ロシア日記

~ペルミより愛を込めて~
日本語教師と雪のダローガと足跡

~サンクトペテルブルグ~
雪の上の足跡

マダム・ウクライナ

2013年02月22日 | 日記

 私が生徒用に編集したヴァージョンでどうぞ。


 旅の話

 ドレスデンのプラットホームで電車を待っていたら、ひとりのおじさんに話しかけられました。最初(さいしょ)はうざかったので、無視(むし)していましたが、おじさんは話しかけてきます。「マダム・ウクライナは悪い女。だけどあの女は、もうビザがないのでウクライナへ帰らなければならない」とオジサンは言いました。そのオジサンはウクライナの女の人にだまされたらしいのです。

 オジサンの話

 3年前に、私はホテルで仕事をしていた。
 そこに、ひとりの女の人が来た。彼女はウクライナ出身(しゅっしん)だった。彼女は仕事をさがしていた。それが、マダム・ウクライナだった。
 それから、マダム・ウクライナは、色目をつかってせまってくるようになった。最初、私はマダム・ウクライナをうたがっていた。けれど、マダムウクライナはとっても優しくていい人だった。
 ある日、マダム・ウクライナは私の部屋の前に来て、そこから愛を交わし、すべては始まった。
 マダム・ウクライナは2人の子供がいて、前の夫は同じくウクライナ人で飲んだくれのアル中だ。
私のお母さんや家族は、「あの人はよくない」と言ったが、私はそれを信じなかった。
だけど今はわかる。お母さんたちがただしかった。

 オジサンは「ぜんぜん綺麗じゃないでしょう」と言って写真を見せてきました。「スタイルも太って全然よくない」と言いました。

 マダム・ウクライナは、だんだん本性(ほんしょう)を見せてきて、車が欲しい、お金が欲しいと言うようになった。最後(さいご)は結婚をしたい、と言った。全部、ビザのためだった。
私は拒否(きょひ)したので、マダム・ウクライナはウクライナへもどらなければならない、知ったことか!とオジサンは言った。

 だけど、オジサンは、ときどき悲しそうに、窓の外を見ていました。
ついつい、オジサンとコンパートメントを共(とも)にしてしまった私だけれども、最後に、オジサンは私の荷物(にもつ)を地下鉄(ちかてつ)まで持って行ってくれていい人でした。オジサンにも幸あれ。

ポーランドの田舎町を歩く

2013年02月21日 | 日記
 午後5時までさんざんボレスワビエツの食器ショッピングに粘ってから、手にいっぱいの青い食器を抱えて、旧市街を探索してみることにしました。ポーランドのお家はロシアのそれとは違い、こじんまり三角屋根の可愛らしい家々なのですが、何せ壁の色が薄汚れたカーキ色、どんより重く暗いのです。ロシアもそうですがスラブ系はどうしてこうも暗い雰囲気を作り出すのでしょう。

 それから町の中心と言っても、そこはポーランドの田舎町、本当に小さいメイン通りに誰も歩いていないようなそんな町でした。白い教会が一つ建っていました。雪の中に明かりがぼんやり灯っていました。

 ナヨミと私は一軒、見つけた可愛らしいカフェに入り、ナヨミはホットチョコレートを、私はカプチーノを頼みました。ここでもポーランドのミニスカートの民族衣装を着たお姉さんたちは豊満でした。店内はボレスワビエツの食器が飾られボヘミアンランプが置かれ可愛い内装でした。

 ポーランドは少し田舎くさく、でもどこか落ち着ける可愛いらしい雰囲気です。

ポーランド料理

2013年02月21日 | 日記
 水玉模様を見過ぎて、疲れた私たちは、駅へ引き返す国道沿いの道を左に入って100メートル進んだところに美味しいポーランド料理のレストランがあると聞いてそこへ行くことにしました。周りは一面雪と殺風景な車ばかり往来する通りに佇むそのお店は丸太でできたとっても可愛らしい外観で、中へ入ると暖炉のある温かみのある空間になっており、大きく胸の開いたポーランド衣装を身に着けた豊満なお姉さんが、ポーランド語の他に英語、ドイツ語の載ったメニューをもってきてくれました。
 
 ナヨミはキノコの入ったポーランドのスープにロシアヴァージョン餃子「ペルミニ」を、私はジャガイモを練って作られたパンケーキとサワークリームの付け合わせを注文しました。スープのお味は酸っぱめ、ペルミにはサワークリームが載っており「日本風に焼いて醤油で食べたら美味しいね」と言いあいました。
 ジャガイモパンケーキは想像通りお腹いっぱいに。けれどやはり「ポーランド料理が有名でないのも何か理由があるはず」の言葉通り今一歩何かが足らないお味でした。

 旅の終わりにナヨミが「今回の旅は食事が良くないのが残念やったね」と言った言葉が印象的でした。チェコもドイツもポーランドもそれぞれとっても美しくいいものを持っている国だとは思うのですが、なにせ食事が…ということですね。有名でないのは…!
 それでも食後の紅茶もビールも頼んで14ユーロなのはありがたいお値段でした。

 今回の旅で、いちばん美味しかった料理は、本物のコック・ナヨミの作ってきてくれた家庭の味です。白いごはんにのせて食べるシンプルに焼いただけの鮭、お醤油で和えてある小松菜、こんにゃくの入った煮物、どれもがやさしい日本の味です。この数か月、見知らぬ味ばかりを舌に上らせていたので、生まれ故郷の味は心をなごませてくれました(*^-^*)

青いポーランドの食器 ボレスワビエツの街へ

2013年02月21日 | 日記
 駅の窓口で見知ったことのないポーランド語でボレスワビエツの食器の店舗までの説明を聞き、ナヨミと私は歩きだしました。食器があるのは、町の旧市街ではなく、ドイツへ向かう国道沿いに点在しているらしいのです。窓口のおばさんの説明とナヨミの持ってきた地図を照らし合わし、駅を背にし右へ100メートルほど行き、それから右へ鉄橋をくぐり抜け50メートルもしないところの左側に大きなボレスワビエツの食器の看板が見えてきました。それまでに割とすぐに見つかったボレスワビエツの食器にふたりでほっとしながら入っていくと、ネットで見た通りのボレスワビエツの青い食器がうず高く積み上げられ壁一面に並んでいます。可愛いディスプレイも色気も何もなく、雑然と並べられているのです。

 ネットで見ていた通りのそのものにけれどやはり圧倒されながら、一軒目に目星をつけるだけにして、その後、同じ国道沿いの右左に立ち並ぶ幾種類もの違う社が作るそれぞれ少しずつ違う食器の模様を覚えながら見ていきました。全部で6,7軒はあったでしょうか。定番の青い水玉模様の柄はどこにでもあり、それが少しずつ違っていたりと、本当に可愛いらしいのです。

 私が最初に選んだのは、バター入れ。バターは使わないけどパカッと持ち上げたら一個分のバターの容量があり、チーズやサラミを入れるのにちょうどいいかなと思ったのです。水色の花とオレンジの花が夏草のような懐かしさを覚えました。それにそこのお店のお姉さんは、本日が記念すべき開店日ということでとってもニコニコと感じが良くなんだか応援したくなったのです。それにスプーンも買いました。ナヨミの分厚いスプーンは使い心地が悪いとのアドバイスにより、こちらは柄よりもなるべく薄く作られているものに注意し選びました。もっともどれを選んでも可愛いものばかりです。

ポーランドへ

2013年02月21日 | 日記
 今回の旅のルートは、ペルミから直行でチェコの古都プラハへ。毎食ビールを飲み、それから国境を越え、友達の待つドイツのドレスデンへ。昔日の友、ナヨミも予定をいろいろつけて夜9時の便で駆けつけてくれ、翌日、二人でドレスデンを丸一日観光した後、朝8時の列車で一路、ボレスワビエツという可愛い食器を求めポーランドへ。このボレスワビエツという食器は最近は梨花の店でも置いてあるらしく東京でも人気のアイテム。判子を押して人の手で作る食器は温かみのある青が基調の素朴な味わい。ネットで一目見たときから惚れてしまい、今回の旅のルートであるドレスデンから2時間足らず行けることを突き止め計画に詰め込み、幾夜、青い食器を心に思い描いたことか。

 列車がポーランドへ近づくに連れ、車窓からは雪深い景色が広がっていきました。こんな寂しいところで暮らすのはどういう気分なのだろうとおもっていたのですが、はて気づくと、それはどこかで見知った景色、今私が住んでいるロシアのペルミなのですね。私の住む雪深い地、そのもの。
ドレスデンから2時間、『Boleslawiec』とかかれた小さな駅に降り立ちました。駅の構内に入ると、全面エメラルドグリーンに塗られた壁と構内の雰囲気は、近代的なドイツからの雰囲気とは一変、空気も重く冷たい東欧圏に様変わりです。

ドレスデン城

2013年02月19日 | 日記
 3時間もホテルでお喋りしていた私たちは、そういえば街を見てないね、ということでコートを着込み、真夜中12時の街へ繰り出します。
 フロントでもらった地図がびっくりするほどドレスデンは小さな街です。ホテルからまっすぐの道を20分ほど進むとメインのお城が見えてきます。冬の街灯に照らされ、黒いお城が浮かべあがってきます。迫力間満点です。お城の鉄塔に立つ何体もの彫像がまたリアリティをもって迫ってきます。黒い空には不気味にコウモリがキーキー啼いて翻っています。中世にタイムスリップしたようなそんな錯覚を覚えます。ほら、向こうからコツコツと靴音を響かせ、長いドレスを着た女の人歩いてくる足音が聞こえるでしょ。

国境を超えるとき

2013年02月19日 | 日記
 国境を超えるときのあのウキウキ感はなんなのでしょうね。
社内の放送がチェコ語からドイツ語へ変わり、新たにドイツ人の車掌が切符の確認にやってくる、あー次なる異国へ来たのだな、と感慨深いです。
 そしてドレスデンに降り立った時の空気感、無駄のない機能抜群の造り、ドイツだなあと思います。駅のドアが勝手に開いたときには、長らくお目にかからなかったオートマの環境に感激したほどです。
そしてドイツ人の陽をまとったような空気感、無表情で青白いロシア人にも、暗めのチェコ人にもない雰囲気です。肌の色に赤みがさし、髪も明るめで、全体的に輝いている印象を受けたのです。あとでナヨミに言ったら「そう?長年ドイツに住んでるから見慣れてしまった」とは言っていましたが、そのあとで「そう言われてみればそうかも」と言っていました。

 ナヨミを待つ間、一足先に街を散策し、バーに入り白ワインを飲みました。久々に現代的なオシャレなお店で飲む本場の白ワインに幸せ度は高まるばかりです。調子に乗って、そこに流れる英語の歌にも感銘を受け、歌手の名前を店員に聞いてしまいました。ちゃんと調べて紙に書いてもってきてくれるのだから感激です。
 外は大粒の雪が降り出しました。ナヨミが来る時間を見計らって私は店を後にします。

ドレスデンへ

2013年02月19日 | 日記
 列車は2時間も遅れてドイツのドレスデンへ向かいます。
 今夜は昔日の友、ナヨミとドレスデンのホテルで会う約束です。
 午前中、ビザのことで大使館へ行ったので、ビールの2,3杯でも飲みたい気分です。
ドイツの列車は遅れることで有名らしいです。列車を待つ開き時間にビールを一杯ひっかけにいきました。プラハ本駅から近い酒場へ行き、ビールだけでもいいのかと聞きました。いいという返事なので、混んでいる店内でチェコのオヤジと相席し、コゼルという黒ビールをいただきました。ビール名はオヤジが教えてくれました。
 
 ナヨミが「チェコの男って暗くない?」と言っていた言葉を思い出し、確かにそうだなと思い、ビールを傾けながら観察しました。顔の造りが暗いのかしら、古都が暗くさせるのかしら、どうも活気がないような気がしないでもないのです。
 
 列車のことも心配なので引き揚げ、再び駅へむかいました。
ドイツ在住のナヨミ曰く、ドイツの列車は遅延と告知しておきながらたまに早く来たりするらしいのです。そこは、やはり、ロシアよりはましだとしても、スーパー正確な日本とは違い、ヨーロッパの真面目国代表、日本人に一番性格が近いと言われているドイツですらこの調子です。日本がいかにきちんとしているか際立ちますね。

ロシア大使館 in チェコ

2013年02月18日 | 日記
 今回のチェコ行きの目的は、思う存分の羽のばしということではなくて、ビザ申請のためです。まずは取りやすい3ケ月間の労働ビザで日本からロシアへ入り、そのあと国外に出、ビザを切り替えロシアへ再入国するということらしいのです。

 市電を乗継ぎ向かうとロシア大使館らしきものが見えてきました。ロシアの国旗が掲げられており、四角四面の灰色のコンクリートでできた可愛げのない建物で、門のところで人々がたむろしているのです。門は閉まり、中を覗く人々が締め出された形になっていて、まるで難民みたいです。なんたる扱いかと思います。無造作に人々が溢れている状態で順番も何もあったものじゃありません。しばらくすると一人の大使館員が出てきて門を開け、何人かが中へ入ります。これもしばらくしてからわかったことですが、ビザ申請希望者は優先的に入れるということです。それを聞いて、中に入れてほしいという人が何人か現れ私も入ることができたのですが、なんたる効率の悪さかと思います。
 
 そして中に入ってからも、必要書類を提示するのですが、私の貧相なロシア語では用を足さず、向こうの言っていることもわからないということが起こるのですが、なんと英語をつかえるものが一人もいないのです。これがロシア大使館以外なら文句を言いませんが、どうして国際的な機関である大使館で英語を話せる者をおかないのか、甚だ納得いきません。そして最後に支払いの段階になり、約70€をも要求されたのですが、これもチェコ通貨のコローネしか受け付けないというのです。どうしてロシア大使館でロシアの通貨であるルーブルを受け付けず、ユーロも受け付けず、チェコの通貨しか受け取らないのか、本当に理解に苦しみます。おまけで私は翌日も出直すことになり、両替所の人に話したら「まったく馬鹿げている」と言っていました。まったくその通りです!本当に馬鹿げています。本当に腹立たしいです。
 そしてロシアの仕事はなんだか最後までいつも信用できないのです。この後、何悶着も事が起こるのですが腹立たしいので書かないことにします。
 
 結局、この申請されたビザで私はペルミへ帰ってきたわけですが、ビザの不備ですんなりペルミの空港の喚問を突破できなかったりとどこか最後まで安心していられないのです。
 
 だけど一つ学んだことは、もう心配し過ぎて不安がっても仕方がないということです。どうにかなるさぐらいの心構えで達観し、心を波立たせないことです。私が心を砕いてもロシアの仕事は私の範疇外で行われ、私にはどうしようもないのですから。心配しないほうが楽ですね😊

チェコビールとケバブ

2013年02月17日 | 日記
 初日のプラハの街を十分に楽しんだ私は、夕飯を求めて元来た道を引き返します。今日の夕食はケバブです。これはもう前から決めていてケバブは大の好物なのと、あとは有名ではない、チェコ料理にも挑戦する気はさらさらなかったのです。
 ケバブは、鳥や豚や牛肉を薄く削ぎ取ったものを紫キャベツ、青キャベツ、玉ねぎ、ヨーグルト、チリ、マヨネーズのソースで和えかぶりつくというボリュームと栄養満点のとっても美味しいトルコ料理なのです。本場トルコよりヨーロッパのほうが美味しいらしいです。東京にもありますが美味しくないそうです。
 この日から私のプラハ滞在の毎食はケバブでした。
そしてその後は決まってバーにビールを飲みに向かうのです。
ケバブはイスラムのトルコの料理なのでビールを飲めないところが多いのです。

黄金小路

2013年02月17日 | 日記
 そしていよいよ、この日の唯一の目的である『黄金小路』です。今は各家が洒落たお店になっていて、陶器やマリオネットや本などが売られています。カフカも執筆に遣っていたという青いお家もあり、他にも武器庫などもあり、短い小路を何度も行ったり来たりしては、一人の時間を久々に心行くまで十分に楽しみました。

聖ヴィート教会と聖イジー教会

2013年02月17日 | 日記
 中へ入ると圧倒的に迫ってくるのが黒緑色光りした聖ヴィート教会です。すごい威圧感です。内部も色とりどりのステンドグラスで、こちらは各窓ごとにテーマの色が決まっているみたいで、私が一番すきだったのは、赤と紫を基調にした青や赤だけとは違い、ありそうでなかなかない夕焼け色したステンドグラスです。
 後日、ドレスデンの教会内部へも入りましたが、戦場と化した後、修復されただけあり、窓は普通の白いガラスがはめ込まれており、ステンドグラスがあるのとないのでは荘厳さが大違いだなと思いました。
 
 更に進むと聖イジー教会があります。こちらはさきほどの聖ヴィート教会の豪華さも派手さもなく、白を基調した漆喰のような壁でできていてい洞穴風のこじんまりした落ち着ける造りでした。