ロシア日記

~ペルミより愛を込めて~
日本語教師と雪のダローガと足跡

~サンクトペテルブルグ~
雪の上の足跡

ロシアと墨絵とおたんじょうび

2013年01月24日 | 日記
 今日は私のお誕生日でした。
 そしてなんといっても孤独なので、誰にも言うまい、と思い学校へ向かうと、エレーナ先生が「お誕生日おめでとう」と言ってくれました。教室には風船が舞っていました。ルドミーラ校長先生もペルミの象徴である熊の像をプレゼントしてくれました。同僚のミハイルも中国語でお祝いの言葉を言ってくれました。生徒や先生からも、ロシアのスカーフやグラジオラスの鉢植えや馬の皮でできたペルミの伝統的な小物入れと腕輪のプレゼントをもらいました。最近は孤独感も相まり、そういった温かさの狭間で泣きそうでしたが、それは恥ずかしいのでぐっとこらえました。
 写真は生徒の16歳の女の子、アンジェリカが描いてくれた墨絵です。感激してしまいました。さっそく殺風景な私の部屋に飾るとします。アンジェリカが墨絵の先生も紹介してくれたので、私も行ってみることにします。日本で墨絵を習う機会などなかったのにここロシアの地で墨絵を習うことになろうとは不思議な運命の巡り合わせの気がします。それにこのペルミで生き抜くために何か楽しみが必要です(●´ω`●)


ペルミの孤独

2013年01月22日 | 日記
 Blogだからといって楽しいことばかり書くのはやめましょう。海外でのつらいことや落ち込むことも書き記して、今海外にいるひとやこれから海外へ行くひとの足掛かりとしましょう。心を落ち着かせる場所ですね。けれど、それを忘れて落ち込むのが海外で生活するということ。もっとも日本でもどこでも生きている限り、そのようなときはやってくるものですが、このロシアで落ち込むと、寒くて凍えて雪しかない中に一人で…みたいな気持ちになるのでご用心です。
 疲れた仕事帰りに立ち寄ったスーパーで、胡椒の場所を店員に聞き、仁部もなく「知らない」の一言を返されたりすると、いったいあの太ったおばさんは何が楽しくて生きているのだろう、と悪態をつきたくなります。私の好きな言葉で、「人生はゲームのようなもの」と言ったイタリア人の言葉がありますが、人生をチェス盤にして例えると、自分はその上を動くコマのようなもの、達観し人生劇場の一員として自分をギャグにして笑ってみる、そんな意味合いが込められているように思います。それに比べるとロシアの人は、人生を真剣にとらえ過ぎて楽しむことを忘れているような気がします。(だからあのような素晴らしい文学が生まれたのかもしれませんが。)日本のあの人工的な笑顔も気持ち悪いですが、もう少しにこやかにしたほうが仕事をしていてもお客さんと接していてもお互い気持ちいいのではないか、と思います。なんていうか、彼らは全体的に投げやりなんですね。笑 さっさとこの場をやっつけてとにかく時が早く流れればいい、というような。
 もっと書いてしまうと、そんな中で、たまにこちらの尋ねたこと対して丁寧に応対して教えてくれたり、道を聞いて返答してくれるだけで、感激してしまうのですね。でもそれは10%くらいの割合のような気がします。聞いても無駄なのかな、とかまた冷たく返されるだけなのかな、とかそういうことを思うとこちらも積極的に聞いてみようという気持ちが萎えて尋ねる回数も自然と減ってきます。一日を過ごす上で、何気ない会話や人との触れ合いが、一瞬を明るくし、そういう積み重ねが人生を象っていくと思うのですが、今のところ私の方もだんだん内向的になってきますし、難しいです。
 そんな中、仕事場では何人か気さくに話せる同僚ができました。一人はミハイルといい、彼はアジアに興味があるらしく、中国語は堪能、歴史にも興味があるらしく、彼が書いた中国の歴史についての本を見せてもらったときは驚きました。厚い立派な本でした。彼は日本語にも興味があるということで、今は一日一語の割合でオフィスで一緒になると日本語を教えます。
けれどもそんな彼ですら、やはり気分によっては話したくない日もあるようで、ある朝は挨拶の言葉は発しても目は交わさないというようなこともあります。そういうときは私も何も言わずに黙々とパソコンへ向かって作業に没頭します。下手な気遣いをして自分を疲れさせない、あくまでマイペースとも言えます。ロシア式なのだなと思います。
 ある日、私は彼の部署の女の人に用があり、彼に「あの女の人の名前は何?」と尋ねると「知らない。僕はまだこの会社に入って1週間だから」という答えが返ってきました。笑 まだ一週間とはいえ、せいぜい同僚5人の小さな部署です。ましてや新米なのだから率先して名前を覚えるのが礼儀ってものじゃないの?と日本人の私は思います。仕方ないのでそのときは名前を呼ばずに用事を済ませました。
2週間経ち、私はまたミハイルに「あの女の人の名前は何?」と私はまた同じ質問をしました。そしたら彼は「知らない。僕はまだこの会社に入って2週間だから」と言いました。「まだ」じゃなくて「もう2週間」なんじゃないの?と思いましたが、どこまでもマイペースといえばマイペース、他人のことを気にかけないロシア社会の一端を垣間見たような気がしました。
 

ロシアの夜明け

2013年01月20日 | 日記
 しばらくブログをお休みしていました。理由はいろいろあって一番の問題は孤独からくる寂しさでしょうか。「孤独」などと書くとずいぶんと大げさに思われるかもしれませんが、これは海外で家族もなくひとりで生活した者にしかわからない、新しい発見の感覚です。生活にも慣れ、仕事にも慣れ、何を見ても新鮮だった真新しさの非日常の世界が、徐々に日常に変わるころ、それは音もなく忍び寄ってきます。ある日、突然、予知もなく涙が一粒頬をつたい、それが後からスースースースー止めどなく流れてきたときには驚きました。自分でもいったいどうして涙が流れてくるのかわからないのです。けれどそれは翌日も続き、翌々日も続くのです。それからは泣くことが新年の日課になったかのように、毎日涙が出てくるようになりました。寒さ以外の何もない中でひとりバスを待っていたり、教室で授業の準備をしているときなど、油断したら涙があふれてくるのです。寒い外から少し頭が痛いなと思いながら速足で帰ってきた後、ふと寂しいなと思ったり、お釣りを間違えた私に対して太ったおばさんの対応が冷たかったり、そんな日常の些細なことが積み重なり、何もかもが初めての環境で、この一か月分の張りつめていた糸がプツンと音もなく切れたのでしょう。
 よく海外赴任が決まった男の人が、プロポーズしてから新妻を伴い現地入りする話を聞きますが、それがわかる気がします。異国で一人の生活は、男の人はとてもじゃないけど耐えられないかもしれませんね。そして、女が一人で異国に生きるというのは、並大抵のことではない気がします。これを乗り越えたらきっと可愛げもないひどく強い女になるのでしょうね。笑 早くその日が来ることを祈ります。



あけましておめでとうございます。ことしもよろしくお願いします。

2013年01月10日 | 日記
 新年あけました。おめでとうございます。
昨日から授業が始まりました。休み明けの初仕事ってどうしてこんなにブルーなのでしょう。結婚してないのに、専業主婦の道を取りたくなってしまします。けれど人間とはすごいもので、始まってしまえば、身体が慣れるていくものなのですね。生命が授かった「慣れるという能力」は本当に感嘆ものです。ビバ慣れる能力!
 そして新年初の授業は、ナスチャとソーニャというふたりの16歳の生徒に年賀状を書かせてみました。ふたりとも本当に可愛くて賢くて可憐なんですよ。絵を観ればわかっていただけると思いますが、ふたりとも絵がとっても上手で、夢は日本の博物館に勤めることなのです。
 楽しんで描いていた二人の様子と、年賀状の素晴らしさに、お正月早々なんだか素敵なプレゼントをもらったようで、今日の帰り道の足取りは軽かったです。

ロシアのハチミツのヒミツ

2013年01月08日 | 日記
 これは何だと思います?答えはハチミツです。
 ハチミツとは、日本で育った私の感覚だと常に黄金色で一種類なのかと思いきや、そうでもないみたいです。ロシアは何十種類ものハチミツが売っています。蕎麦の花やアカシアの木や菩提樹の木からのハチミツもあるらしいのです。私も幾種類か味見をさせてもらいましたが、どれも質感や味が違います。私は昔から、乳白色に惹かれるたちで、川の白い濁流や温泉、にごり酒は大好物だし、石の置物なんかも白くマーブル状に渦巻いているものなんかに落ち着きを感じます。ということで、このハチミツ売場でも、一見、セメントみたいな白いハチミツを買ってみることにしました。これはキレイの木からとったもので、質感は日本のトロトロしているものとは違いもっとしっかりと歯ごたえがあり、味も舌の上でとろけるというよりは、何か駄菓子の練子のようなねっとりとした味わいでした。家に帰ってヨーグルトの上にのせても、当然混じり合うはずはなく、選択を失敗したかなと思いました。けれどもう一つのカシタンの木からとったものは、見た目もトロトロの馴染んだハチミツの外見で、味は甘い中にキリッとした苦さがあり、ヨーグルトとも溶け合い、素敵な味のハーモニーを生み出し、こちらは気に入りました。