創造的深化

より納得のできる未来を、考えてみるには・・・

なぜ鴎外は玄人の女性が好きか

2015-12-09 15:54:32 | 対幻想
「父の像」(吉本隆明)
 この中で気になる箇所。「森鴎外ももつ女性像は、玄人筋の女性像からできています。これは、父親の持っていた女性像をたいへんよく受け継いでいると思います。なぜ、受け継いだかといえば、長く生きていた母親が父親を肯定的に見て、否定したことがない過ごし方をしたために、それが鴎外に受け継がれていったんだと思います。」
 この個所で、漱石とは違うことと対比しています。問題は、なぜ母親が父を否定しないと、息子が玄人すぐの女性を好きになるのかという疑問です。解けない。

東方見聞録 ヂパング島の制圧

2015-12-09 14:11:45 | 歴史
東方見聞録(マルコ・ポーロ)
 フビライ・ハンの軍勢によるチパング島制圧の記録
 チパング島の記録を読むと、チンギス・ハンの孫のフビライ・ハンは1287年に東南アジアへと勢力を拡大して日本へと2度侵攻(元寇)をしている。台風の被害で失敗しているが、この東方見聞録にはさらに興味深い記録があった。それは、1269年と記されているが、ハンの軍勢は暴風雨に被害を逃れて生き残った軍勢の一部が、チパング近くの孤島に約3万の兵士たちは上陸して、露命をつないでいた。これを聞いたチパング島の領主や住民は喜ぶとともに、残存勢力をことごとく生け捕りにしようと多数の船を各地から徴収して我先にと孤島に上陸くした。3万のモンゴルの兵士たちは、日本の兵士たちがすべて上陸したのを見届けてから、孤島の縁を伝ってこっそりと、もぬけの殻の日本の船に全員が乗船し、逆にヂパング島に上陸し、ヂパングの国旗を掲げて本当の首都に向かって進軍した。島民は自国の兵士たちだと勘違いして、都城内に迎え入れてしまったから、さあ大変。城内は年寄りと女子供だけしか残っていなかったので、ハンの軍勢は都を占拠し、美貌の婦女子のみを残して、残りの住民たちはすべて城外へと放逐してしまった。つまり、モンゴルの軍勢にヂパング島は陥落したのです。
 これだけでも驚きの記録だが、これに対してヂパング島の領主や部民たちは、首都陥落の知らせに呆然実質し生気を失って倒れてしまう。    つづく