を奪って逃げる主人公モスも相当異様だ。ベトナム戦争に二度従軍した経験があるらしい。しかしいくら異様と言っても殺し屋ほどじゃない。メキシコで出血多量で倒れたら、メキシコ人に「病院に連れていってくれ」と頼むし、病院からパジャマのまま抜け出して国境検問所で「アメリカに行きたいのだ」なんて押し問答する。そしたらなんとなくうまくいってしまうところが不思議だが、実に人間的だ。いくら無謀なことをしていても、彼はまだ社会から逸脱はしておらず、基本的に他人を信頼しているのだ。誰も信じず、通ったあとに死体の山を築いていく殺し屋とは大違いだ。

 手に汗握りながら映画を見ていて、ふと「もし私が大金を手に入れたらどうやって逃げる」ということを考えたが、そもそも「大金を手に入れる」というシチュエーションには絶対ならないということにすぐに気がついた。
 たとえば、狩の途中負傷した犬を見つけたら、→「ワンちゃん、おいで、おいで、こわくないよ」などと言いながら夜までかかって犬を追いかけまわす。そして動物病院に連れて行った後で「あれ、ところでなんで犬がけがしてたんだろう」と不思議に思う。
 仮に、犬を通り過ぎて銃撃戦現場を発見したとしたら、→遠くからその光景を見ただけでビビッて保安官に電話する。
 仮に、現場まで行ったとして、生存者を発見したら、→「しっかりしろ、死ぬなよ!」と言いながらその車(麻薬を満載)を運転して病院に直行。男の「家族」に電話して来てもらう。(そのあとで、「あれ、まずかったっけ?」とちらっと疑う)
 仮に、大金を抱えたまま死んでる男を発見したとしたら、→札束を見ただけで気が動転して警察に届ける。
 仮に、万難を排して勇気を奮い起し大金を手に入れたとしたら、→発信機に気づかずそのまんま銀行に預けようとして御用・・・。
 どこをどうやっても、私が大金を手にして逃げるというシチュエーションには辿りつかないことがわかった。ちょっと残念だ。

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