創造的深化

より納得のできる未来を、考えてみるには・・・

信仰の空間凝縮と心の在り処

2015-12-01 11:21:17 | 意識・意思・精神
信仰の空間凝縮と心の在り処
 古代の心性として、場所や物などの空間に魂あるいは霊的な何かが宿るという転化が考えられていたといえる。もっとも初源では、より広い広域の空間であり、天空や大地や山全体や海るいは海のはるかかなた全体と考えられ、イメージが大きく膨らんでいた。やがて広域の場所は、より具体的で身近な物へと凝縮されていく。たとえば山の高所や高所にある巨木や巨岩といった対象に意識が絞られていく過程をたどっていった。そらに、それらの遠方からより身近な信仰の対象となり得るトーテムへと移動し、さらに収縮していく。そしてより具体的な対象として人間へと転化され、死者や現人神への信仰へと空間凝縮していったと考えられる。
 これは人の心が求心的であることと一致している。つまり、人のこころは古代では外在し、魂や霊のありかが、初源の段階では公式な空間に外在していたのと対応し、人のこころは身体内にではなく、広い空間と一体化していた。この霊の在りかが次第に牛祝詞はじめ、巨木や巨岩に転化し始めると、人の心もより具体的なものへと乗り移っていく。やがて人間へと移って時、当初はある特定の巫女や女衒や宗教的カリスマへと心は同体化していった。この共同性と宗教性の意識の胴体化が、個体へと分離されて一人一人の意識の内部に心が宿っていると考えられるの至るまでには数万年が経過したと考えられる。

幼児行為

2015-12-01 11:05:17 | 意識・意思・精神
・おしゃぶり、吸引の行為は幼児期に始まり、成人しても継続いる場合がある。
このリズミカルに反復する吸引や接触は、舌や届き得るすべての部位が吸引の対象となる。代替え行為としては相手の耳を引っ張ることがある。この恍惚を伴う吸引は、注意力の消耗とも結びつき、睡眠かオーガズムの一種の運動で終了する。身体の鋭敏な乳首や生殖器へと移り、摩擦が吸引と結合する。多くの小児はおしゃぶりから手淫へと転換する。
(フロイト)

性の段階説

2015-12-01 11:02:23 | 身体
性の段階説
フロイトは神経症障害の研究から、性の発現には三段階があることを見出していた。
第一段階では、小児の初期段階では性欲動にはある組織化の萌芽が認められること。つまり前性器的段階での口唇愛期である。第では、サディズムと肛門愛の支配期。第三段階は本来の性器領域の関与により規定を受ける。
 ただ、これらも性的満足と性的興奮との関係、性器の活動と性愛の他の源泉との関係が未解明である点が待たれると指摘している。

性意識の源泉とは

2015-12-01 11:00:37 | 意識・意思・精神
■性意識の源泉とは
幼児期の夫婦の不和や結婚の不幸ともいえる状態は、小児の性愛の発達障害を生じる原因となる。小児は神経症にかかる可能性を持つのは、小児期の経験が親との関係性が根源となる。嫉妬深い男性、不感症で夫に冷たい女性なども親との関係障害が成人となってから生じる例だ。すべては幼児期の両親との関係にある。
 本人に責任はないが、本人の解決方法は相手を誤りなく選ぶということになる。ただし、成功は困難を伴う。男性にとって、子供の時の母親あるいは、手にゆだねられた他の女性との情愛の記憶は、女性を選択するうえで重要となる。父親に対する幼児期に経験した威圧や、父との競争的な立場は同性愛を避けさせる働きをする。もしこの父性が欠落している場合、同性である男性を父親像として求めることがある。その場合の自分は女性である母親と同化している。つまり性目標の倒錯は一方では正常な発達の抑制であり、他方ではその解体でもあると考えられる。つまり、性愛の相手は小児期の多様な興奮が総括されて位とつの統一体となり、同性もしくは異性を対象として選択する。その性的欲求が保護者との関係で形成される。フロイト理論は、小児はすでに性活動の萌芽を携えて誕生するものであり、栄養摂取がその性の満足を生み出す源泉にもなっていると指摘した点にある。そして「おしゃぶり」行為が、その確認行為だということであった。しかし、2歳から5歳くらいの間に潜伏期にはいるために、思春期に初めて性欲が出現すると考えられがちである。その誤認を理論づけたものだった。その潜在期においてすら性的興奮は活発に活動しており、そのエネルギーはそれ以外のものへと分散していると考えた。それをフロイトは「小児期における性欲動は中心を持たず、対象のない自体愛だ」と考えた。

幼児性と不安症

2015-12-01 10:59:57 | 意識・意思・精神
幼児性不安症
 自分が愛している保護者がいなくなりはしないかという不安 が、幼児のもつ根源的な不安のひとつだ。様々な要因は、幼児期の音もそのひとつになる。ふだん生活環境の中で接していなかった音や音量は、幼児の不安を掻き立てるし、見知らぬ人物との出会いは見慣れていないということでの不安であり、暗闇は保護者が見えなくなることからくる不安でもある。リビドーを満足させることができなくなると、不安を感じるという。また逆に、成人でもリビドーが満たされずに神経症になっていると、不安から小児のように振る舞ったり、保護者のように愛してくれる人物がいないために孤独に耐えられず、不安や恐怖を解消するために、子供っぽいやり方で解消しようと心のバランスを取ることがある。