ロシア日記

~ペルミより愛を込めて~
日本語教師と雪のダローガと足跡

~サンクトペテルブルグ~
雪の上の足跡

アヒルの試験日

2013年11月22日 | 日記
 もうすぐ日本語能力試験です。
この3か月は、試験に向け勉強してきました。
私にとっても初めてのことで、どうやって指導していけばいいかわからず、ずいぶん悩みました。

 まず、ほとんどの生徒がN4という二番目の難易度の試験を受けるのですが、これに受かるには『みんなの日本語』という教科書のⅠⅡをマスターしていなくてはならない。試験に出てくる問題はこの二冊に出てくる文法が網羅されているからです。この『みんなの日本語』という教科書は、週5日、毎日5時間、日本語を勉強する設定でカリキュラムが作られています。けれど私の学校は、週2日、一日 90分の授業数です。全部で50課ある単元を9月の段階で、まだ27課までしか終わっていません。これをどうやって3か月後の試験に間に合わせればいいのかを悩みました。
けれど結局、授業でできるコマ数は限られていますから、あとは生徒に宿題を与え、新出の文法は自主的に家で勉強してもらうしかないのです。

 このことを何度もはっきり生徒に伝えます。
けれどあとは生徒の性格と意欲の問題で、あるクラスはとても雰囲気のいい、普段は楽しく日本語を勉強しているクラスなのですが、どうも本気にならないのです。このままでは試験に受からない、と言ってもいまいちモチベーションがあがりません。

 そして、結局、教室で模擬試験をさせ、ロシア語で「とっても悪い」ということを「オーチン・プローハ」というのですが、模擬試験の結果は当然、オーチン・プローハでした。その時になってようやく生徒も実感したのか「こんなんじゃ受からない」と言い出しました。

 それから「自分たちはアヒルになる」と言って笑い出したのです。
「アヒル」とは、ロシアの4コマ漫画で、一コマ目でアヒルが学校に向かう様子が描かれています。そのあと、4コマ目でアヒルが学校を後にする絵が描かれているのですが、アヒルの顔が悲しいぐらい歪んでいるのです。笑
 
 それを彼らが「自分たちだ」と言い出したので可笑しくってしょうがありませんでした。
私はそのあと、一応教師らしく「一週間で運命は変えられる」と言いましたが、何よりも彼らのポジティブさを愛したのでした。








日本語能力試験

2013年11月22日 | 日記
 写真は、『グリェーチカ』というホットワインにコニャックを入れオレンジを浮かべたものです。
寒い雪の日には体が温まります。

 先週の日曜日は、2週間後の日本語能力試験に向けて、模擬テストを実施しました。
これもロシアの仕事のやり方を目の当たりにして日本との違いを感じました。

 担当のエレーナ先生に生徒に公表するまえに模擬試験の内容を見て確かめたいと再三申し出たのですが「大丈夫。その必要はない」との一蹴で、私ももうそれ以上何も言いませんでした。

 そして、試験実施の2日前、初めて一見し、思った通り問題発覚です。
まず、5,4,3級のテストはあるけど、2級がありません。このことを2級の生徒に伝え、試験は実施されないことを言わなければなりません。そして5級の読解問題は被っていて、私がすでに生徒と勉強した問題です。でももう仕方がありません。模擬試験はこのまま遂行されます。

 当日、ほとんどの生徒が模擬試験を受けにやってくるという申込書に書き込んだにも関わらず、ほんの10人ほどしか姿を現わしません。
 次の授業の時に「どうして来なかったの?」と聞いたら、「目覚ましが鳴りませんでした。朝起きました。目が時計をみたら、時間が過ぎていました」といった答えがかえってきました。

 先生も生徒もロシア式ですね。






 

マーリチキ2

2013年11月21日 | 日記
 マーリチキたちはいつもうるさく教室で暴れまわっているので、ぜんぜんひらがなを覚えません。前の先生と3か月も日本語を学び始めた後で、「あいうえお」もおぼつかないほどです。
 私と勉強し始めてからの初めの一か月は攻防戦でした。「静かにしなさい」といっても一向に静かにする気配はなく、「ゲームをやめなさい」と言ってもやめる気配もありません。

 隣の部屋の先生が「うるさい!!」と怒鳴り込んできたことも何回もあります。マーリチキたちはそのときだけはおとなしくします。私のときはぜんぜんしません。依然、サイーチカはなめられっぱなしです。
 マーリチキたちとの授業の前は、戦う気持ちで臨まなければなりません。弱気で戦場に足を踏み入れてしまったが最後、フーリガンチキたちの前でサイーチカは完全にサイーチカとなって崩れ去って終わりです。

 けれど、最近はそんなマーリチキたちがちゃんと座れるようになってきたのです。日によって座れる時間数は異なりますが、徐々によくなってきたのです。マーリチキが「あいうえお」を必死で紙に書いていた日にはとっても感動しました。
 ユーリャと「今日は『なにぬねの』を覚えた」「今日は『はひふえほ』を覚えた」と言って喜び合います。

 「子供たちこそペルミの宝だ」と言ったある先生の言葉を、本当にその通りだと実感します。せっかく日本に興味があって日本語コースをとると決めた腕白坊主たちの小さな決心を、胸に受け止めてこれからもマーリチキたちとの攻防戦を続けていこうとワクワクした気持ちで思います。

ヤンくんのこと

2013年11月21日 | 日記
 教師とは名ばかりのもので、「生徒には分け隔てなく接せなくてはいけません」とはよく聞く格言ですが、やはりそこは人間、そう簡単にはいきません。
 人間と人間ですから馬が合ったり、日本語に一所懸命だったりするとどうにかこの子のためにと応援したくなります。

 ヤン君は、9歳から一人で日本語をはじめ、今は日本語のウィキペディアを読みこなすほどにまでなりました。一度も日本の地を踏んだことがないのに、日本語もペラペラです。難しい日本語を使いこなし、「鬱」の漢字も書けます。この前は「理系は物理や化学を勉強するときに数学の知識もいるから全体に繋がりがあるけど文系は歴史も文学も繋がりの観点から言うと極めてうすい」というようなことを言っていました。

 そんな彼はこの夏、在モスクワ日本大使館で日本国が募集する国費留学生の試験をうけました。受かれば日本からの補助金で日本の大学で勉強できるというスーパーエリートコースです。
これは本当に頭のいいひとたちの集団で、私は一度東大の国費留学生にあったことがあるのですが、彼らの根底に流れる真の頭の良さを感じて、そのスマートさとクールさに舌を巻きました。
 
 ヤン君はこういうひとたちにありがちな、どこかいつも他の人とは違う観点から物事を見ているような、一見不思議な雰囲気をまとっています。博士タイプです。彼の夢はロボットを作ることです。

 ある日、彼が私の教室を訪ねてきて「日本の国費留学生の試験を受けたいけれどどうすればいいかわからない。手伝ってほしい」と言ってきました。彼の真剣な様子に私も心を打たれ、大使館に電話して、試験の制度、過去問の場所、どういう勉強をしていけばいいのかを聞きました。

 試験は極めて難しく、彼の目指すロボット工学がある理系は、物理、化学、生物の中から化学は必須、物理、生物の中から一つ、数学、英語、日本語の試験を受けなくてはならないということでした。問題形式は全部英語です。公表されているのはこれだけで、何人が受験し何人が受かるかの情報は一切公開されていません。ロシアから何人、アメリカから何人、ではなく世界選抜です。見込みのある子がトップから選ばれます。

 電話を切った後、日本語は私と勉強しますが、あとは彼が全部自分でしなければなりません。私は私の日本語の先生にコンタクトを取り、どうやって日本語を指導していけばいいか質問しました。先生は「日本語能力試験の2級や1級を目指すやり方で勉強していってください」と言った後で「かなり難しいですから覚悟してください」とおっしゃられました。

 そして、今、彼はこの最終選考に残っているのです。試験は2日間あり、一日目は物理と化学と数学、二日目は英語と日本語、そこで一旦ふるいに掛けられ、残ったものだけが面接へと進めます。面接の前日、夜遅くまで二人で作を練り、「私はペルミ州の発明大会で第2位になったことがあります。人々はめんどくさい掃除などしたくありませんから、私は忙しい現代人のために家事をこなすロボットを作りたいです。」など、面接での台詞を練習しました。

 試験後、大使館から彼に「在モスクワ大使館はあなたを世界選抜に推薦する」という一報をもらいました。最終選考は来年の一月です。
 今、ヤンくんも私も学校も胸を高鳴らせながらこの最終結果を待っています。
「ヤンくんは、将来、ドクトル・ヤコーブチックになるね」と言うと、ヤンくんはその子供っぽい頬を紅潮させてとっても喜びます。
 

マーリチキのこと。

2013年11月21日 | 日記
 ロシア語で小さい男の子のことを「マーリチク」といいます。それが複数形になると「マーリチキ」です。

 私は、今、このとってもうるさいマーリチキを教えています。学校でも有名な問題児たちです。
英語の「フーリガン」のことをロシア語では「フーリガンチキ」といいます。あまりの腕白さに前の先生も匙を投げたほどのこのフーリガンチキたちが、経験も何もない私のところにやってきたからさあ大変です。週に2日ある授業をユーリャと私で担当します。

 授業の初めの日、あまりのうるささにただただびっくりして見入ったほどの騒々しさです。
まず、マーリチキたちは机に座っていることができません。教室中を歩き回ります。I-Podでゲームをします。
当然、ノートなんていう代物は鞄の中からついぞ出てこないわけです。

 ノートを出させる前に、しなくてはいけないことがあります。
私;「ゲームをやめなさい」
フーリガンチキ;「えーサイーチカ、あと3分だけ!」

 生意気だけど頭のいい彼らは、完全に私のことをなめきっています。
彼らが私を「サイーチカ」と呼ぶのは、「さや」の名前の愛称形で、ロシアでは「ドミートリー」を「ミーチャ」と呼んだり、「ミハイル」を「ミーシャ」、女の子の名前だと「アナスタシア」を「ナスチャ」「アーニャ」と親しみを込めて呼ぶものです。
彼らは別に私のことを親しみを込めて呼んでいるのではなく、完全になめきっているのです。

 だから私も言ってやりました。
マーリチキ;「サイーチカ、トイレに行ってもいい?」
私;「HET!!ニエッーーーーーート!ダメ!!!」だと★

楽しい時間。

2013年11月21日 | 日記
 2か月前からプールへ行き始めました。
学校のプールをただで使わせてもらえるので、授業が終わった後の水曜日と土曜日の夜はプールの日です。
授業後の生徒との会話も早々に切り上げ、足早にプールへ向かいます。
これから本格的な冬へ向かうロシアの貴重な運動時間です。

 この間、プールで泳いでいたら一人の女の子が「一緒に泳ごう」と話かけてきました。名前はイリーナと名乗りました。少し浮世離れした不思議な子で、私がゴーグルの買える場所を尋ねていたら、自分のゴーグルを貸してくれたり親切にお店の場所を教えてくれたりしました。

 そして、今日、泳いでいたら、再度イリーナに会いました。一緒に泳いでいる最中、イリーナは何歳?とか、どこの学校に通っているの?とかそいういう他愛のない会話をしました。イリーナは「10歳」だと答えました。そして「学校には通ってないの。家で家庭教師の先生と勉強しているの」といいました。不思議に思いましたが「ロシアは学校で勉強するのと家で勉強するのと選べるんだね」と私も言いました。

 イリーナのお母さんはアーリャといいました。アーリャが「今からお茶に来ない!?」と誘ってくれました。イリーナの家へ行き、夕飯をご馳走になりました。アーリャから、イリーナは糖尿病だから学校に通えないのだと聞かされました。普通の子よりも疲れやすいので、連続で勉強することができないらしいのです。それを聞いたときに、イリーナがどうして私を誘ってきたのか、イリーナのもつ浮世離れした雰囲気はどこから来たのか分かった気がしました。どこか世間にもまれていない森の中からでてきた妖精のような空気感をまとっているのです。

 アーリャはやはり、イリーナの病気が気がかりらしく、中国へ行っての針療法をさせたいと話していました。
そして私に日本語コースや中国語コースの授業料などを聞いて熱心にイリーナに勧めていました。けれどイリーナは「英語だけで十分」と言って取り合いません。
食後は、イリーナは私に手品を見せてくれたり、アーリャと三人で一緒にYoutubeを見たりしました。

 家に帰ってきてルームメイトのユーリャに「どこに行ってたの?」と言われました。事情を話し、話し終わった後、「すごく楽しかった」といいました。「なんでこんなに楽しかったんだろう」と考えてみると、イリーナが日本語にまったく興味がなく、一人の人間として接してくれたからだと思いました。私は日本語の先生なので周りの生徒とはなるべく平易な日本語でレベルに合わせた文法を使って話すよう心がけます。これは私の仕事だからです。それに、この地方都市のペルミでは日本人は珍しいので、私が日本人であるからこそ誘ってくれることもたくさんあります。

 けれど今日はそうではなく、イリーナとアーリャは好奇心からではなくて自然な心でお家に呼んでくれ会話してくれました。これは私にとって非常にうれしいことです。気楽なのです。心から安らげ楽しめました。
家に帰ってきて、無事に帰った旨をアーリャに電話しました。電話を切った後、「やったー!!友達ができた!!」と叫びました。


ロシア流仕事の流儀

2013年11月09日 | 日記
 12月1日は生徒の日本語能力試験です。
隣の県のチェラビンスクやエカテリンブルグからも受験者が集まるちょっとしたお祭りです。
この本番の試験の前に、模擬試験をしようとエレーナ先生が言い出しました。
去年分の試験があるからということです。

 私は賛成したのです。けれど生徒に発表するまえにどうしてもこの目で去年の試験を見、今までしたものと被っていないか、本当に級分試験はあるのか、全部あるのか確かめておきたかったのです。もう一年ロシアに住み着いた私は、経験から、それからでないと生徒には公表できない危険性を感じていたのです。

 そしてエレーナ先生のところへ確認しに行ったら、案の定、問題勃発です。私の予想をはるかに上回り試験自体がないのです。「保管してたはずなんだけど…」とはエレーナ先生談。「ルドミーラ校長先生のところにあると思う」というエレーナ先生の発言はもうまったく当てになりません。そのまま部屋を辞し、翌日もう一度確認してみると、やっぱりない、とのことです。「どうしますか?」と聞くと「大学から取り寄せる」という信憑性に欠ける答えが返ってきました。

 私はやっぱり自分の勘は間違ってなかったのだと思い、もうこの模擬試験はなくなるのだろうから、一切生徒に言うまいと思いました。

 ロシアに住んでいると徐々にロシア式のやり方がわかってきます。当然、日本と比べると緩やかです。期限は遅れるのが当たり前、言づけは忘れられていることが多々あります。できるものならさっさと自分で行い、最後の確認をもらうくらいに思っていることが一番仕事がはかどります。ロシアでの仕事の流儀は、とにかく周りを当てにしないことです。

ねずみ

2013年11月09日 | 日記
 小屋に引っ越した次の日の朝、朝ごはんを食べていたらゴミ箱がカサコソいいます。
何気なく近づいて見て、ごみ箱を少しずらしたらシュッシュッと黒いものが目の前をよぎりました。
さっそくゴキブリが出たなと思い、古い小屋だったので仕方ないだろうと驚きもしませんでした。
 
 その日の夜、ユーリャと二人で仕事後の一杯をしているとまたゴミ箱がカサコソいいます。
「なんかいるね」といい、またゴミ箱に近づき、少しずらした途端、ゴキブリよりも大きい黒い塊が飛び出してきました。思わずキャーと悲鳴をあげ、ユーリャと二人でソファーの上にのぼり抱き合っていました。
 今のは明らかにネズミです。

 上司に言ったら「ジェリーだね」と喜んでいました。
違う同僚に言ったら「ネズミは放っておくとどんどん増殖し大きくなり仕舞には洋服も食べられてしまう」といいました。
 さっそくお世話係の丸々太ったスベータがネズミ取り用の強力接着剤をざくざく切った段ボールにぬりつけてあらゆる四隅におきました。

 その日の夜、仕事から帰りいつもの日課のお疲れ様会をしていると、洗面所からキーッというネズミのなき声が聞こえました。見ると罠にかかって動けなくなっているのです。ディズニーのアニメに出てくるような小っちゃくて可愛いネズミが動けなくなっていす姿は不憫で仕方がありません。
 外へ行きお箸でどうにかはがし逃がしました。
 もう毎晩こんなことはしたくない、とユーリャも私も思案顔でした。

 次の日の夜、またネズミが現れました。昨日のジェリーとは違うネズミです。
だけど今度のジェリーは罠にはかかりませんでした。ユーリャも私も安堵しました。

 どうやら洗面所の穴から出はいりしているらしいと推し量り、ユーリャは粘土を買ってきました。穴を埋める作戦です。掃除婦のヴェーラに言ったら「猫を飼ったらいい」との真面目なアドバイスです。

 さっそくルドミーラ校長先生からの猫を飼ってもいい許可をもらい、一度はロシアで猫を飼うことを本気で思い舞い上がった私たちですが、これも日本に連れて帰るときなどいろいろと問題があることが浮上ししばし棚上げです。それにあの最後のジェリーが現れて以来、パタッとネズミは出現しなくなったのです。

 今でもカサコソと音がするとドキッとしますが、ジェリーたちもこの家には対していいものがないばかりか異国育ちの変な二人がいるということがわかって無駄な足労は控えたのかもしれません。





引っ越し

2013年11月09日 | 日記
 実はユーリャと私は一か月前に、引っ越しました。
引っ越し先は学校内のてっきり花壇用の小屋だと思っていた一軒家です。
窓から学校が見え、通勤時間30秒です。
 あまりの近さにショックを覚え、当初は上司に不満をぶちまけていました。
私があまりにも「小屋」を連発したものだからとうとう上司も「こやこやこやこやこやこやこやこやと言うけれど小屋ではありません」と怒っていました。

 キッチンとバスとユーリャと私の部屋のある小さな小屋です。
もう1年もロシアにいるとロシアのやり方もだんだんわかってきて、もうこれ以上何も言わないほうが得策とか、ここはもう一度確認しておこうとか、確認するまで動かないでおこうとかそういうことがわかってきます。家のことでは相当悩まされましたが、このたびも学校との交渉にはまんまと負け、結局は言いなり通り引っ越すことになったのです。

 ところが引っ越すと、これがけっこう快適で、なんといっても通勤時間がないというのは楽なもので朝行って用事を済まし、夕飯を取りに家に帰り、夜遅くまで学校に残ってもバスの心配をしなくていいという利点がたくさんありました。ユーリャと私は性格が悪いのでけっこう快適さを感じていることは上司には黙っていようということにしています。

 

夜遊び in Perm

2013年11月08日 | 日記
 近頃は、もうすぐ生徒の日本語能力試験もあり、私も5時間かけて隣町にいかなければならない用事などがはいり、いろいろなイレギュラーな行事も入ってきたので大変な日々でした。いくつかの行事は終わり、いくつか重要なものはまだ残っているので、気が抜けない日々です。
 そんなストレスな日々の中でもたまには息抜きも必要です。ということで、ハロウィーンパーティーに同僚のユーリャとナスチャとペルミのクラブに初上陸してきました。
 まずは、仕事後、とりあえず集合ということで、私の家にナスチャが来ました。仕事を終え、家のドアを開けた途端、赤いドレスに頭にコウモリをつけたナスチャが飛び込んできました。ナスチャの綺麗な顔の上で二匹のコウモリが揺れていました。横から紫のミニドレスに身を包み、ウサギの耳をつけたユーリャも顔を出しました。
 みんなでパスタとサラダを食べ、もう一度お化粧をし直したらいざ出発です。
タクシーがやってきて、みんなで乗り込み、夜の街を走り抜けます。夜遊びはこの前段階のワクワクする気持ちがとっても楽しいのですね。
 
クラブはアリスの衣装に身を包んだ娘二人と女王様のドレスを着たママたちと踊った瞬間がとっても楽しかったです。そして本当に美しいロシアの女の子たちに見とれた一夜でした。

飲み会の夜

2013年11月08日 | 日記
 飲み会に行ってきました。
お店に入って座り、さっそくテーブルの下から回ってきたのは、写真のフラスクです。よく古い洋画の探偵ものなんかで、酔っ払いが銀色のステンレス鋼でできたフラスクを胸元から取り出し一口飲んでは、また胸元に仕舞うというような動作で見るあのフラスクです。
 映画よろしく私も一口飲んでは隣の人に回すという動作をしていたのですが、一本目のフラスクがなくなる頃、さらに回ってきたのは大型のフラスクです。
 このフラスクの持ち主は、「これは父が作った形見なのだ」といっていました。
 中に入っていた甘いラム酒のせいですっかり酔っ払ってしまい、翌日は完全なる二日酔いでした。ロシアの二日酔いは、東京のそれとは比べようもなくお酒の濃度と比例し強く、回復するのに丸々24時間かかりました。
ロシアの酔いに乾杯🍸

お鍋とスメタナ

2013年11月08日 | 日記
 ピンクのボルシチの上にのっているサワークリームは、ロシアではスメタナといいます。
ロシア人はスメタナが大好きです。スーパーにもたくさんのメーカーと2,5%のものや3,2%のものと豊富に並びます。
私もスメタナは好物でときどき朝食のパンの上にのせて食べます。
 
 先日、生徒がうちにあそびに来たときに昨夜の残りの鍋をだしてあげました。すると彼は、スメタナがほしい、というのでてっきりパンにつけて食べるのかと思ったら、スプーンで掬ってぽんと鍋の上に入れたのです。
 呆気にとられて見たあとで思わず笑ってしまいました。流暢に日本語を操る彼だったけど「ヤン君は本当にロシア人なんだね」と言いました。
 これが文化と食生活の違いですね。面白いですね。