創造的深化

より納得のできる未来を、考えてみるには・・・

宮沢賢治の無意識

2015-11-25 12:13:20 | 文学
宮沢賢治のコンプレックス
 検事の作品の登場人物の名前が外国人的であったり、また銀河鉄道のような宇宙的な発想の根拠には、土着性からの離脱の無意識が作用していたのではないかと考えられる。彼は、豪農の生まれですが移住者として近江から花巻に移り住んでいます。当時の豪農の移住者は先住の人たちからは、上辺はお付き合いはあったとしても「キツネ憑きの家だ」などと白い目で見られたり、排斥されたり沿引かな差別を受けています。そうした意識は単なる宗教意識からできなく、賢治の無意識に、土着性からの離脱が働いていたと考えるのが正しいだろうと思われます。

「悲劇の解読」を解読する

2015-09-13 16:28:13 | 文学
「悲劇の解読」(吉本隆明著)を解読する

 以前、真剣に読んでいたつもりの「悲劇の解読」を解読しようと、頁をめくり始めて、この内容の高さに圧倒されたというのが実感だ。「批評」すること自体を、ここまで饒舌にしかも真理を解き明かして見せた解読書に触れたことがない。興味本位でこの本を手にした読者は、おそらくはね飛ばされて読み進めることを断面するか、まさに上澄みを掬ったつもりの錯覚が意識の中の充足感を仮設住宅のように作り上げ、本殿には到底住むことはできないと苦笑して終わらせてしまうのが落ちだろう。 つまり「分かったつもり」の余興すらも演じさせてはくれないからだ。さらに読み込むと、この解説は別の顔を見せ始める。そう、まるで詩表現のような比喩や言い回しを使いながら、「批評」の実像を描こうとしていることに気づくはずだ。
ところで批評として「作品を対象とすること自体は作品から遠ざかることである。」対象である作品を論じながら、この批評論自体を作品に仕上げてしまうこと自体が背理だという。この極限の真実を自分に突きつけながら、批評を解読することは成立するだろうか。読者はここで。、のっけから吉本の厳しすぎる追及の矢面に立たされて屹立せざるを得ないか、この言葉に対峙せずにやり過ごすしかない。しかし、実は自分の批評をすでに既成の批評から追いやり、小林秀雄が築き上げた戦後批評の塔そのものをも突き崩そうという意図が宣戦布告のように示されていることを、ほとんどの読者は気づかない。「やっとひとりの批評家をのぞいて終わりをまっとうしていない。」この一人の批評家が小林であることは明白だ。
 批評を続けていくうちに対象への批評家の視線は、その作品への臨み方が変容していくことを感じるはずだ。その批評家の苦々しく落ち込んでいく、ありがちな世界こそ言葉だけの空虚な価値を意味づけようとしたり、手を変え品を変えようと試みても、いかなる形式も空虚に思え自問自答していくしかなくなるのが、せいぜい既成の批評家達の類型だと言い当てる。もし自分が批評家で、この文章に触れたとしたら批評家の死を暗示されたと感じるか、否定している批評家としての自画像と対面することが、まるで意味のあるように思っていても、実態はただ作品そのものを枯死させていると気づくのである。
「言葉の地表、時代的な囲いという概念、作品が彷徨できる時代的な範囲という概念を信じるかぎり、作者は自殺することも自然死することもできないで、ただ悲劇を演じることができるだけだ。」
 時代の中でしか言葉は泳ぐしししかない。たとえその作家が自殺しようが、自然死しようが関係はくなってしまう。言葉は書き手から離脱し、時代の言葉の全体の表層を撫でるか、時代の言葉の亀裂の間に埋もれるかしかない。それを悲劇的だと形容するとすれば、批評はそれすらも奪われている立場だといえる。つまり悲劇を悲劇として描く意識された悲劇でしかない。悲劇に対して意識的に解読を冷ややかに、やってみせるしかない。つまり作品の方が批評よりは幸福でいられる位置にあるからだ。 これが批評の悩みだとすれば、作品を誇張や強調することで、作品自体をまったく異質な、原型とは似ても似つかない形状にして倫理、理念、歴史を無意識に放り込んでいる。つまり、批評の課題は、停滞する時代の中で作品化されたものを、まさに時代の空気を吸い込み呼吸して実在している
全体の中に位置づけて、作品の形状や意味や価値や意図の実像を浮かび上がらせる。 

古代歌謡の解釈

2015-09-06 09:27:43 | 文学
古代歌謡の解釈
 ■ 八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣
 
  という有名なもっとも古いと考えられている歌があります。問題は、その解釈です。一般的には
 「雲の幾重にも立ちのぼる出雲の宮の幾重もの垣よ。ここに妻を迎えて、いま垣を
  幾重にもめぐらした宮をつくって共に住むのだ。」となります。
その解釈は大和朝廷系の編者たちの解釈です。ところが、三角寛によると、出雲系 の、あるいは土着の未開体制の解釈はまったく異なっていて、漢字の当て字によっ ても違いが、古事記と日本書紀とで異なってしまいます。
  「乱脈な婚姻を断つのに 出雲族の掟を 乱婚にたいして作った その掟を」
 となります。伝承歌をもとに神話が作られており、出雲地域に古くから伝わる解釈と、記紀の編者達とのズレを見ることができます。

近代史の課題

2015-09-05 17:42:50 | 文学
文明は段階で、高所から低所へと流れ込むが、異質の文明は交換不可能性から交換可能性の方へと流れていく。この交換性は逆流しない限り、等価なところに流れ着くつ考えられる。例えば近代詩が担った役割は、詩の意味にできる限りの変更を加えることなく、散文に比較して価値を増殖させ、散文からの超脱と分離を実現することであった。詩は散文とは異質のものだという言語上の試行が、彼等にとっては最後の試みでもあったといえる。

岡本かの子の文学の特徴

2015-08-05 16:33:59 | 文学

  岡本かの子 (吉本隆明)
「 生命というものを一本の糸と考えれば、その生命の糸がグルグル巻きにになって概念の中に含まれています。それを伸ばしてみせたのが岡本かの子の文体の特徴です。普通、生命の糸は、概念の中でグルグル巻きに、ぐしゃぐしゃにたたまれて縮まって含まれているものてですが、それをスーと伸ばして「これが生命の糸だよ」と読者に感じさせるようにできているのが岡本かの子の文章の特徴です。」
その生命の糸の量を受け取ることができたら、読者は彼女の文学が理解できてといえるだろうと述べています