創造的深化

より納得のできる未来を、考えてみるには・・・

国津罪と性

2015-06-29 15:55:58 | 対幻想
国津罪と性

「国津罪」に獣姦を入れたのは、せっかく人間が人間らしく動物とはちがって超脱できたと感じられているのに、再び人間を「人間らしさ」以下の、動物へと落としてしまう。これは嫌悪すべきではないかという違和感が古代人にはあったと思います。それで獣姦罪が入れられたのではないでしょうか。つまり違和感が禁制として暗黙の拒否感から「国津罪」として法制化され、区分されるようになった。これは託宣で共同体の動向が判断されていた段階の宗教の時代から、実権力が切り離されて宗教としての儀礼は蹴落とされ、政治として独立し始め、やがて法制化へと文章化されるようになったと考えられます。これはすでに中国の制度の影響が強く出始めてきた段階でもあると考えられます。
 では、なぜ近親相姦が「国津罪」に入れられたか。以前は、近親相姦はべつにタブーではないという時期はあったはずです。つまり初期段階では、血縁関係も希薄な男女関係の時期があったはずで。しかし近親との性行為に抵抗感を抱く段階に至ってきた。それは個でいえば<個>の自覚を持てるようになった個人が、自分以外の他の個人をも意識できて、個人と個人との関係が男女の性関係には、社会的な総体の関係性として現れてくるまでの社会性を獲得できる段階へと来ていたといえます。それと同時に、血縁関係を意識できるには性行為との因果関係が了解できる段階にいたっていなければなりません。自分が性行為した結果でできた子供だという認識がもてるということです。それは性行為の結果として妊娠と出産があるんだという身体の了解です。従来は10月10日の時間の長さが理解できていなかったわけです。おそらくは大陸から入ってきた妊娠と出産の因果関係の情報や、狩猟時代がらやがて稲作農耕が可能になり、米の収穫期のずれも理解できる。日の出と日の入りの時間の推移、次には昨日と今日と明日の時間の理解がさらに広がり、しばらく前のことや、これから少し時間的に先のことにも理解が及ぶようになる。種をまいて、芽が出て、成長して収穫するという時間のスパンを知る。それと妊娠と出産の時間のスパンの理解の時期も、そうは違ってはいないに違いない。とうぜん、次第に品種による時間の違いといった細分化も可能になったであろうし、人間についてであれば、自分の親の世代と自分たちの世代、あるいは同世代や子供たちとの世代の違いも理解ができていったはずだ。こうした時間の観念の拡がりは、血族関係の認識とも深いつながりがあり、親と子の意識の獲得と、同血族の近親相姦のタブーもこのころから獲得されてきたはずだ。自分が動物ではないという人間の認識と人間以外の生物との違いの違和感が、獣姦罪を国津罪に入れたのと同様に、同じ血縁関係の親族と家族、それ以外の血縁関係のグループの認識も血縁集団を生み出すとともに、同族婚の範囲の認識や家族内婚の違和感がタブー化の近居になり、国津罪へと成分化したと考えられる。