読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

押井守監督 「スカイ・クロラ」

2008-09-06 23:04:42 | 映画
 最近、何を考えていたときだったか忘れてしまったけど、「戦争をしたい人は、そういう人同士でどこか空の彼方とか砂漠のど真ん中とかで殺し合いをしてほしい。もお、一般人の頭の上に爆弾を落としたり、女子供を殺したりするのはやめてくれよ。」と思っていたら、「スカイ・クロラ」はまさにそのようなシチュエーションの映画であった。

 公式サイトの予告編で語られているけれども、戦うのは「キルドレ」という「永遠の子供」たちだ。彼らは美しい。感情や欲望をあらわにすることはほとんどなく、性格は純粋で、思考は単純明快即物的。ただ「飛びたい」がために飛ぶのだ。いつか戦闘機が撃墜されて自分が死ぬことを知っているが、それを恐れたり悲しんだりはしない。殺し合いをするという実感もなく飛んで撃ち合う。映画の冒頭に空のシーンがたっぷりと出てくる。すい込まれそうに澄んでいて、雲が流れる様子がとても美しい。彼らは地上では生きられない。大人の世界ではとても適応できないだろう。だから飛ぶ。飛ぶために生きている。飛べなくなったらとても生きていけない。

 最初は「思春期の姿のまま永遠に生き続けるだなんて、うらやましいことだ」と思った。だけど実際はとんでもないことだった。戦争を請け負っている二大企業は、戦闘技術を受け継がせるために戦死したパイロットを何度でもよみがえらせるらしい。どうやってかわからないが、クローンとか電脳情報のダビングとか、そんな高度な技術があるのだろう。名前と顔形は違っているのに受け継がれる癖やときどき起きるデジャヴ。薄々みんな気づいている。なによ、これって地獄じゃない!
 何度も何度も戦って死に、何度も何度も始める。

 沈着冷静な草薙水素(スイト)が上司に食ってかかるシーンがある。本部がわざと敵機襲来警報を遅らせ、こちらに被害を出させようとしたときだ。エースパイロットである函南優一が赴任してきたため戦況に偏りが生じ、ゲームとしておもしろくないのでそんなことをしたらしい。パイロットはただのゲームの駒か。「かけがえのない命」とか「平和の大切さ」とか、そんな言葉は大人の世界ではただの欺瞞にすぎない。水素はこう言う。
 「戦争はどんな時代でも完全に消滅したことはない。それは、人間にとって、その現実味がいつでも重要だったから。同じ時代に、今もどこかで誰かが戦っている、という現実感が、人間社会のシステムには不可欠な要素だから。そして、それは絶対に嘘では作れない。戦争がどんなものなのか、歴史の教科書に載っている昔話だけでは不十分なのよ。本当に死んでいく人間がいて、それが報道されて、その悲惨さを見せつけなければ、平和を維持していけない、平和の意味さえ認識できなくなる。・・・・・空の上で殺し合いをしなければ生きていることを実感できない私たちのようにね」

 (この台詞を引用したいがためにパンフレットを買った。)
 いかにも押井監督らしいセリフだと思う。実際、原作にはこんなセリフは載ってない。原作のシリーズ前半は草薙水素の物語で、エースパイロットとして飛んでいた頃の彼女の心象風景がよくわかるのだが、その透明感のある純粋さに圧倒される。空に溶け込むような硬質の美しさだ。だけどうらやましいと思うと同時に、「こんなじゃあ絶対、一般人と一緒に社会で生きていくことはできないだろうなあ」とも思った。適当に嘘を言ったり、人の機嫌を取ったり、愛想笑いをしたり、偉い人にヘコヘコしたり、それって人間関係をうまくやっていくために仕方がないんだよ。一々あなたみたいに「腐っている」とか「ドロドロだ」とかって嫌悪感を覚えていたら生きていけないんだって。まあ、そういうことができないから「永遠の子供」なんだけどもね。

 これってだれかに似てるなあと考えていたら、やっと辿り着いた5冊目の「スカイ・クロラ」の各章に、サリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」の引用があって思い出した。「キャッチャー・イン・ザ・ライ」だ。なるほど押井監督好みだ。草薙水素って名前だって、ユーイチの前任者ジンロウの名前だって、押井作品にちなんでいるじゃないか。きっとこの作品は原作の森博嗣から押井監督へのひそかなラブ・コールだったに違いない。
 だけども映画の映像は、驚くほど細部まで作り込んであって、こんなリアリティーのある映像は押井監督くらいしかできなかっただろうとも思う。
(原作は映画みたいにすっきりしてなくて謎が謎をよんで終わっちゃうんで、ぜひ次の「スカイ・イクリプス」を買わなくっちゃ。)

 原作と映画とのもうひとつの違いは最後のシーンだ。水素はユーイチを殺さず、ユーイチはこう言い残して、無敵のパイロット(ティーチャー=大人)に戦いを挑んで行く。
 
 「それでも・・・・昨日と今日は違う。今日と明日もきっと違うだろう。いつも通る道でも違うところを踏んで歩くことができる。いつも通る道だからって景色は同じじゃない。」
 
これが押井監督からのメッセージだ。
 映画を見ながら私は、キルドレのように何度も生き返って同じような生を繰り返すなんて無間地獄のようだと思ったけど、考えてみれば人間はみんな何度も生まれ変わって同じような生を繰り返しているのではないかとも思った。(島田雅彦「徒然王子」の影響?)だったら何も彼らだけが悲惨なのではなく、人間はみんな悲惨なのだ。あのパイのお店の前に腰かけて毎日毎日何かを待っている老人のように。だからこれは現代の「生きている実感のない」若者たちだけじゃなくて、生きることに疲れたすべての人へのメッセージなのだと思う。

 そうなのかもしれないなあと思った。エンディングの後にふろくがついている。ユーイチの後に新しく赴任してきたパイロットが水素に挨拶をするシーンだ。空は青く空気は澄んで緑は美しい。その美しさは胸に沁み入るようだ。人生はそんなに悪くないかもしれないと思えてきた。

 そして、2日ばかりたって、北京オリンピックの開会式当日、ロシアがグルジアに侵攻したというニュースが入ってきてがっくりきた。デジャヴ・・・・。ライス国務長官の批難声明もなんだかデジャヴであった。
 やっぱり無限地獄かもしれない。



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