ロシア日記

~ペルミより愛を込めて~
日本語教師と雪のダローガと足跡

~サンクトペテルブルグ~
雪の上の足跡

ロシア語

2017年05月31日 | 日記
 明日、ロシア語の検定試験です。今回の試験勉強は今までの人生に中で一番楽しいひと時でした。どうしてこんなに楽しいのだろうと考えてみたのですが、おそらく試験の結果が何にも及ぼす心配がないからだと思い当たりました。学校の通信簿にも関係ないし将来にも未来にも無関係だから無責任でいられます。語学学校の年下の女の子に、どうしてロシア語を勉強してるのか聞かれ、趣味だから、と答えたらびっくりされて笑われました。彼女は大学の単位が必要なのだろうし、将来にちょっとでも役立てたいという目論見もあると思います。語学学校に通う大半の中国人の学生はそのままロシアの大学に進みます。中国とロシアの強い政治的密接度を感じます。日本の学生はほぼ一年間の交換留学生です。日本とロシアの希薄な関係を感じます。
 

 私はどの言語を勉強しているときよりもロシア語を学んでいるときが一番心弾むようで、たまにうっとりするようなロシア語の響きに出会うと一瞬の恍惚がやってきます。ロシア語は不思議で、言葉によって小鳥のようにさえずってるように聞こえるときもあれば、ひたすら力強く怒っているような印象を与えるときもあります。ロシアを去ってもこの国の言語を学び続けていくけれど、どうしてもっと早くこの言語に出会ってこの道の専門家にならなかったのだろうと後悔に似たような気持が去来する時もあります。

  最近知り合った詩を教えてもらっているロシア人の女性がいます。彼女は流暢な日本語を話すのですが、専門はドイツ文学で大学で教えています。一番好きなのは日本語だそうです。ドイツは実際にドイツで暮らしてみて大嫌いな国になったそうで、ドイツ人は本当に冷たい人たちです、とはっきりくっきり言っていました。そんな彼女が学生のときの専門はドイツ語だったからそのままドイツ文学に進んだけれど、もっと早く日本と日本語に出会えればよかったと思っていると言っていたのを聞いて、大学でドイツ文学の専門家として教鞭を取っている彼女にもそういう人生のままならない部分のようなものがあるのだなとはっとしました。

二つの島

2017年05月30日 | 日記
 知人にこのペテログラツキー島に連れて行ったもらったのがきっかけでこの島の魅力を知りました。それまでは私も他の観光客に漏れずもっぱら主要観光地のある本島ばかりに足を向けていました。ひとたび、この島に取りつかれると隅々まで足を運んでみたくなり、語学学校が終わるとそれまでの日課だったネバ川沿いの散歩をひとまず中止してイソイソとこの島に通う日々が始まりました。行きは、語学学校のあるワシリスキー島からバスが出ているので、バスが来たら128番に、それよりも小ぶりのマルシュートカと呼ばれるワゴンが来たらそれに乗って対岸のペテログラツキー島へ20分かけて向かいます。途中のバリシャヤ・プシュカルスカヤ通りで降りてメインのバリショイ・プロスペクトを縦横無尽に取り囲む細い路地やお茶の専門店を覗いてみたりただひたすら道に沿って歩いてみたりします。


 この島の通りで最も美しいと言われているのが、ペテログラツスカヤ駅とゴーリカフスカヤ駅を結ぶカメンノストロフスキー通りです。ここは彫刻が施されたユニークな建物が両側に立ち並びその合間に現れる公園も綺麗です。贅沢な建物の中にスーパーが交ざっていたりするのでそれもちぐはぐな魅力を醸し出しています。その後、カフェに入りロシア語を勉強するときが至福の時です。


 帰りは、行きにバスで来た道を歩いて帰ります。ネバ川の支流に架かる橋を渡り対岸の私の通う語学学校があり住む部屋があるワシリスキー島に近づくと景色がどんより黒ずんで空気も濁ったような感じになってきます。フランスの作家アンリ・トロワイヤはその著作の『帝政末期のロシア』の中でこのワシリスキー島のことを「大学生が多く住む活気のない島」と称していました。今は大学もそのまま現存していますが中央アジアからの移民が多く貧しさがにじみでるような空気感があります。その理由は、このワシリスキー島も昔の古い建物が多いのですがそういった建物は1フロアに何個も部屋があり台所、洗面所が一つずつで一人暮らしようには向かないので、中央アジアから出稼ぎ労働にやってきた人々が一部屋を間借りするような形で住み始めたのがこの島に移民が多い理由です。

 
 3か月前、語学学校の同級生に、この島に部屋を決めた、と言ったら、怪訝な顔をされて、自分はこの島は好きじゃない、麻薬常習者もたくさんいるんだよ、見たことないの?と言われました。その後、生まれて初めて朝からその類の男女を見て、ペテログラツキー島の存在も知り、今度もしサンクトペテルブルグに住む機会があったらペテログラツキー島に住みたいと思いました。

ベリーの季節

2017年05月30日 | 日記
 ベリーの季節になりました。
 おそらくロシアの気候がベリーを量産するのだと思うのですがロシアは種類も豊富です。スーパーにそれぞれ異なる3種類のベリーが売っていたので選びきれずに全部買ってみました。そしたらどれもが美味しくて翌日また買って帰りました。赤いベリーは手でつまむとふわふわ柔らかくて子犬の肉球みたいです。




 こちらは、その子犬の肉球みたいなベリーで作ったロシア名物ピローグです。最初に見た時、あまりにも赤くてドギツイので、苺ジャムのようなものを想像して甘過ぎるかなと思ったのですが、試しに買って食べてみると、まったく甘すぎることなく自然のスッパイ酸味が絶妙でこ四分の一の量をペロッと一気に平らげてしまいました。翌日、またお店に立ち寄って今度は二分の一の量を買いました。

 ペルミに居た時に、近所のアーリャが冷蔵庫から冷凍した赤いベリーの実をたくさん取り出して夕飯のデザートに出してくれました。夏に森でたくさん積んで余った分は冬支度用です。

ベリョーザ

2017年05月30日 | 日記
 白樺の季節になりました。街の至る所の街路樹で白樺を見れます。この前、どうしてこの木の葉はこんなにも星屑がきらめくようにキラキラ瞬いて見えるのだろうと足を止めてじっと観察しました。そしたら、一つ一つの葉の大きさがとても小さいことに気づきました。無数に集合したその小さい葉が太陽に反射しながらいとも簡単に風に吹かれるので、キラキラと輝きだすのですね。



孤独

2017年05月20日 | 日記
 ペルミの時も、このタイトルで記事を書いたのですが、やっぱりサンクト生活にも孤独が到来してきて、それが想像していたよりも特大号でした。ここにいた半年(あと2週間で帰ります)のうち5ヶ月は淋しい気持ちで過ごしました。最初のうちは生活に慣れるのに必死であまりそいういうことには考えが及ばず、そのうちうまく行きだすだとうと楽観していのたですが、4ヶ月過ぎたあたりからふと気づけば、新規の友達が一人もできずにペルミ時代のときのリョーシャしか友達と言える存在がいないことを強く実感してさらに淋しさが襲ってきました。少し前に知り合いの女の子に、私が海外でホームシックにかかることはないのか、と聞かれ、その時ははっきりと、ない、と断言した自分でしたが、今まさにかかっているのが正真正銘のホームシックでもう予定を繰り上げて日本に帰りたいと思ってしまいました。ペルミの時と違い、仕事で来ているわけではないので、いつでも自分の意志自体で切り上げられるという安易な環境も心折れる要因だろうし、所属している世界が語学学校しかないというのも人との交流の輪が広がらなかった原因だろうといろいろ思いました。

 リョーシャはペルミの時からの友達で、今彼がここに住んでいることが救いです。彼はここに引っ越してきて1年と2か月ですが、彼自身も私しか友達がいません。毎週末、二人で会って、孤独だねー、お互い友達が一人しかいないねーと言い合いました。僕の友達の名前は、孤独。いつも一緒だよ、ごはんを食べるときもネバ川を散歩するときも映画を見るときも。いつも一緒だよ!私の恋人の名前も孤独。ケーキを食べるときもワインを飲むときも買い物に行くときもいつも一緒だよ!と言ってふたりで笑い転げました。


 学校が終われば贅沢過ぎる暇な時間を一人ネバ川の散歩に当てて、ひたすら淋しいな―淋しいなーと思うのです。孤独に感じることがこんなに辛いとは知りませんでした。そんな中、友人の言葉が脳裏を過り、彼女が「誰かといてももっと辛いときもあるから、孤独の総量ってそんな変わらないんじゃないかな」と言っていたのを思い出しました。

 私はここに友達も家族もいないから、ほぼ一人で過ごしていることを孤独の原因に短絡的に結び付けていましたが、本当はそうじゃないことにも気づいていました。日本にいても淋しいときはあるし、誰かといても心が通じ合っていなくて孤独に感じることもあるし、一人でいても満たされているときもたくさんあります。だから一人だから淋しいとかじゃなくて、そう思う気持ちが淋しいんだなと思い直しました。

 そうこうしているうちに、だんだん孤独に思う気持ち収まってきて、新たなペテログラツキー島散策という楽しみも見つけ、そこの素敵なカフェでロシア語の試験対策に夢中になって一人で過ごす時間がすごく貴重な愛おしい時間に思えてきて、もうすぐ帰る自分を心惜しく思ったりもするので、心とはとても複雑なものです♪


 

白樺

2017年05月20日 | 日記
 日本はもう初夏だけど、ロシアの北の都サンクトペテルブルグは、ここ一週間でようやく春めいてきました。
写真は家の窓から見える白樺です。家を決めるときにどうしても窓から白樺が見えるところを、という条件で探したので苦労しました。ペルミと違って、サンクト中心街はなかなか緑のあるところに行きあたらないのです。しかも今年は春の到来が例年よりだいぶ遅れて、5月に雪が降ったりもしたので永遠に色付かない街の白茶けた木々を見ながら帰る日までに本当に黄緑色に覆われた街が見えるかしらと思いました。見れたのでよかったです(^^♪

ワシリスキー島のパン屋さん

2017年05月18日 | 日記
  学校の近くによく行くパン屋さんがあります。愛想の悪い男の子の定員がいてその様子を目の当たりにしたときにパン屋に足を踏み入れたくなくなるほど不快でした。けれどここの街の外れにあるパン屋さんは、どこの街中の有名店よりも美味しく通わないわけにはいきません。その感じの悪い男の子は、愛想という文字が顔のどのパートにも見当たらないような、さらに一人のお客の男の子に非常に横柄な態度を取っていました。理由は中国人である彼のロシア語が理解できないということでした。私のロシア語にも怪訝な態度を見せたので英語にすると、君は英語を使ってくれて本当に助かるよ、と言いました。私は凍り付きあまりにも見かねたその態度にその後気分が悪くなるほどでした。

  そして今日、美味しいパンの誘惑に訪ねたら、店は空いていて彼がカウンター内にいました。彼は私を覚えていて人懐っこく話しかけてきました。そのままなんとなく話し続け私が日本人だとわかると学校で習った戦国時代の日本の歴史やこの街のたい焼きを売っている店などを教えてくれました。時々笑顔も見せたりしてそうすると普通の男の子という感じで取っつきにくさがなくなります。平素からこういう態度で人に接すればとてもいいのにと思いました。

  後日、しばらく彼の姿が見えなかった後、久しぶりにカウンターにいたので、どうしてたの?と聞くと、他の仕事を探してた、という答えが返ってきました。ロシアは、他の仕事を探すために現仕事を休めるんだと少し驚き、けれどそのことには触れずに、どんな仕事を探してるの?と聞いたら、働いて次の日に給料が入ってくる仕事を探してる、でもなかなか見つからなくて、難しい、彼女もいろいろ言うし大変なんだ、いろいろ複雑なんだ、経験もないしまだ21歳だし。それを聞いて、改めて21歳という若さに驚愕しなんだか彼が違う世界の生き物のように思えました。君のように経験もないし、と付け加えた彼の言葉に、パンとコーヒーを手に道を歩きながら、経験か、と思いました。