この日、東京に行ったもうひとつの目的は松下電工汐留ミュージアムで行われていた「村野藤吾ー建築とインテリア」展を見に行くことだった。
建築家・村野藤吾は重要文化財指定された広島の世界平和記念聖堂や大阪の新歌舞伎座、読売会館、横浜市庁舎、現在のウェスティン都ホテル京都、箱根プリンスホテル、新高輪プリンスホテル、京都宝ヶ池プリンスホテルなど多くの建物を残した。いずれも独創性が高く大胆で繊細な曲面を多く用いた癒される感じのするものとなっている。内装や家具も本人がデザインし、建物外観も合わせていずれもが見ていて心地よく、楽しい気持ちになってくる。
この展示で驚いたのは38歳のときに村野建築事務所を開設しているが、たくさんの仕事をこなすようになるのは60歳以降だったということだ。世界平和記念聖堂が62歳、新歌舞伎座が67歳、箱根プリンスに至っては87歳で、93歳で亡くなる前日まで仕事をしていたというからものすごい。自分もまだまだこれからなのだなと思わせる。
一番最後の仕事は亡くなった後の1990年に完成した横浜プリンスホテルだが、これは2006年に閉鎖され、解体されてしまった。建物の宿命と言うしかないのか、何とも空しい。
松下電工の建物の隣には旧新橋停車場の遺構があった。あとで行ってみよう。
松下のショールームで家電や照明を見ているうちに、すっかり夜になってしまっていた。
昔、汐留は何もない場末という言葉がふさわしいような場所だったころから知っているが、いまはすっかりここもビルだらけの都会的な雰囲気となった。ここから新橋停車場の遺構が発掘されたということは知っていたが、実際にここに来るのは初めてだ。
ちなみに、ここにビルが建ったことで海からの風が遮られ、東京の気温が数度高くなったと言われる。
このホームや線路は復元したものだが、地面に埋まっている本物の遺構もガラスを通して見ることができるようになっていた。
さっきまでいたビルを見上げる。
建築家・村野藤吾は重要文化財指定された広島の世界平和記念聖堂や大阪の新歌舞伎座、読売会館、横浜市庁舎、現在のウェスティン都ホテル京都、箱根プリンスホテル、新高輪プリンスホテル、京都宝ヶ池プリンスホテルなど多くの建物を残した。いずれも独創性が高く大胆で繊細な曲面を多く用いた癒される感じのするものとなっている。内装や家具も本人がデザインし、建物外観も合わせていずれもが見ていて心地よく、楽しい気持ちになってくる。
この展示で驚いたのは38歳のときに村野建築事務所を開設しているが、たくさんの仕事をこなすようになるのは60歳以降だったということだ。世界平和記念聖堂が62歳、新歌舞伎座が67歳、箱根プリンスに至っては87歳で、93歳で亡くなる前日まで仕事をしていたというからものすごい。自分もまだまだこれからなのだなと思わせる。
一番最後の仕事は亡くなった後の1990年に完成した横浜プリンスホテルだが、これは2006年に閉鎖され、解体されてしまった。建物の宿命と言うしかないのか、何とも空しい。
松下電工の建物の隣には旧新橋停車場の遺構があった。あとで行ってみよう。
松下のショールームで家電や照明を見ているうちに、すっかり夜になってしまっていた。
昔、汐留は何もない場末という言葉がふさわしいような場所だったころから知っているが、いまはすっかりここもビルだらけの都会的な雰囲気となった。ここから新橋停車場の遺構が発掘されたということは知っていたが、実際にここに来るのは初めてだ。
ちなみに、ここにビルが建ったことで海からの風が遮られ、東京の気温が数度高くなったと言われる。
このホームや線路は復元したものだが、地面に埋まっている本物の遺構もガラスを通して見ることができるようになっていた。
さっきまでいたビルを見上げる。
この美術館は、地味だけど結構いい企画があって、あんまり人いないし、会社が定時で終わった時はのぞいたりしました。
横プリのお話は悲しいものがありますね。
実はこの展示、先月で終わってしまってます。(激しく時間差があってすみません)
いまは「アーツ・アンド・クラフツ≪イギリス・アメリカ≫ ウィリアム・モリスからフランク・ロイド・ライドまで」というのをやってますね。これも面白そうですよ。
http://panasonic-denko.co.jp/corp/museum/exhibition/08/081108/index.html