Blog満賊亭

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成長する思い出(2)

2014年01月18日 | 国内de海外
今をさかのぼること9年前。
アンコールワットを目指し、アジアの旅に出た。当初1か月を予定した旅行は人との出会いや導きにより大きく変化を遂げる。当時も中国では反日デモが激化しており、重慶などの抗日拠点は言うまでもなく、北京や上海でもデパート襲撃が行われており旅の目的地から中国を外していたのだが、タイから北上しラオスのムアンシンまで辿り着いたとき、そこで出会った友人の導きによって、それまでの旅行はガイドブックを持たぬ「旅」へと大きく変化し、中国1か月の旅へと突き進む。

当初は景洪→大理→麗江でラオスに戻ろうとしていたのだが、蜀の都、成都を目の前に三国志好きが引き返せるわけがなく、ビザを取得してディープな三国志ツアーへと変貌していく。当時は成都からチベットを目指すラサ越えも人気のコースであり惹かれはしたが、三峡ダム建設によって三国志ゆかりの史跡が水没間近だったため、それまで共にに旅した友人と別れ単身東へ向かった。
<長江下り乗船の図>
長江下りから武漢に降り、桂林を経由して再び昆明まで到達した頃には気の向くまま進む「旅」の楽しさをわかり始めていたと思う。
湖岸には古きお寺がこの通り

赤壁付近では船から降りて渓谷下りも楽しむ

桂林では悪天候で道路が寸断され、中国人の家に泊めてもらったり、今思えば怖いもの知らずだったと汗顔A^^;

こうなると不思議と勘ばたらきが効くもので、素敵な旅仲間に誘われ棚田で有名な元陽にたどり着いた。

元陽には当時10年近く沈没している有名な日本人の主(兄さん)が居り、偶然にも彼に出会うことで、アカ族・イ族・ハニ族・ヤオ族といった少数民族の村を尋ねる奇跡の棚田ツアーに参加させてもらった。
当時の写真が残っているのでざっと貼り付けてみる。

雲南省の南部に位置する元陽(正確には中華人民共和国雲南省紅河ハニ族イ族自治州元陽県)は米作が非常に盛んな土地。
山の斜面を利用して作られた幾重にも広がる棚田は田植え間近に訪れると、水を張った田に空が映え、幻想的な空間を作りだすそうな。旅した当時は6月頃だったため、残念ながらその光景は見ることができなかったが、膨大な数の棚田を目の当たりにし、圧倒される。
棚田ひとつひとつの奥行きはおよそ1~5m。幅は場所にもよるが100m以上のものが連なる。

よくもまぁここまで耕したものだと脱帽。高地ゆえトラクターは使えない

動力はもっぱら牛。温厚で力持ち。悲しいかなこの地域で食べる牛肉は皆硬い。

硬い理由は最後のオツトメ。働いたのち、食肉になってしまうそうな・・・

棚田の高さはこんな感じ。毎年手入れが必要なわけだから想像を絶する作業だ

ハニ族の棚田のごく一部。これが延々と続く






こんな棚田のあぜ道を延々と歩き倒すトレッキング。片道6時間以上歩いたと記憶している。当然日帰りは困難で、途中、少数民族の村にお邪魔し一泊させてもらうことになった。そこには観光用ではない生活に密着した民族衣装をまとう彼女たちがおり、その豊かな色彩にうっとり。









こんなトレッキングができたのはすべて元陽の主である兄さんのおかげなのだが、この方の人の良さや、雰囲気、モノの言い回しやおっちょこちょいな性格は北の国からの主人公「じゅん」にそっくり。愛すべきキャラの彼のおかげで本当に貴重な経験を味わうことができたが、酒癖の悪いのが難点。毎晩、少数民族の子達と卓と共にし、アルコール度数のきつい白酒(バイジュ)をやりながらぐでんぐでんに酔っぱらうサマに苦笑いしたものだ。また、無理に飲まされた白酒は安いお酒のため本当にきつく目が回るほどだった。


そう、この時点までは確かにお酒(焼酎や米のお酒)が苦手だったはず。下戸と下戸の掛け合わせゆえ、ビールも付き合いでしか飲まず、1杯も飲めば真っ赤になってしまうほどだった。
ところが、この先ベトナムに入ったことで過去のトラウマがよみがえり、以来日本酒だけは酔っぱらわない特異な体質へと変貌を遂げる。

それはハノイの暑い夜の出来事だった。

つづく


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