ロシア日記

~ペルミより愛を込めて~
日本語教師と雪のダローガと足跡

~サンクトペテルブルグ~
雪の上の足跡

マーリチキ2

2013年11月21日 | 日記
 マーリチキたちはいつもうるさく教室で暴れまわっているので、ぜんぜんひらがなを覚えません。前の先生と3か月も日本語を学び始めた後で、「あいうえお」もおぼつかないほどです。
 私と勉強し始めてからの初めの一か月は攻防戦でした。「静かにしなさい」といっても一向に静かにする気配はなく、「ゲームをやめなさい」と言ってもやめる気配もありません。

 隣の部屋の先生が「うるさい!!」と怒鳴り込んできたことも何回もあります。マーリチキたちはそのときだけはおとなしくします。私のときはぜんぜんしません。依然、サイーチカはなめられっぱなしです。
 マーリチキたちとの授業の前は、戦う気持ちで臨まなければなりません。弱気で戦場に足を踏み入れてしまったが最後、フーリガンチキたちの前でサイーチカは完全にサイーチカとなって崩れ去って終わりです。

 けれど、最近はそんなマーリチキたちがちゃんと座れるようになってきたのです。日によって座れる時間数は異なりますが、徐々によくなってきたのです。マーリチキが「あいうえお」を必死で紙に書いていた日にはとっても感動しました。
 ユーリャと「今日は『なにぬねの』を覚えた」「今日は『はひふえほ』を覚えた」と言って喜び合います。

 「子供たちこそペルミの宝だ」と言ったある先生の言葉を、本当にその通りだと実感します。せっかく日本に興味があって日本語コースをとると決めた腕白坊主たちの小さな決心を、胸に受け止めてこれからもマーリチキたちとの攻防戦を続けていこうとワクワクした気持ちで思います。

ヤンくんのこと

2013年11月21日 | 日記
 教師とは名ばかりのもので、「生徒には分け隔てなく接せなくてはいけません」とはよく聞く格言ですが、やはりそこは人間、そう簡単にはいきません。
 人間と人間ですから馬が合ったり、日本語に一所懸命だったりするとどうにかこの子のためにと応援したくなります。

 ヤン君は、9歳から一人で日本語をはじめ、今は日本語のウィキペディアを読みこなすほどにまでなりました。一度も日本の地を踏んだことがないのに、日本語もペラペラです。難しい日本語を使いこなし、「鬱」の漢字も書けます。この前は「理系は物理や化学を勉強するときに数学の知識もいるから全体に繋がりがあるけど文系は歴史も文学も繋がりの観点から言うと極めてうすい」というようなことを言っていました。

 そんな彼はこの夏、在モスクワ日本大使館で日本国が募集する国費留学生の試験をうけました。受かれば日本からの補助金で日本の大学で勉強できるというスーパーエリートコースです。
これは本当に頭のいいひとたちの集団で、私は一度東大の国費留学生にあったことがあるのですが、彼らの根底に流れる真の頭の良さを感じて、そのスマートさとクールさに舌を巻きました。
 
 ヤン君はこういうひとたちにありがちな、どこかいつも他の人とは違う観点から物事を見ているような、一見不思議な雰囲気をまとっています。博士タイプです。彼の夢はロボットを作ることです。

 ある日、彼が私の教室を訪ねてきて「日本の国費留学生の試験を受けたいけれどどうすればいいかわからない。手伝ってほしい」と言ってきました。彼の真剣な様子に私も心を打たれ、大使館に電話して、試験の制度、過去問の場所、どういう勉強をしていけばいいのかを聞きました。

 試験は極めて難しく、彼の目指すロボット工学がある理系は、物理、化学、生物の中から化学は必須、物理、生物の中から一つ、数学、英語、日本語の試験を受けなくてはならないということでした。問題形式は全部英語です。公表されているのはこれだけで、何人が受験し何人が受かるかの情報は一切公開されていません。ロシアから何人、アメリカから何人、ではなく世界選抜です。見込みのある子がトップから選ばれます。

 電話を切った後、日本語は私と勉強しますが、あとは彼が全部自分でしなければなりません。私は私の日本語の先生にコンタクトを取り、どうやって日本語を指導していけばいいか質問しました。先生は「日本語能力試験の2級や1級を目指すやり方で勉強していってください」と言った後で「かなり難しいですから覚悟してください」とおっしゃられました。

 そして、今、彼はこの最終選考に残っているのです。試験は2日間あり、一日目は物理と化学と数学、二日目は英語と日本語、そこで一旦ふるいに掛けられ、残ったものだけが面接へと進めます。面接の前日、夜遅くまで二人で作を練り、「私はペルミ州の発明大会で第2位になったことがあります。人々はめんどくさい掃除などしたくありませんから、私は忙しい現代人のために家事をこなすロボットを作りたいです。」など、面接での台詞を練習しました。

 試験後、大使館から彼に「在モスクワ大使館はあなたを世界選抜に推薦する」という一報をもらいました。最終選考は来年の一月です。
 今、ヤンくんも私も学校も胸を高鳴らせながらこの最終結果を待っています。
「ヤンくんは、将来、ドクトル・ヤコーブチックになるね」と言うと、ヤンくんはその子供っぽい頬を紅潮させてとっても喜びます。
 

マーリチキのこと。

2013年11月21日 | 日記
 ロシア語で小さい男の子のことを「マーリチク」といいます。それが複数形になると「マーリチキ」です。

 私は、今、このとってもうるさいマーリチキを教えています。学校でも有名な問題児たちです。
英語の「フーリガン」のことをロシア語では「フーリガンチキ」といいます。あまりの腕白さに前の先生も匙を投げたほどのこのフーリガンチキたちが、経験も何もない私のところにやってきたからさあ大変です。週に2日ある授業をユーリャと私で担当します。

 授業の初めの日、あまりのうるささにただただびっくりして見入ったほどの騒々しさです。
まず、マーリチキたちは机に座っていることができません。教室中を歩き回ります。I-Podでゲームをします。
当然、ノートなんていう代物は鞄の中からついぞ出てこないわけです。

 ノートを出させる前に、しなくてはいけないことがあります。
私;「ゲームをやめなさい」
フーリガンチキ;「えーサイーチカ、あと3分だけ!」

 生意気だけど頭のいい彼らは、完全に私のことをなめきっています。
彼らが私を「サイーチカ」と呼ぶのは、「さや」の名前の愛称形で、ロシアでは「ドミートリー」を「ミーチャ」と呼んだり、「ミハイル」を「ミーシャ」、女の子の名前だと「アナスタシア」を「ナスチャ」「アーニャ」と親しみを込めて呼ぶものです。
彼らは別に私のことを親しみを込めて呼んでいるのではなく、完全になめきっているのです。

 だから私も言ってやりました。
マーリチキ;「サイーチカ、トイレに行ってもいい?」
私;「HET!!ニエッーーーーーート!ダメ!!!」だと★

楽しい時間。

2013年11月21日 | 日記
 2か月前からプールへ行き始めました。
学校のプールをただで使わせてもらえるので、授業が終わった後の水曜日と土曜日の夜はプールの日です。
授業後の生徒との会話も早々に切り上げ、足早にプールへ向かいます。
これから本格的な冬へ向かうロシアの貴重な運動時間です。

 この間、プールで泳いでいたら一人の女の子が「一緒に泳ごう」と話かけてきました。名前はイリーナと名乗りました。少し浮世離れした不思議な子で、私がゴーグルの買える場所を尋ねていたら、自分のゴーグルを貸してくれたり親切にお店の場所を教えてくれたりしました。

 そして、今日、泳いでいたら、再度イリーナに会いました。一緒に泳いでいる最中、イリーナは何歳?とか、どこの学校に通っているの?とかそいういう他愛のない会話をしました。イリーナは「10歳」だと答えました。そして「学校には通ってないの。家で家庭教師の先生と勉強しているの」といいました。不思議に思いましたが「ロシアは学校で勉強するのと家で勉強するのと選べるんだね」と私も言いました。

 イリーナのお母さんはアーリャといいました。アーリャが「今からお茶に来ない!?」と誘ってくれました。イリーナの家へ行き、夕飯をご馳走になりました。アーリャから、イリーナは糖尿病だから学校に通えないのだと聞かされました。普通の子よりも疲れやすいので、連続で勉強することができないらしいのです。それを聞いたときに、イリーナがどうして私を誘ってきたのか、イリーナのもつ浮世離れした雰囲気はどこから来たのか分かった気がしました。どこか世間にもまれていない森の中からでてきた妖精のような空気感をまとっているのです。

 アーリャはやはり、イリーナの病気が気がかりらしく、中国へ行っての針療法をさせたいと話していました。
そして私に日本語コースや中国語コースの授業料などを聞いて熱心にイリーナに勧めていました。けれどイリーナは「英語だけで十分」と言って取り合いません。
食後は、イリーナは私に手品を見せてくれたり、アーリャと三人で一緒にYoutubeを見たりしました。

 家に帰ってきてルームメイトのユーリャに「どこに行ってたの?」と言われました。事情を話し、話し終わった後、「すごく楽しかった」といいました。「なんでこんなに楽しかったんだろう」と考えてみると、イリーナが日本語にまったく興味がなく、一人の人間として接してくれたからだと思いました。私は日本語の先生なので周りの生徒とはなるべく平易な日本語でレベルに合わせた文法を使って話すよう心がけます。これは私の仕事だからです。それに、この地方都市のペルミでは日本人は珍しいので、私が日本人であるからこそ誘ってくれることもたくさんあります。

 けれど今日はそうではなく、イリーナとアーリャは好奇心からではなくて自然な心でお家に呼んでくれ会話してくれました。これは私にとって非常にうれしいことです。気楽なのです。心から安らげ楽しめました。
家に帰ってきて、無事に帰った旨をアーリャに電話しました。電話を切った後、「やったー!!友達ができた!!」と叫びました。