ロシア日記

~ペルミより愛を込めて~
日本語教師と雪のダローガと足跡

~サンクトペテルブルグ~
雪の上の足跡

ロンドンタワーブリッジに花咲く ニューイヤー花火

2013年12月31日 | 日記
 夜は、ヨハンの大学の屋上から、ロンドンタワーブリッジ上空に花咲くニューイヤー花火を見ようということで、ヨハンのガールフレンド、ターニャもやってきました。ターニャは中国人の母とイギリス人の父を持つロンドン育ちのイギリス人で透明感のあるすらりとしたスレンダー美女です。日本にも1年半住んだことがあるということで、戻りたいと言っていました。まっすぐロボット作りの道を進むヨハンは、適当に日本に何年か住んでまたイギリスに戻るという考えはよくないと言ってターニャをたしなめていました。もはやヨーロッパで就職するということは、ビザのいらない今となってはヨーロッパ全土での戦いだからです。身を持って体感してきた人の声は胸に響きます。

 夜、9時も過ぎるとKing’s College Londonの建つ通りはタワーブリッジに向かう陽気に騒ぐ人の群れで溢れかえります。ビールを買おうと店に立ち寄ると入口の前に行列ができていて店内に入る数も制限されていました。ともかくビールを手に入れた私たちも人の波にジョインし、大晦日のロンドンに足を弾ませます。

 花火が打ち上げられるタワーブリッジ周辺は、群衆で溢れかえり、その熱気と共にロンドンの雨も降ってきました。花火が始まりました!藍色の夜空にパッと花開き続ける花火たち。心もパッと明るくなります。2014年1月1日の始まりです。ロンドンで新年を迎えたということで、ヨハンにもターニャにも「明けましておめでとう」を言うのを忘れてしまったけど、「明けましておめでとうございます。どうぞ今年もよろしくお願いします」。


花弁の指輪

2013年12月31日 | 日記
 アーティストたちが集まり、作ったものを売る一画に足を踏み入れました。
 一番最初に目に飛び込んできたのは、ギリシャ出身の女性が作るシルバーの指輪です。シルバーで風に揺れているように大きめの花弁がかたどられ、ちょっと巷で見られないような珍しいデザインです。おまけにエレガントです。値段を聞いたら20ポンドということでした。今の換算で3400円ほどです。久しぶりにアーティスティックな素敵なものを見たのでかなり心が揺れたのですが、あまり指輪をしない自分のことを思って結局買うのをやめました。興味を示した後で立ち去る私にもギリシャの女の人は「バーイ」と愛想よく挨拶し、愛想のないロシアに長らく住む私にはそれも感激でした。

 今でもあの指輪を買えばよかったと思い出します。アイルランドで会う友人ナヨミにあげることもできただろうし、旅先で出会った気に入ったものはその時買わないと一生買えないので、心を残すより買ったほうがいいと思いました。

Camden town

2013年12月31日 | 日記
 「とにかく可愛いものが見たい」という私に、ヨハンが連れて行ってくれたのは、Camden townといういろいろなアーティストが集まり物を売る、屋台の並ぶオシャレな地区です。
 
 イギリスらしく雨が降り、ヨハンが貸してくれた大きすぎる傘をさして歩きました。食べ物の屋台には、中華、インド、タイ、洋食やさんが並び活気に満ちていました。久しぶりの異国の料理とその活気にうれしくなって、中華料理を食べたいと思いました。炒飯、ヌードル、酢豚、鶏肉の甘辛煮、肉団子、鶏肉揚げ、何種類ものとろとろのたれに絡められた美味しそうな料理が並んでいました。
 
 私は久しぶりのチャーハンとその上にかける甘酢あんかけ酢豚を選び、屋台のお兄さんたちは箱に詰めてくれている間も、「これも味見してみな」と次々に盛っていきます。久しぶりに商魂交じりの美味しい活気に楽しくなり、結局2箱も頼み、インド料理のヨハンの分も合わせたら3箱も二人で食べることになり、久しぶりの活気に胸だけでなくおなかもいっぱいになりました。

ヨハンと日本

2013年12月31日 | 日記
 4年前に東京で会ったときは、ロンドンで再会するなんて露程も夢にも思いませんでした。

 「元気?」
 「なんでロンドンにいるの?」

 ヨハンはもともととってもお喋りで一つ質問すると十ぐらいの答えが返ってきます。私は昔からお喋りな人が好きで、なぜなら、自分から喋らなくても向こうが勝手に喋ってくれるから非常に楽なのです。おまけにヨハンは話術の才能に長け、話題も豊富で、歴史、政治、ロボット工学、語学、7年住んだ日本社会への観察眼鋭く、知識が豊富で勉強していて努力していて、とにかく頭がいいのです。しかもこれらを何不自由なく日本語で話すのでただただ舌を巻くばかりです。彼曰く、いくら韓国語と日本語は似ているから学びやすいといっても彼の熟語のストックの多さ、ことわざ、四文字熟語、敬語の正しさは並大抵の努力で習得できるものではありません。そんな彼でも「やっぱり自分の専門のロボット工学以外のことを本で読もうとすると、歴史小説なんかは知らない言葉が多すぎて読めない」というのです。その辺の発言も本当に言語習得を極めた人の言葉だと感心し、最大限に努力して限界を知った賢人の言葉だと思いました。

 彼は日本の大学で7年間、ロボットの研究をし、7か月前にロンドンに来ました。彼自身は日本に残りたくて日本の大学の方々に准教授の座の履歴書を応募したらしいのですが、意に沿ったところへ雇われるのは難しく、唯一、採用してくれたのがこのロンドンの由緒正しいKing’s College Londonだったということでした。

 「ロンドンン生活はどう?」
 「楽。日本みたいにプレッシャーがないから。日本で一番大変なことは知ってる?人間関係だよ。日本は強い人には誰も逆らわないんだ。その代わり、下っ端はとことん苦労する。だから、僕は日本で准教授になりたかったんだ。生徒は誰も逆らわないから。教授からは何か言われるかもしれないけどね。だけど、日本で外国人が准教授になるのは難しい。生徒の論文を直してあげるという作業が発生するから、完璧な日本語ができないといけないんだ。僕の知り合いのイタリア人の研究員も日本人の奥さんと結婚して10年は日本で契約で働けたけど、やっぱり日本で教授としては残れなかった。今度イギリスに来るよ。話すのは問題ないけど論文の訂正ができないから。日本は基本的にすべて日本語で行われるから、そういう意味で外国人が教授になることは非常に難しい。こっちは違う。教授の大半がイギリス以外の国から。日本人は、学会とかで『日本の大学に所属してる』っていうと『あっ、そうなの君、どこの大学?』と教授は聞いてくるのに『イギリスから来た』っていうと態度が変わるんだ。『あっ、そうなんですか。どちらの大学からなんですか』って、いきなり敬語になるんだ。」
 日本社会の状況と教授が目に見えてわかり私も久しぶりに型にはまった日本社会を思い出しました。

 ロンドンの地下鉄で小銭しか使えない切符売場の機械を
「どうして日本以外の国はこんなに非効率的なんだろう」
と言う私に
「えっ、知らないの?日本がどの国より非効率的なんだよ。社会の中でルールがたくさんあって例外は認めないんだ。ルールがないところで何かしたい場合は必ずNO. 学会へ行くときの飛行機代も絶対何日間かの休暇は認めないし、一度友達と空港で会うために10時間のトランジットタイムをとったら、この10時間は何をしていたんだって突っ込まれたよ。業務のためと言えばすべて許されるけど、それ以外は一切認められない」
 私はお昼時間を1分過ぎたら注意を受ける日本社会を思い出し、戻りたくないと思いました。

 彼が私にくれたイギリスの名詞は、ペラペラの薄っぺらの紙に明らか彼自身がハサミでジョギジョギ切り取ったとみられる点線の裏書が見えました。あまりの適当な名刺に「こんなんでいいの?」と聞いたら「いいの。いいの。こっちは誰もそんなこと気にしないから」という答えでした。「あと、こっちのいいところは差別のないところ。いろんな人種がいるから差別がまったくない」
 ロンドンの街を見渡せばインド系イギリス人が非常に多く、大英博物館に絵の見学に来ていた学校の子供たちのほとんどがインド系でした。
「植民地も100年支配されたら、支配している国が好きになるんだよ。日本は韓国を38年で終わってしまったからイギリスのようにはいかなかった」


 彼が韓国人故に日本で受けた差別の話もとても可笑しく、笑ってしまいました。彼は何が差別で差別じゃないかもよくわかっていて、私も日本人として日本人社会を知っているので、彼の話す情景が目に見えてわかり、事実をただ受け止めて巧みにそれを交わして日本社会を生き抜いたヨハンはやっぱり本当に頭のいい人だと感心しました。


 「日本にいるときのほうがプレッシャーがあった。業績を出さないといけないと思ったから。こっちはそんなこと誰も言わない。誰も気にしない」と言ったあとで、大きなため息をついて、「だけどあの緊張感が懐かしいんだよ」と言いました。ヨハンの言葉の端々から日本への思慕が感じられました。ヨハンの日本への思いは、私のロシアのようなもので、飛行機のロシア人夫人にどれだけ悪いことを吹き込まれても、惹きつけられている気持ちはそう簡単には離れてはくれないのです。







ヨハン of King's college

2013年12月31日 | 日記
 翌日、イングリッシュブレックファーストを期待していたのですが、安宿のホテルはただのコンフレークとミルクとヨーグルトで、簡単な朝食を済まし、ヨハンとの待ち合わせ先に向かいました。途中で会ったロンドン市内観光ツアーのバスの客引きの紳士が話すブリティッシュ・イングリッシュに嬉しくなりました。乗りたかったけれどツアーが3時間というので諦めました。
 
 立ち寄ったサセックス・ガーデンは芝生が綺麗な黄緑色で、ロンドンの空は灰色でした。グリーンのピカデリーラインでヨハンの勤めるKing’s College Londonのあるテンプル・ステーションへ向かいました。私はロンドンのメトロも大好きで、東京のそれより小ぶりで路線図もわかりやすく各駅の距離も近いです。テンプル・ステーションはロンドン市内の中心に位置する駅なのに、改札は一つしかなく、改札を出た右にはテムズ川が悠々と流れています。テムズ川とその向こうにあるロンドンブリッジを眺めたあと、反対側にあるKing’s College Londonを目指しました。ヨハンとの待ち合わせの時間にまだ少しあったのでKing’s College Londonの隣にある美術館の中庭にできたスケート場を眺めました。ロシアから来た私にはちっとも珍しいものではありませんでしたが、都会のリンクでスケートを楽しむ人々はとってもお洒落に映りました。

 約束時間の午前11時にKing’s College Londonの正面門で待っていると、丸々太った懐かしいヨハンがやってきました。丸顔の童顔も相変わらずでした。

ロンドン着

2013年12月30日 | 日記
 我の強いロシア夫人の意見をずっと聞いていたせいで、なんとなく自分の将来も不安に感じロシアへの愛も確信を持てずに挫けそうな気持ちになりながら、空港からパディントン駅にあるホテルまでの地下鉄を探しました。
 
 同じような旅行トランクを引いたアジア人の男の子と、なんとなく地下鉄までの長い道を同じ方向に互いのトランクをガラガラ引きずりながら、言葉を交わし始めました。
その子はこれから2時間かけて戻るバースというイギリスの古い街で電子学の勉強をしていて、今回の休暇では彼女に会いに中国に戻ったということでした。嬉しそうに、彼女に会えたことを話す姿が微笑ましく「何年付き合ってるの?」とか「離れていて寂しくない?」などと質問しました。

 話題が食べ物の話に移り、
「イギリス料理はおいしくないから自分で鍋料理を作っている」
「中に何を入れるの?」
「肉団子。肉団子は日本にもあるの?」
「鳥の肉団子を入れるよ。鍋はいいよね。簡単だし」
「だけどそのあと具が鍋に引っ付くから洗うのが少し面倒」

 少しの時間の他愛もない会話でしたが、それが耳に心地よく響きました。
その子が一足先の駅で降りてしまった後、一人になった夜のメトロで急淋しさが襲ってきて、早く明日になって友達のヨハンに会いたいなと思いました。ヨハンとは、私が日本でゲストハウスで働いていたときに知り合った韓国人の男の子で、今回ロンドンへ行くということで4年ぶりに連絡をとりました。彼は快く、大みそかとハッピーニューイヤーを一人で過ごしたくなかった私に、一緒に過ごせるからと言ってくれたのです。ペルミに来てから私の体質は変わってしまったようで、どうにも淋しさが襲ってくるようになってしまったのです。淋しがりやなどという言葉には縁がなかった私に、どうしてかこの1年前から淋しさが身にしてみて仕方がないのです。昔は一人でどこにでも行き、気楽な一人旅しか考えられなかったのに今は一人では寂しすぎて誰かと一緒に旅行したいのです。パディントン駅につき、Pread Streetの白いホテルで一人になり、早く一人から脱出したくて久しぶりのロンドンを楽しむ間もなくさっさと寝てしまいました。

SU206 ロンドン行機上

2013年12月30日 | 日記
 ロシアのことが嫌いなロシア人は自国をとことん罵ります。腹の底から嫌悪するのです。
慣れ親しんでいるであろうロシア料理ですら嫌悪の対象です。平気で不味いと言い放ち、大嫌い!と豪語します。

 ロンドン行の飛行機の隣に乗り合わせたにこやかな金髪夫人はHow’s doing?! と気楽に話しかけてきたあたり、この夫人はてっきりイギリス人なのかと思ったら、実は上述のロシア人でした。そのあまりのフレンドリーでにこやかな表情にてっきり騙されてしまいましたが、彼女の言葉の端々からロシア批判が噴出しました。隣に座っているのは彼女の2番目の夫であるアメリカ人で、ニューヨークで出会い半年後に結婚したということで、ロンドンへは休暇で遊びに行くということでした。

 ニューヨークはこの上なくlovelyということで、私が好き好んでロシアに暮らしていることを聞き、「早く脱出しなさい」とか are you crazy? とか「ロシア人を信用してはだめ」とか、法律関係の仕事をしているらしい彼女は、現在私が雇われている学校の体制批判をしたりしました。彼女曰く「国民を信用しない政府をどうやって信用できる?」ということでした。骨の髄までロシアを憎み切り、身も心もアメリカ人に成り代わった彼女を見ていて、自国のことをそこまで悪く言うのもどうかという気がする一方、確かに彼女の言うことも一理あるのです。ロシアはどこか信用ならない国なのです。けれど震災後の日本ももはや信用できないので、結局は最後は自分の判断で生きていくしかないんだとも思いますが。


ロンドンの夢

2013年12月30日 | 日記
 今回のウィンターバケーションの行き先をロンドン兼アイルランドにしたのも、大学の時に読んだアイルランド小説の地へ実際に行ってみたかったのと、その際にロンドンという活気ある都会を経由するということで決めたのです。
 ロンドンはこれが3回目になりますが、私は初めてロンドンを訪れた時からこの都会的な街が好きだったのです。古いものと新しいものが融合するロンドンは、ファッショナブルでクールでスマートです。そんな街を往来するあのスタイリッシュな赤いバスも大好き。イギリス男がブリティッシュ・イングリッシュを喋っているのを聞くのはこの上なくシビレルもの。パブも楽しみ。素敵な雰囲気でお酒を飲めるあの都会の雰囲気も味わいたい。コンベントガーデンで冬のセールのロンドンで可愛い小物たちも買いたい。
 都会の夢は広がります。


冬休み ーロンドンへー

2013年12月30日 | 日記
 12月30日、待ちに待ったロンドンへ飛びました。
 飛行機の時間は、午後2時ペルミ発、午後9時ロンドン着です。本当はもっと早い時間に飛び立てる便もあったのですが、不精な私はどうしても飛行機の時間に合わせて早起きするのが面倒で、午後の遅い出発便を選んだのです。ペルミからモスクワまで2時間。時差が2時間なので、ペルミを2時に飛び立ちモスクワに着いても時刻は2時のままです。

 すっかり馴染みになったモスクワの空港で5時間待ち、ロンドン行へ乗り込みます。このトランジットタイムのためにさんざん迷ってノートパソコンを持ってきました。手すきになると思ったからです。けれどそのパソコンは一度も開けることなく、ほとんどの時間をぼーっとして過ごしました。たまたま繋がった日本の友達のとのスカイプで近況報告をし合い、3000円もする大したことのないお肉の盛り合わせを食べ、不思議と「今年も終わった」というような感慨も湧かずに、「どうして湧かないんだろう」と考えました。

 おそらく日本のあの忙しない師走を体感してないからなんだろうなあと結論付けました。学校と家の往復で、忘年会というイベントもなく、淡々と12月のカウントダウンまで来たからだと思います。あの日本の煌びやかなネオンの光や人混みを味わってないからなんですね。

 日本にいると商戦絡めのクリスマスやお正月やバレンタインが過剰で鬱陶しいものに思えるのですが、ロシアにいるとあの煌びやかさがやけに恋しくなったりするのです。東京育ちの私には田舎暮らしがかなり性に合わないと見え、見るものすべてが目新しかった1年のペルミ生活を終え、2年目の今、その事実が明らかになってきました。ルームメイトのユーリャは、「東京育ちのさやさんには都会しか合わないんだよ。札幌育ちのあたしとは違いますから」とからかいます。


クリスマスツリー

2013年12月23日 | 日記
 劇場の帰り、モミの木を買って帰りました。
生きた本物のモミの木を飾るのは初めてです。
帰りのバスの中でモミの木を抱えながら、生きたモミの木を買える国に住めて幸せだと思いました。
来週いっぱいで終わる授業の心配もなく、あとはひたすら冬休みを待ちわびるのみです。
今、モミの香りが部屋中に漂っています。

緋色の帆

2013年12月23日 | 日記
 『緋色の帆』は、ミュージカルの中でも特に好きになり、何度も同じ劇を観に行こうと心に決めたものです。
 ロシアの作家、アレクサンドル・グリーンの原題≪Алые Паруса≫は、アリエという女の子がひたすら王子様を待ちわび、やがて成長したアリエの元へ、緋色の帆を掲げ、王子様である海兵がやってくるという単純なおとぎ話です。
 
 音楽も構成も俳優も素晴らしく豪華でセクシーで心行くまで楽しませてくれます。
最後の緋色の帆を掲げキャプテンがやってくる場面は、音楽と相まって観客の心を高揚し「こんなおとぎ話があってもいいかも」と思わせてくれます。
「これでまた日々をやっていける」というような気持にもさせてくれました。
 
 すっかり気にいってしいまい、二度、三度と見に行くようになりました。そのたびに俳優の組み合わせも変わり、あの女優のするアリサの方がよかったなとか、キャプテンもお気に入りの俳優ができました。
 そして今期の劇場通いはダントツ『緋色の帆』のために費やすのだろうと今から予想するくらいの熱の入れようです。

8人の女たち

2013年12月23日 | 日記
 ロシアは劇場が本当に充実しています。
 そしてバレエもコンサートもオペラもミュージカルも600円から1500円出せば、質の高いパフォーマンスを見れるから感激です。

 私が最近はまっているのは、ミュージカルです。
 今日は『8人の女』を観てきました。ステージと観客席が近く、生の演奏者たちと共に役者が演技をするのですごく贅沢な気分になれます。
  映画とは違うバージョンだったらしく、メイド役のエマニュエル・ベアールが「恋は命がけ♪イチかバチか~♪」と歌う曲を期待していたのですがそれはなくて少し残念でした。
 サックスを弾いていたお兄さんがとても素敵でした♪

バフチサライの泉

2013年12月21日 | 日記
 本日のバレエ鑑賞は、かの有名なプーシキンの『バフチサライの泉』の詩から作られたバレエです。
バレエ鑑賞のいいところとポイントは、前もって物語のあらすじを勉強してから行くことです。そうでないと私のような素人には美しい人々がぴょんぴょん飛んだりクルクル回ったりしているだけの鑑賞で終わってしまうからです。せっかく観に行くのならちゃんと物語を把握して、今は「ヒロインが悲しんでいるところだな」とか「王子が求愛しているところだな」とかそういうのをわかって見たほうが数倍楽しめると思うのです。

 そしてバレエ鑑賞のいいところは、その国の言葉がわからなくても台詞がないのでロシア人の観客と対等な気持ちで見れていると思えることです。他の国に住むということは、言葉が通じないで心の奥底まで悔しい思いをして時に苦しむことが多々あるからです。

ということで今回も『バフチサライの泉』を見るにあたり、ウィキペディアでお勉強してから行きました。

 ポーランド貴族の娘、マリア・ポトツキーは、愛する婚約者もいてとても幸せに暮らしていたが、そこへギレイ率いるタタール軍が侵入し皆殺しにされる。マリアの美しさに打たれたギレイは彼女を宮殿に伴う。それまでギレイから一番愛されていた寵姫ザレマは怒り狂う。
 バフチサライの宮殿で暮すようなった後もマリアは故郷を偲び、ギレイに心を開くことはなかった。マリアへの嫉妬で激情に駆られたザレマはマリアを刺し殺してしまう。怒りのあまりギレイはザレマを処刑する。
 バフチサライの泉に傍らで物思いにふける彼の脳裏からマリアやザレマの面影が消えることはない。

原書はこれです。 

Гирей сидел потупя взор;
Янтарь в устах его дымился;
Безмолвно раболепный двор
Вкруг хана грозного теснился.
Всё было тихо во дворце;
Благоговея, все читали
Приметы гнева и печали
На сумрачном его лице.
Но повелитель горделивый
Махнул рукой нетерпеливой:
И все, склонившись, идут вон.

Один в своих чертогах он;
Свободней грудь его вздыхает,
Живее строгое чело
Волненье сердца выражает.
Так бурны тучи отражает
Залива зыбкое стекло.
  (以下続く)



うつろなる目付のギレイは坐しけり
琥珀の煙管をくゆらせつつ。
恐れ多き汗(カン)の傍らに
集う無言の従僕たち。
音ひとつなき宮殿にて
みな仰ぎてこそ知れ
彼の人の陰鬱たる顔に出づるは
怒りと悲しみならんと。
されども君主は誇り高し
荒々しく手を振るや
一同頭を垂れて立ち去りぬ。

大広間にただひとり
ほっと一息つくままに
なおも険しきその額や
騒ぐる心を示すらん。
うす暗き嵐の雨雲の
入り江の水面に映ゆるごとく。


 途中、踊り子の一人に日本人らしきバレエダンサーが出てきました。遠くからだったのでよくは見えませんでしたが、黒い髪と小柄な体系が日本人を思わせました。ここペルミはバレエの水準が高くバレエ学校にも日本人の留学生がいます。だからそこの卒業生かもしれません。

 バレエの一番いいところは、本物の非日常を味わえるところだと思います。この上なく優雅だからです。
けれど一度、舞台裏からバレリーナたちが踊っているところを見たことがあるのですが、その締まった筋肉で踊る躍動感は、真に体を極限まで酷使し訓練を重ねた者のある姿という印象を受け、優雅さはまったく感じませんでした。
厳しい鍛錬を積み重ね、遠くから観る観客に優雅さを与えるというアントニムが生まれるのです。



ヤンくんの合格発表

2013年12月19日 | 日記
 ヤン君が、国費留学生試験の合格通知を掲げてやってきた夜、私とユーリャとヤン君は3人で抱き合って喜びました。その夜は、この月に18歳になるヤン君のお誕生日会も合わせて行いました。

 これで、ヤン君は日本への、世界への片道切符を獲得したわけです。

 他の生徒が来れないある日の授業で「ヤン君、今日はヤン君だけだからヤン君のやりたいものをしよう」と言いました。すると彼が印刷してきたものは、日本語バージョンのウィキペディア「磁気浮上式鉄道」というもので、私には日本語はわかるけれど中身がさっぱりわからないたいそうなものです。

「磁気浮上式鉄道(じきふじょうしきてつどう)とは、磁力による反発力または吸引力を利用して車体を軌道から浮上させ推進する鉄道である。英語で磁気浮上を表す"Magnetic levitation"を短縮しマグレブ (Maglev) ともいう。磁気浮上式鉄道はその近未来性からリニアモーターカーの代表格でもある。1971年、西ドイツで Prinzipfahrzeug が初めての有人走行に成功した。」

この文章から始まり、ヤン君がわからない言葉を紙に書き出し、私とは日本語と意味を確認しながら進めます。横で見ていたら、反発力と書き出した横には「 >< 」このような記号で反発力を表し、吸引力の横には「 <> 」と書き足していました。やはり理系の頭は違うなと感心しながら見ていました。

「現在、上海トランスラピッドとHSSTの愛知高速交通100L形(リニモ)が実用路線の営業運転を行っている。なお、超電導リニアによる中央リニア新幹線にあっては、東京 - 名古屋間で2027年の先行開業、さらに東京 - 大阪間で2045年の全線開業を目指して計画が進められている。」

この箇所を読み終えたとき、「日本人はすごい」と彼が言うので、「ヤン君がすごいよ」と言いました。

社員旅行

2013年12月15日 | 日記
 社員旅行へ行ってきました。
私の学校は日本と取引を行っている会社が併設されていて、ルームメイトのユーリャはそこに雇われている通訳です。私がここに雇われているわけではありませんが、日本語コースはこの会社の経営者であるアレクセイさんが始めたビジネスでもあるので、私もひょっこりついていきました。
 
 ロシアの社員旅行は日本のように若手が上の人に気をつかってお酌したりと仕事の延長のようなことはまったくないので、社員も自分の奥さんを連れて参加したりと、みんな進んで「行きたい!」というような雰囲気です。
 
 チャーターされたバスでペルミ市内から2時間くらいの田舎のロッジへ行きました。
ついた途端、さっそくロシア式サウナであるバーニャが始まりました。風邪気味の私と若手のユリアは恥ずかしいと言って入りませんでした。バーニャの隣の部屋で紅茶を飲み、みんなの雪へダイブを待ちます。
そのほかの人は、水着に着替え男女混合サウナが始まり、そしてサウナで体を温めた後は、決まってロシア式、雪にダイブの儀式です。
 この週に韓国から到着した韓国語の先生であるキムさんも若くて男だからという理由で、まだロシアに慣れてもいないのに雪ダイブをやらされていました。

 さて、バーニャの後はいよいよ夕飯です。
テーブルにはウォッカ、ビール、ワイン、私持参のハチミツ酒メドブーハが並びます。いつも思うのですがどうやらロシアのレストランはお酒の持ち込みが問題ないみたいです。
 サーシャが「さやは風邪気味だからウォッカは喉の消毒にいいからな」と言って私のコップにどんどんウォッカをつぎます。こちらは一気飲みの文化なので日本酒みたいにちびちび飲むことができずに、一息で終わってしまいます。さすがに40度のお酒を立て続けに飲むことはできずに、すぐに空いてしまうコップの合間に食べるごはんに何か飲むものが必要に思えて口寂しい気もしました。
 
 最近は、ロシア料理にも慣れ、美味しく思えるときも増えてきました。ここのロッジのご飯は学校よりもだんぜん美味しかったです。
 
 夜は引き続きウォッカを飲みながら、ゲームをしました。一本棒をとって上に積み重ねていき誰の番で崩れるかといったようなものやジェスチャーゲームです。
 
 その後二つのロッジにそれぞれ戻り寝ました。私とユリアは若い女の子ということで配慮され1つずつのベッドで寝ることができました。

 翌日は、みんなで近くの森へ行きました。ロシア人は散歩が大好きです。マイナス20度でもお構いなしにずいずい森の中は入っていきます。森もそこらじゅうにあります。
 モミの木を取ったり、ふわふわの雪の上に寝たりしました。

 とても楽しく、気を遣う日本の社員旅行との違いを感じていましたが、それはロシア人には言いませんでした。これは日本の社会を理解していないと理解できないだろうと思ったからです。そして前よりみんなと仲良くなれた気がしました。楽しく飲み会をしても翌日また素知らぬ顔になる日本の会社との違いもまた感じましたが、これも文化と習慣の違いだと思います。ときどき日本で働く外国人は聞くそうです。「どうして日本人はあんなに飲み会で盛り上がるのに、翌日は冷たいの?」と。