電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

ヒガンバナとコスモス

2010-10-03 21:04:04 | 自然・風物・科学

毎年の恒例になった、巾着田探訪。ヒガンバナ(曼珠沙華)については、6年ほど昔に、「曼珠沙華、花言葉は『悲しき思い出』」という題でブログに書いた。 今年は、その時より更に暑い夏で、お彼岸の頃にやっと咲き始めたという感じだった。しかし、涼しい日が続いたせいか、先週から見頃になっていて、今週は沢山の人々が訪れていた。訪れた人たちは、いつもヒガンバナ(彼岸花)を見ながら、同じような疑問を持つらしい。今日は、「こんなに沢山どうやって増えたのかしら?」と話していたのを聞いた。このほかに、「葉っぱがないのに、どうして花が咲くのかしら?」というのもある。

 巾着田については、2年ほど前に、ミクシーで次のようなことを書いた。

私が行ったのは、1時少し過ぎだったが、行く人も多いが、帰る人も多かった。多分朝早くから行った人たちだろう。通り道には、地元の人たちが、地元でとれるものを売っていた。最近、何となく、そうした店が様になってきたような気がする。こうして、いつか、日高の名産になっていくものもあるに違いない。

巾着田は公園になっていて、曼珠沙華のシーズンだけ200円の入園料が取られる。つい数年前までは無料だったが、最近有料になった。しかし、管理面を考えると、まあ必要な経費だと思われる。それだけのお金で、巾着田の曼珠沙華が管理できるのなら、安いものだと思う。曼珠沙華は赤い花をつけるのが普通だが、時には白い花をつけるものがある。巾着田にも白いものがあり、その周りで、カメラマンたちが固まっている。中には、場所取りでいざこざを起こしている人もいた。管理人さんが、中に入ってなだめていた。こんな仕事もやらなければならないのだ。

巾着田は、早咲き地と遅咲き地とあるが、どちらもほとんど満開に近い。見事と言うほかない。花を見ていた子供が、曼珠沙華にはどうして葉っぱがないのと聞いていた。しかし、その返事に両親も不思議だねと答えていただけだ。是非、家に帰ってから調べて、子供に教えてあげてほしいと思った。曼珠沙華は、まっすぐな茎の上に真っ赤な花だけをつける。葉は花が散って後にゆっくり生えてくる。そして、光を浴びて、栄養を根に蓄える。春になると葉は枯れ、夏が終わりに近づきやがて涼しくなってくると、茎が伸びてくるのだ。

そんなことを思いながら、ひとりで、一面の咲き誇る曼珠沙華を眺めながら歩いていると、なんだか別世界に来たような気がしてきた。日常の世界にぽっかり開いた異空間。そして、曼珠沙華の一輪の花をじっと眺めていると、その複雑な構造に目眩がしてくる。巾着田には、曼珠沙華のほかにコスモスもたくさん生えていて、こちらも見頃だった。曼珠沙華の季節が終わると、季節は急激に秋をらしくなって来る。(2008/9/23の日記一部略)

今年から、公園の早咲き地点あたりの川に板の橋がかかっていて、ひょっとしたら、滝不動尊の方から、入って来られるのかもしれない。橋を渡った所に、入園料を払う受付があった。受付のところが少し広くなっていて、そこから、川の向こうに巾着田が見渡せられるようになっている。少しずつ、巾着田は、変わっているようだが、大体においては、同じ風景だった。

 冒頭の疑問については、以前ブログに書いた記事を読んでほしいが、ヒガンバナ(曼珠沙華)については、もう一つ、知っておいたほうがいいことがある。ヒガンバナは、中国から輸入されたものだそうだが、日本のヒガンバナは、全て遺伝的に同一であり、三倍体であるということだ。だから、雄株、雌株の区別が無く種子ができない。ウィキペデイアによれば遺伝子的には雌株であるらしい。つまり、中国から伝わった1株の球根から日本各地に株分けの形で広まったのであり、すべてのヒガンバナは遺伝子的にはまったく同じクローンだということになる。

 ところで、ヒガンバナは、赤い花だとばかり思っていたら間違いで、巾着田にも白いヒガンバナがある。この白いヒガンバナは、どうしてできたかは、謎である。なぜなら、皆クローンなら、白い花になったというのは、突然変異が起きたということになる。ただ、ショウキズイセンという黄色い花を咲かせるヒガンバナの仲間があり、このショウキズイセンと赤色のヒガンバナが中国で交配して、白いヒガンバナができた可能性もある。あるいは、黄色いヒガン花が、日本で白いヒガンバナに突然変異したのかもしれない。ただ、高麗駅から巾着田へ向かう道の売店で、この黄色いヒガンバナを売っている店があり、その近くの軒下に黄色いヒガンバナが咲いていた。これは、今年始めて気がついたことだ。このショウキズイセンは、久米島で売っているそうで、そこから来たものかもしれない。こちらは、種子がちゃんとできるという。、

 また、さぬき市にある、「みろく自然公園」には、実際に、黄色、白、赤のヒガンバナが咲いている。こんなにあちこちで、ヒガンバナの突然変異ができるのだろうか。しかし、こんな、話を推理するのも面白そうだ。そして、こうしたヒガンバナに惹かれて、「ヒガンバナの民俗・文化誌」というとても刺激的な論文をWeb上に書いてくれた栗田子郎先生という生物学者がいる。ヒガンバナについて、何か語ろうと思ったら、まず参考にしてほしい。

 さて、この記事のタイトルを「ヒガンバナとコスモス」とした以上、コスモスについてもふれておきたい。まず、コスモスは、キク科に属しているということである。菊はもちろんだが、タンポポやヒマワリもキク科の花である。そして、これらに共通しているのは、みんな一つの花のように見えるが、それらは、みな「頭状花序」と呼ばれ、多数の花が集まって一つの花の形を作っているということだ。コスモスでいえば、外輪の八枚の白やピンクの花びらのようなものを「舌状花」と呼び、内側の花びらがない花を「筒状花」と呼ぶ。これは、キク科の特徴である。だから、一つの花にたくさんの種子ができる。

 また、コスモスというのは「秩序」と「調和」を持つ世界を意味し、「宇宙」をさす語であるが、どうしてこんな名前がついたかについては、田中修さんの『都会の花と木』(中公新書/2009.2.25)の文章を引用して参考にしておく。

 ニつのつながりに、思いをめぐらすことはできる。コスモスの花のまわりには、花びらに見える八個の舌状花が規則正しく並び、中央には数十個の筒状花が集まっている。「その秩序正しさと、花としての調和のとれた姿は、宇宙の秩序と調和に相通じるものである」と感じても、唐突なものではないだろぅ。
 これに加えて、私の勝手な想像を加えてよいなら、花の中央にある小さな筒状花の一つひとつに注目して目を凝らしてほしい。これらは、興状花、あるいは、管状花といわれるので、筒や菅のょうに丸い姿であると思われがちである。
 しかし、目をすえてじっくり観察すれぱ、コスモスの開く前の筒状花は、五角形の星形である。そして、開いた筒状花は、五角形の星が輝くような形に花弁を広げている。それぞれの筒状花が、きれいな星形に花弁を開くのだ。
 これらの筒状花は、いっせいに開くわけではない。まわりの花がまず開ぎ、徐々に中央のものが開いていく。この星形の筒状花の開花を星の輝きに見立てれぱ、「コスモスの花の中央には、星がいっぱいあり、次々と秩序と秩序正しく輝いていく」と感じられる。(『都会の花と木』p159・160より)

この文章をじっくり味わってから、ヒガンバナより長く咲いているコスモスを、ゆっくりと見てみるのも楽しいと思う。

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