ロシア日記

~ペルミより愛を込めて~
日本語教師と雪のダローガと足跡

~サンクトペテルブルグ~
雪の上の足跡

サンクトペテルブルグの部屋事情

2017年01月24日 | 日記
  このグリボエードフ河というやけに覚えにくい河沿いの建物に間借りをしてから早一か月が過ぎました。Air bnbで探し、初月は32000ルーブル(日本円で約62000円)、次月は直接交渉で26000ルーブル(約52000円)まで下がりました。次の交渉はせず違う部屋を探すつもりです。
  この今住んでいるところの間取りは、ロシア語でコームナタ、つまり部屋を借りてキッチン・バスは他のシェアメイトと共有する型です。サンクト市内は、ネヴァ川沿いのエルミタージュ美術館を一番の中心地と考え、そこを起点に目抜き通りのネフスキープロスペクトに沿ってUpper Nevsky、Middle Nevsky、Lower Nevskyというエリアに区切ってあります。その間に、モイカ河、グリボエードフ河、フォンタンカ河が自由に雄大に横たわります。

  私はここへ来た当初、ロシアの数々の偉大な作家が話題にした憧れのネフスキープロスペクトの近くに住みたかったのです。けれど中心地で住居を探すのは地元のロシア人にも大変で、ましてやキッチンもバスも部屋も一体となったクバルチーラ型の部屋を探すのは至難の業です。なぜならこの地帯は、古い建物で昔の設計のままなので大体1アパートに4,5つ部屋がありバスと台所という間取りだからです。だから今私が払っている家賃もロシア人からしたら高過ぎでしかもシェアハウスというのは割に合わないそうです。
  私もだんだんサンクトの部屋事情がわかってきました。たしかに26000ルーブル出したら、一人でバスもキッチンもついた部屋が借りられるのです。ただし、本当の中心地を外したところです。だからこの値段は仕方ないのかなと納得もしています。ただし、私もこの一か月夢のネフスキープロスペクトを堪能し終わったら、だんだん一人のゆったりしたスペースが欲しくなってきたので、今部屋を探し始めました。

ミハイロフスキー劇場

2017年01月15日 | 日記
  本日、バレエ鑑賞に行ってきました。
サンクトペテルブルグを代表する劇場の一つ、ネフスキープロスペクトを一本入った道の奥にあるミハイロフスキー劇場です。
この街に来てから、まだまだ身体が緊張してるのか、はてまて冬の寒さのせいか睡眠があまりよくありません。もともと寝つきはよくないのですが、眠れない夜が幾日も続き、3時間前後の睡眠で過ごしていると疲れも溜まってきます。友達は、ミルク紅茶ハチミツの効用とか温めたおしぼりを瞼の上においてはどうかとかいろいろ提案してくれます。

  今日も最後のほうは頭がこんがらがってつらかった文法のクラスからようやく家に帰りついて、今夜の劇場を行きが苦行のように感じました。先月もくるみ割り人形を見た日には、たくさんのお誘いを断るすべを知らないまま詰め込んでしまって、その合間のバレエ鑑賞が余韻もないまま次の用事をこなすというもったいない感じになってしまいました。
なんでいっつもこんなきついときにバレエ鑑賞が重なっちゃうんだろうと思ったりしながら、とにかく今日の宿題をものすごい勢いでこなし、とりあえずバレエの時間まで仮眠することにしました。

  夜中の不眠の疲れがたたってそのままストンと眠りに落ち、午後六時にアラームが鳴った時には何事かとびっくりしました。劇場行きを思い出しおしゃれもしないまま平服で劇場に向かいました。
席に座ったままボーとしていたのですが、演目が始まるとだんだん魅入ってきました。
カラフルな妖精、オーロラ姫が無邪気に踊り、悪者のラボスが黒い衣装をまとってでてきます。映画ではアンジーの扮していたマニフェセンタですね。そして例の糸つむぎの針も登場。最後の全身真っ白な猫ちゃんの格好をしたバレリーナが何を意味するのかはわかりませんでしたが、疲れてはいてもすーっと舞台に入りこめていい時を過ごせました。

  もう一つ、劇場の醍醐味は幕間のワインやケーキを豪華な天井の下でいただく優雅な時間です。私は一人で劇場の片隅で取るデザート用のワインと甘いケーキがいつだって至福のひと時です。今日は自分でも目がうつろなのがわかりましたが、それでもほっとできるいい時間でした。
写真はシャッターチャンスもすっかりわすれて、最後に幕ももう閉まるというときにあわてて撮った一枚です。

夢のファーコート

2017年01月09日 | 日記
  前回のブログで、なぜロシアのコートの話からヨーロッパとの比較になってしまったかというと、欧米諸国に対していつも遅れを取ってきたロシアですが、彼らに勝るものと言えば、それはふさふさの上質なコートだと、それを言いたかったからです。そしてそれをまとい、長いおみ足で歩くロシア美女しかり。彼女たちはもうすでに腰の位置が違って、高いヒールブーツで凍った道をものともせず颯爽と歩く姿には惚れ惚れさせられます。彼らが愛用する厚手の冬のコートのフードにはどれもほぼ大ぶりな本物の動物のファーで囲まれていてそれにすっぽりと小さなお顔を包む姿は羨望のまなざしを向けずにはいられません。
街ですれ違うたびに、ファー付きのコートが可愛く、見れば見るほど欲しくなり、そして今日市場へ行ってきました。あのコートはどこで手に入るのだろうといつも思っていたのですが、輸入製品が並ぶデパートではないのです。このロシアの市場にたくさん置いてありました。
ロシアの市場は、ペルミに住んでいたときから、どこか寒々としてあまり好きではなかったのですが、それは今も同じかもしれません。零下何十度の中をお店によっては露店なので、店員は一日中外にいる場合もあります。彼らにとっては慣れっこなのかもしれませんが、外から来た私にはそれが見ていて居たたまれないのです。

   まずは、様子見でなんとなく店を除きながら歩いていると早速声をかけられました。
12畳ほどの店内には、壁一面に冬用のコートがかけられています。気になるものを指さし、次々に試着していきます。ダウンジャケットの材質と革製品どちらも試してみました。値段は、皮だと15000ルーブル、日本円にして約3万円、ダウン素材は10000ルーブル、日本円にして約2万です。ディスカウントはあとにして、まずは気に入ったものを探します。全部で7着ほど試着したところでどうもピンときません。試しに真っ赤なコートも着てみたい、と言ったら、店員に「赤はよくない。やめておけ」と言われました。こういう素直な物言いが外国の面白さだと思うのです。仮にこの店員をいい店員だと名付けます。なぜなら後から悪い店員が出てくるからです。
この赤はやめておけと言った店員はがんばっていろいろ勧めてくれるのですが、気に入ったものがないので店を出ることにしました。ものの15分です。そしたらもう一人の悪い店員が「買わなければならない」と言ってくるのです。私も言い返しました。「彼が嫌だから私はここでは買わない」よい店員は「わかった、わかった」と頷きましたが、結局私は店を後にしました。


  2軒目の店に入りました。
ここには1時間近くいました。次々に試着しました。ここにも2人店員がいて、私の希望するサイズがないと店を出てどこかから調達してきます。それ以外の男の店員が私にかかりつけになり、コートを着せたり、襟元のファーを合わせるコツがあるのですがそれを教えてくれます。ただし、彼は必要以上に体をべたべた触り、英語でいうbeautyのロシア語を連発していけ好かない感じでした。立ち去らなかったのは、彼が一生懸命仕事をしてくれているという感じがしたからです。
最後に3着だけ、ちょっと好きなものが残りました。でもそのうちの一つは、ファーが襟元まで来ないのでこれは寒いロシアの冬用としては論外です。もう一つは、こげ茶の皮でファーの大きさもちょうどよく、裾にもファーがついていて少し甘すぎる感はあったのですが逆に希少価値が増すような気がしてデザインも可愛かったのですが、なんとなくシルエットがしっくりこない感じがしました。最後の一つは、黒の皮でフードのところにだけファーがあるシンプルなものでシルエットもよかったのですが、ジッパーが銀色に光ってなんとなくいかつい感じがしたのです。結局3つとも買うまでの決め手がなく渋る私に、店員は執拗に食い下がり、初め5万円を提示した金額は18000円まで落ちたのです。
けれど彼らがいくら値段を下げても、気に入らないものは買えません。それでも18000円に少し心動かされた私の様子を見て、彼らは袋にコートを入れ、私の手に持たせようとします。私は日本人らしく「考えたい」というと、「何のために考えるんだ」「君にとってこんな金額は些細なものだろう」と言ってきます。本気でちょっと心動かされていた私は「時間がほしい、明日決めたい」と言ったら「明日は違う値段だ」と言います。「それはおかしい。明日も違う値段のわけはない」と言い返しましたが、このあたりから彼らの必死さが暗く心に重荷になってきました。「こんなに君にために働いたのに全部むだになった」と言ってきます。だから「それはあなたの仕事で、私だって仕事をしている。あなたにはいろいろしてもらって感謝している」とこのときまでは一応私もなんとなくいいことも付け加えようという気持ちもまだあり、それを言いました。けれど結局最後は、もう一人の店員が「you’re not a beautiful girl」という捨て台詞を言い、もう私も何も言い返す気力はなく残念な気持ちでまたもや店を後にしました。

  途中、「you’re not a beautiful girl」と言った店員が、「旦那はいるのか」と聞いてきました。「いる」と嘘をつきました。そしたら「ここにいるのか、家にいるのか」と聞いてきます。変な質問です。あれは何を想定してあの質問をしたのだろうかと考えます。女の外国人の私だけならいいカモにできると思ったのでしょうか。
私は彼らの後先考えない、短絡的な商売の仕方に圧倒されました。私は、ここに夫もいて仕事もあって住んでいる、と彼らに言ったのです。刹那な客ではない私にあのような言行をすることは、彼ら自身の評判を落とすことにつながりかねません。少なくとも顧客はつかめません。商売は口コミが大事なはずです。
そういうことに考えを及ばせず、なりふり構わず売りつけようとし、売れなかったら悪態をつくというのは賢い商売の仕方とは言えません。そこまで考えて、これもやはり体制がコロコロ変わるため長期の目標を掲げにくいソビエト政権が影響してるのかなと考えたりもしましたが、でもこういうことはロシアだけではなく、インドやモロッコやどこでも起こっているなと思いました。

  さすがに疲れて、今日はもう帰ろうと出口に向かっていると、横から怪しげな男の視線を感じました。私は即座に後ろにしょっていたリュックを前に移動させました。
今日は退散しましたが、真の値段もわかったので、今度またエネルギーのある日に再訪して、夢のふさふさファーを手に入れようと思います。

ロシアについて

2017年01月09日 | 日記
 今日、市場にコート買いに行ってきました。
フードがふさふさしてまさしくロシアなやつです。
ロシアはすでにピョートル大帝がサンクト建設に乗り出す遥か前から、すでにヨーロッパの列強と比べて、技術の遅れた後進国と捉えられてきました。
ロシア人たちもそれを百も承知で必死にヨーロッパに追いつこうという姿勢が見られます。
それがまたなんとも言えない可愛さを醸し出していて、語学学校の同級生のY君なんかもがんばってる姿勢がたまらないとロシアの魅力を語ります。
ここサンクトに住む人々も、自分たちはロシアじゃなくてヨーロッパ寄りだと言います。私はこれに絶対の否定を投じます。ロシアはあくまでロシアなのです。絶対君主がいて、キリスト教が分離してロシア正教になって、革命があって社会主義を信奉して、そして崩壊して今また絶対君主がいる国、独自の道を歩んできた国、これがどうしてヨーロッパの精神になり得ましょう。体制が人々に与える影響というのは、計り知れないものがあります。多大な影響を与えるのです。

 ロシア人は人が好い、と言います。これは司馬遼太郎も『ロシアについて』の著作の中で言及しています。
そして、ロシアに数年住む身の私もこれは本当だと思います。
なぜか?それは社会主義の全体主義が関係しているのだと最近は考えます。
ノーベル文学賞受賞者のスベトラーナ・アレクセイビッチの『チェルノブイリの祈り』や『戦争は女の顔をしていない』『死に魅入られた人々』を読むとよくわかるのですが、人は個人では生きていないのです。国のため、コミュニティのために生きるのです。共産主義の精神です。持っているものも、地位も、享楽もみんな平等に。そうやって生きるのが正しく尊いのだという精神。だから人々は、持っているものを持たざる者に分け与えるのです。国の教育だと思います。これが人々を思いやる強い気持ちを育てたのだと思います。ここが個人主義の欧米とまったく違う精神構造を生んだんだと思うのです。
だから、こういう面でもロシアはけして欧米にはなり得ないと思うのです。精神構造も然り、国の発展の面でもです。
よくロシア革命は失敗だった、という声を耳にします。体制だけの面で捉えればそう言えるかもしれません。今現在どこの国にももう社会主義は機能していないわけですから。けれど、この人が好いロシア人の根底にある綺麗な心を生んだのだから、革命はけして失敗ではなかった、と最近そんなことをふと考える機会がありました。
コートを買った話から、ずいぶんずれました。コートの話は次回にします。笑