電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

両眼視野闘争

2007-07-01 22:15:38 | 自然・風物・科学

 私の左眼は、まだ、余りよく見えない。出血は止まり、少しずつ出血した血が吸収されているようだが、視力が元通りになることは多分ないと思われる。問題はどのくらいまで見られるようになるかだ。左目では、今のところ読書ができない。左目で見られる像は、ゆがんでいるだけでなく、中心部では色覚も異常を来していて、赤とか黄色がほとんど認識できない。しかし、部分的にゆがんでいる故に、所々視力が右目よりはっきりしているところがある。そうすると、私はとても見づらい状態になる。

 しばらく前までは、左目がほとんど見えなくなっていて、特に文字などは、左目では全く読めなかった。その時は、逆に本など読むときはわりと楽だったような気がする。つまり、左目が右目と違った見え方をし始めたために、どうやら私の脳の中で「両眼視野闘争」が起きているらしい。この「両眼視野闘争」というのは、茂木健一郎が、『クオリア入門』(ちくま学芸文庫)の中で、「主観性」の問題として論じている。いわば、茂木は、この「両眼視野闘争」から、「感覚的なクオリア」と「志向的なクオリア」を区別することを発見した現象だ。

 私たちの左目と右目から入る像は、それぞれ異なる視角から見ているから、一般には異なっている。しかし、私たちが外界を見るとき、その視角像は、視野の中に広がる統合されたイメージとして現れる。「両眼視野闘争」とは、私たちの脳が、左目と右目から入った異なる視角像から、いかにして統合された単一の視角像を作り上げるかという問題である。この問題は、しばしば、左目からの視角像と右目からの視角像のどちらを優先させるかという二者択一の「闘争」として現れるので、この現象を両眼視野闘争と呼ぶのである。(『クオリア入門』p128より)

 多少違っていてもほとんど同じように見えている視角像の場合は、どちらかが優先させられることになり、大抵それは効き目からの視角像が優先され、もう片方の眼からの視角像は、奥行きの知覚をもたらす働きをしているとはいえ、無視される。つまり、両眼視野闘争の結果、効き目からの「感覚的クオリア」がもう片方の「感覚的クオリア」を覆い隠して、志向されていることになる。

 ところで、こうした人間の眼に、それぞれ違うものを見せたらどうなるか。例えば、少し工夫して、左目には縦縞の像を、右目には横縞の像を見せたらどうなるかという実験である。この実験の結果は、驚くべき結果となる。視野のある部分では縦縞が見え、他の部分では横縞が見えることになるのだが、その領域の分布がドラマティックの変化するという。この「縦縞VS横縞」の組み合わせによる両眼視野闘争の結果は、次の三点に要約されるという。

(1) 視野のある特定の部分においては、二つの刺激(縦縞あるいは横縞)のうちの、どちらか一方だけが見える。両方が「融合」したような刺激が見えることはない。その意味で、視野のある特定の部分における「見え」は、排他的な、二者択一である。
(2) 二つの刺激が見える領域の間の境界は、ナイフで切ったように鋭利なものである。二つの領域の間に、ゆっくりと変化する中間的な領域が挟まれるということはない。
(3) 二つの刺激が見える領域は、刻一刻と変化する。その変化を自分の意志でコントロールすることはできないように思われる。(同上・p141より)

 茂木健一郎は、ここから、感覚的なクオリアだけでなく、志向的なクオリアの存在の発見へと進んでいくのだが、私には、(3)の「自分の意志でコントロールすることはできないように思われる」ということが気になった。確かに、左目と右目が全く別なものを見ていた場合、脳は、混乱するほかないのだろう。そして、感覚器官を通して作り出された視角像であるが故に、それは強固にそれぞれが自己主張するのである。つまり、私たちはそうした場合は、どちらか片方を、眼帯で見えなくしてしまうほかないのだと思われる。私の左目は、もう少し正常になるまで、あまり見えない方が疲れないような気がする。多見えると、そのためにとても疲れる。

 しかし、左目と右目の像の違いを毎日確かめながら(つまり、回復しているかどうかを確かめながらということだが)、人間の視覚の不思議が実感させられる。私たちは、単純に外観を反映した像を眺めている訳ではなく、視覚を通して、外界からの情報を色々加工しながら知覚しているのであって、その結果あたかも外界がそうでありそうな視角像を作り上げているのだ。私の左目の世界では、赤や黄色が正常に認識されない。私の左目の黄斑では、赤や黄色に正常に反応できないような状態が起きているだけのことだが、それだけでも風景は一変してしまう。しかし、今のところは、基本的には同じ対象を見ている訳なので、両眼視野闘争の結果、右目優位で何となく過ごすことができるということになる。

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はじめまして!私は50才の会社員です。実は私も... (ゆうたろうの父)
2007-09-28 11:17:15
はじめまして!私は50才の会社員です。実は私も今年5月の人間ドックにて、右目の眼底出血が発見され、すぐ、近くの個人眼科にてレーザー手術を受けました。若い頃から中性脂肪値が高く、動脈硬化による出血でした。視力も矯正視力(もともと近視)で0.4と下がりました。内科では血圧を下げる薬と中性脂肪を抑える薬を処方され服用を始めました。しかし、3ケ月後の8月に再出血してしまいました。個人病院では何故再出血したのかなと、首をかしげるのみで、アドナという止血剤を処方され、2週間毎に様子を見ましょうと言う事でした。何も変化が無いまま2回ほど様子見ということで通った頃、偶然な事項も重なり、他の眼科で診察を受けることになりました。そこでは、今のままでは、悪くなるだけですよと指摘され、病院をかわることを指示されました。そこで、昨日(9/27)、別の病院で蛍光眼底造影検査を受けてきました。結果、前に受けたレーザー治療の効果は見られなく、黄班に浮腫が2ケ所出来ていて、血管もぼろぼろの箇所があり、再度のレーザー手術と眼球への注射が必要と診断され、10月11日に手術を予定しています。そのあと、結果が思わしくない場合、硝子体の手術(10日間くらい入院が必要)もありますよとの事でした。どちらにしても、以前のような視力には戻りませんと言われましたが、前の病院では、そのような診断はしてくれず、今は前の病院へは不信感が残っています。この先、自分の症状がどのようになるかは、まだ分かりませんが、またお知らせしようと思っています。
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