電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

民主党代表選

2010-09-05 22:02:37 | 政治・経済・社会

 それにしても、不思議な選挙だと思う。9月1日に小沢一郎と菅直人が、民主党の代表選に立候補して、14日の投票日までに、それぞれが自分を売り出すことになった。そのこと自体は、不思議でも何でもない。現在、衆議院では、民主党が過半数を占めているため、この代表選挙がある意味では総理大臣を決める選挙でもあるというところが、問題のポイントである。そして、国民の多数の支持をバックにしている現総理大臣と、人脈と国会議員の支持者なら圧倒的である前幹事長との戦いであり、お互いの政治家としての姿勢を全面に押し出しての戦いになっているところが、マスコミの格好の材料になっている。

 本当なら、民主党の支持者でなければ、関係ないと済ますところだが、不思議なことに国民を巻き込んでいる。それは、日本全国数カ所で行われる立ち会い演説会の在り方を見ていてもよく分かるし、小沢も管も、今、始めて本当の自分とは何であるかを国民の前にさらけ出そうとしているところからもよく分かる。そして、私たち、一般大衆もまた、この2人の戦いを、固唾をのんで見守っている。国民には誠実そうだが、あまり政治力が期待できない管総理大臣とあたかも悪徳政治家であるかのようにマスコミに作り上げられた像をちらつかせながら何でもできそうな政治力をアピールしている小沢前幹事長という対立の構図は、本当は、とても分かりにくい。

 政策の違いについていえば、話は簡単で、これまでの民主党のマニフェストを鳩山内閣の体験から修正したのが、管直人の現実路線と言われているものだ。これに対して、小沢一郎は、破綻したと思われている民主党のマニフェストをそのまま主張している。小沢によれば、民主党のマニフェストが実現できなかったのは、鳩山や管にそれだけの政治力がなかったからであり、それは、結局のところ官僚たちに負けたのである。小沢は、もし自分が総理大臣になったら、今の内閣とは違って、政治主導の下に、これまでの民主党のマニフェストを実現していくと言っている。

 もちろん、民主党のマニフェストについて言えば、それは、ついこの前、鳩山が総理大臣を辞めるときに、出来ないと判断して、新しい内閣が路線を修正したものである。小沢は、民主党のマニフェストは、やろうと思えばできたことだ言いたいらしい。しかし、管が修正したのは、財源がないからではない。私の認識では、国民は民主党のマニフェストになど、全面的に賛成していたわけではないということを、民主党が分かり始めたからだ。。つまり、民主党が政権を取れたのは、自民党がだめだったからで、民主党の政策がよかったからではないということを自覚始めたと言ってもよい。自民党とそんなに違わない民主党だから、自民党支持者も民主党に鞍替えしたにすぎない。むしろ、管は、国民が政策的には、国民の意向にそって政策の軌道修正をしたのである。

 もしそうだとすれば、私たちは、この代表戦に何を期待しているのだろうか。あるいは、何を期待していいのだろうか。こうした、劇場型の選挙は、小泉元総理大臣が作ったものだ。小泉が自民党をぶっ壊すといういいながら、衆議院の解散を決行したのは、彼の賭であると同時に、政治家としての自信でもあった。そして、その賭に彼は、勝った。今回、賭をしたのは、管ではなく小沢だと思う。ここが、おそらく小沢一郎の最後の舞台だということを彼は自覚しているのだ。しかし、それ故に、この民主党代表選挙は、結果的には、どちらが勝ってもおそらく、民主党の崩壊に向かって進むに違いない。

 日本の政治は、今、大きな転機にさしかかっている。それは、新しい政党の在り方の問題でもあるし、新しいリーダーの在り方の問題でもある。しかし、総理大臣の選出が、大統領選挙のようになることがいいのかどうか、難しいところだ。今のところ、民主党の代表選挙は、疑似大統領選のような様相を呈している。小沢一郎が立候補すると決めたときから、管総理はそうした戦略をとらざるを得なかったに違いない。小沢一郎に確実に勝つためには、国民の人気をバックにしなければ難しいと彼は判断したのだ。

 民主党のマニフェストの実行過程を見ていると、政治主導というのは、国家主導だとでも言いたいような様相があった。沖縄の問題も八ッ場ダムの問題でも、それは政治主導というより、国家主導ということであるにすぎない。私は、いずれにしても、国家主導という政治には反対だ。もちろん、小沢一郎の場合は、政治主導というとき、以前幹事長だったときの振る舞い方から考えて、より小沢主導ということであるにすぎない。官僚主導とか政治主導という問題は、本当はどうでもよい。なぜなら、政治家と官僚は同じ問題を違った角度からアプローチしているからだ。もし、そうでないとしたら彼らはそれぞれ自分の立場を理解していないのだ。

 政治家は、自分の理念に基づき政策を考える。しかし、官僚たちは、必ず具体論で主張しているのであり、解決できるかどうかを考えている。それが現実の行政の問題の解決の仕方である。確かに、民主党の理念と官僚たちの現実政策とのすりあわせがこれまでうまくいかなかったのは事実であり、現在までのところ、民主党の政治家は、官僚以上の現実的な処理ができていない。つまり、いろいろな政策が現実化するとき、結局のところ官僚たちに任せてきているのだ。今のところ、そうした官僚と議論を戦わせて新しい国家戦略を築いたという例を私は知らない。

 私は、政治主導が国家主導ということであれば、官僚主導と同じように、それに反対である。ましてや、小沢一郎個人が国を運営していくことなど、いいことではない。また、そんなことは不可能である。誤解を恐れずにいえば、なかなか結論がでないかもしれないが、みんなで考えたほうがよいに決まっている。小沢一郎は、3人寄れば文殊の知恵というようなことを言っていたが、まあそれは鳩山由紀夫の言葉と同じで、あまり信用できない。私は、日本の行政組織には、とても多くの欠点があるということはよく分かる。最近いろいろな問題が発覚して新聞で騒がれているように、これらは日本の行政組織の欠陥が露呈したものだ。しかし、日本の行政組織より、民主党の政治集団のほうが優れているとはとても思えない。

 今のところ、小沢一郎が総理大臣になったとき、彼が鳩山由紀夫以上の何ができるか、私には、まったくに未知数である。むしろ、小沢一郎が負けたとき、彼が何をするかの方が分かりやすい。民主党が分裂して、自民党を巻き込んで、政界の再編成が始まることだけは確かだ思われる。そして、それは、また、管総理大臣と民主党をも荒波の中に巻き込んでいくことになるに違いない。少なくとも、菅直人と小沢一郎は、おそらくそうなることを想定して、動いているに違いない。そうでなければ、鳩山由紀夫のように自滅していくだけなのは、確かだと思われる。

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1 コメント

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小沢グループの勘違いぶりは、嗤える話ではありま... (秋の空)
2010-09-05 22:08:58
小沢グループの勘違いぶりは、嗤える話ではありますが、
それがこう堂々と喧伝されると、世の中、なんか、ねじ曲がっているようで
すっきりしませんよね、国民感情的には。
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