<ホームベーカリーで焼いたパンを持っていきました♪>
お寒う~ございます。
先週の中頃の話だが、
雪が降り積もった東京。
実家の父母はさぞかし大変な思いをしているだろう~と思い、
焼き立てのパンを持って、
その様子をたずねに行ってみた。
陣中見舞いならぬ、雪中見舞い
すると、あらビックリ!
いわゆる多摩地区である我が家とは違い、
実家の周辺の道には「雪」などというものがほとんどなく
「コチコチでカチカチの道」などというものは存在していないのであった。(さすが!23区内!)
「なあ~んだ。」とちょっと拍子抜けしてしまったが、
「雪」を理由に顔をみせることにした。
焼き立てのパンの香りに喜んでくれた母は
パンをクルッとひっくり返し、
「これこれ!」と笑う。
ホームベーカリーならではの撹拌用の「パン羽根」の穴が懐かしいというのだ。
思えば、
母もホームベーカリー愛用者だった。
市場に出回って間もない頃のホームベーカリーを使って
毎日焼き立てのパンで私たち家族の食卓を楽しませてくれていた。
「あのころのホームベーカリーは音がうるさくってね~。」と母。
そうそう、
粉を撹拌するときの音はかなりのもので、
予約して出来上がりを次の日の朝にするときには
玄関のすぐそばにある物置部屋みたいな部屋で孤独にパンをこねていた。
祖父母が家の中央の床の間に寝ているものだから
きっとあのころの母は
音を気にしながら
でも
私や弟に焼き立てのパンを食べさせたくて
隅っこの部屋でホームベーカリーを使っていたのだろう。
(母と娘の物語はつづきがある。
娘はあのころの母の年齢になってやっと気づくつづきの話。)
玄関に続く寒い廊下を歩きながら
母がホームベーカリーでパンを焼いていたころの
朝の香りをふと思い出す。
「この辺が朝、いいにおいだったよね。」
「あら?そんなこと覚えてるの?」と母は笑う。
(あのころの母の思いがつづきの新しい物語・・・。)
母はいつホームベーカリーでパンを焼かなくなったんだろう?
私はいつの日まで母のつくった朝食を食べていたんだろう?
考えても考えても
思い出せないようなことを考える。
(それはまたつづきの話・・・なのかもしれない。)
「雪」がとけてしまった実家に行った雪中見舞い。
焼き立てのパンが私を少しだけ“娘”にしてくれた。