創造的深化

より納得のできる未来を、考えてみるには・・・

アドレッセンス期初葉

2016-10-11 06:49:07 | 歴史
アドレッセンス期初葉の特徴

 少年期には、無意識の核に眠る動物性が理性の統御などという後天的な観念を凌駕して、突実世として膨れ上がる。むしろそれが少年期の特徴ともいえる。本人が自覚する、しないに関わらず、人類......


資本主義と近代国家の終焉 

2015-12-12 14:27:14 | 歴史
資本主義と近代国家の終焉
 日本資本主義政府が海外にバラマキ、日本企業による公共投資や企業誘致を図り、利益を生み出そうとすると、当然途上国の産業も雇用も次第に拡大し、新興国へと発展してきます。グローバリゼーションは、今まで先進国が辿ってきた道を歩むことになり、農業から第二次産業が主要産業として成長してきます。つまりは、かつての第二次産業の復活を先進国が求めようとしても、国内は市場が限界に来ていますから無理ということになります。新興国の台頭はすなわち、新興国が生産し消費することで雇用拡大を果たすことになります。もはや先進国が輸出主導で成長を続けていくということには限界が来ていることとととになります。これが資本主義の終焉を示していることにほかならず、同時に資本主義とともに成長してきた政治制度である近代国家の終焉にも差し掛かっていることになります。

日本資本主義政府は、破たんにまっしぐら!

2015-12-12 09:48:13 | 歴史
現在の日本資本主義政府は、財政破たんに、まっしぐらです。
 「交易条件」とは、「輸出物価指数」を「輸入物価指数」で割った比率で求め、輸出品1単位で何単位輸入できるかを示す指数。例えば、資源を安く手に入れて効率的に生産した工業製品を高い値段で輸出すれば、高い利益を得ることができます。当然、逆に高く資源を買い、価格に転化できないと利益は薄くなります。つまり、「交易条件」は、国の粗利がどれくらいあるかを見るには分かりやすい指数です。
 近年の新興国の近代化により現地の人件費や価格高騰は、日本をはじめとした先進国にとって、「交易条件」を悪化させてしまう大きな要因となっています。「交易条件」の悪化は、物づくり大国(先進国)にとっては割に合わなくなっています。無論、地理的あるいは物的空間の拡大が、「交易条件」改善の必須条件ですが、それが世界市場では限界にきていることが、先進国経済、すなわち近代資本主義経済の世界的な限界を招いている大きな要因となっています。こうした大きな潮流ともいえる資本主義経済の限界が見えてきたところに、日本資本主義政府の国民を犠牲にした、「生き残りをかけた最後のあがき」が、戦争法の強硬採決による軍事産業の拡大、企業利潤を生み出すために法人税を下げて、その分を消費税で国民に負担させる。あるいは、人件費を削減して企業利益を生み出すために、非正規雇用を大量に生み出し、あるいは労働者の実質的賃金の減少、社会保障を削減して企業のために収益拡大投資や、海外バラマキによる日本企業の海外インフラ整備等の経済活動供与をさかんにやらざるを得ないのです。膨大な額の赤字国債を乱発し、巨額な国の借金をしてでも破綻を食い止めたいと、日本資本主義政府が、政財官一体となってやっています。しかし、もう借金地獄で破綻を通り越しています。
 では、どうすればこの国は救済できるのか。

東方見聞録 ヂパング島の制圧

2015-12-09 14:11:45 | 歴史
東方見聞録(マルコ・ポーロ)
 フビライ・ハンの軍勢によるチパング島制圧の記録
 チパング島の記録を読むと、チンギス・ハンの孫のフビライ・ハンは1287年に東南アジアへと勢力を拡大して日本へと2度侵攻(元寇)をしている。台風の被害で失敗しているが、この東方見聞録にはさらに興味深い記録があった。それは、1269年と記されているが、ハンの軍勢は暴風雨に被害を逃れて生き残った軍勢の一部が、チパング近くの孤島に約3万の兵士たちは上陸して、露命をつないでいた。これを聞いたチパング島の領主や住民は喜ぶとともに、残存勢力をことごとく生け捕りにしようと多数の船を各地から徴収して我先にと孤島に上陸くした。3万のモンゴルの兵士たちは、日本の兵士たちがすべて上陸したのを見届けてから、孤島の縁を伝ってこっそりと、もぬけの殻の日本の船に全員が乗船し、逆にヂパング島に上陸し、ヂパングの国旗を掲げて本当の首都に向かって進軍した。島民は自国の兵士たちだと勘違いして、都城内に迎え入れてしまったから、さあ大変。城内は年寄りと女子供だけしか残っていなかったので、ハンの軍勢は都を占拠し、美貌の婦女子のみを残して、残りの住民たちはすべて城外へと放逐してしまった。つまり、モンゴルの軍勢にヂパング島は陥落したのです。
 これだけでも驚きの記録だが、これに対してヂパング島の領主や部民たちは、首都陥落の知らせに呆然実質し生気を失って倒れてしまう。    つづく

日本型民主主義とは

2015-12-06 16:15:00 | 歴史
日本の政治に必要な真の民主主義
 どのような場合でも、表面と裏面の対極の双方性から対象を観察し、全体像を捉えることがよく使われている方法論です。日本で現在機能している政治機構は、戦後決められた仕組み民主主義政治。無論、民衆が中央専制支配を打倒して勝ち得た政治機構ではなくいし、市民が蜂起して市民革命が成就した政治形態でもない。
 西欧の民衆が圧政と抗し、獲得できた政治思想の知恵を移入してできあがった、所謂横やりからかすめ取ったものだ。過去からの歴史を見ると、旧来からの政治体質では、とうてい日本の民衆が独自に新しい政治体制を奪取できるような理念も仕組みもない。
 その西欧の思想と民衆の努力で獲得できた民主主義を、私たちはなんなく獲得することができた。日本国民にとっては、敗戦で手にすることができた、むまたとない幸運といえよう。しかし、やはり借り物の民主主義であるために、上物は上出来の制度でも、運用の実態は依然として、今までの我が国の体制を維持してきていた悪しき政治体質が乗り移ってしまっています。しかも、いま改憲の意図が現れてきています。中央官僚にとって、やりやすい体制に戻してしまいたい。戦前の体質を復活させたいのが改憲の意図だと理解できてきました。それは、国民が正しい民主主義を学習し、国土は自分たちの手で、国民主導となるように政治制度改革をさらに前進させて、彼らの改悪の意図と真っ向から戦うしかないということになります。ただ、国民が真の民主主義の在り方とは、何なのかを理解できているのか。そこに課題があります。