バリのヒンドゥ教総本山として聖なるアグン山(標高3142m)のふもとにあるブサキ寺院。
複合寺院として火の神ブラフマー、風の神シヴァ、水の神ヴィシュヌの三大神が祭られている。
それぞれの神には色があり、火の神ブラフマーは赤、風の神シヴァは黄と白、水の神ヴィシュヌは黒で示されているらしい。
また、その神々を警護するかのごとく無数の石造が安置されているのだが、これもよくよく見ると左側は穏やかな顔、右側は牙が生えた厳しい表情をしている。
なんでも、左側は善、右側は悪を表していて、それは人々が善と悪という感情を持ちながら生きていることを意味しており、バロンダンス(これも幸運にも観れた!)などでも悪の化身ランダと善の神バロンとの永遠の戦いなどでも描かれており、善と悪の介在はひとつの教訓として語り継がれているようだ。
そう、この世の中は0と1だけで割り切れないことが多く存在する。
それらは理屈では白黒はっきりと切り分けることはできない中間色として存在しており、白と黒の間を上手にとりなしてこそ、生の醍醐味を味わうことができるのではないかと強く思う。
この考えは池波正太郎の考え方で、こうやって異国の地に来て、かつて読んだ言葉の意味がすっとこころにしみこんでいく出来事(=腑に落ちる瞬間)に出会うのがたまらなく嬉しい。
この日珍しくガイドをつけてみた。不断なら絶対譲らないお調子すぎるボリ方にもこの日は
腹を立てず、素直に従ってヒンディスタイルでお参りしてみた。
写真のように地べたに座り。お供え物から赤い花=ブラフマーを右の耳に、黄色の花=シヴァを左の耳にかざり、青(紫)の花を頭の上にのせて、お祈りを捧げる。
祈りを捧げたあと、お供え物をお布施とともに奉納。
この日はちょうど葬式があったようで、ガムランという特殊な音色が響き渡るなか、お供え物を頭上に上げた女性たちを多く見かけた。
すがすがしい気分に満ち溢れながらブサキ寺院を後にし、キンタマーニへ向かう。
この時、あとで縮みあがる思いをするとはつゆにも思わず・・・。
複合寺院として火の神ブラフマー、風の神シヴァ、水の神ヴィシュヌの三大神が祭られている。
それぞれの神には色があり、火の神ブラフマーは赤、風の神シヴァは黄と白、水の神ヴィシュヌは黒で示されているらしい。
また、その神々を警護するかのごとく無数の石造が安置されているのだが、これもよくよく見ると左側は穏やかな顔、右側は牙が生えた厳しい表情をしている。
なんでも、左側は善、右側は悪を表していて、それは人々が善と悪という感情を持ちながら生きていることを意味しており、バロンダンス(これも幸運にも観れた!)などでも悪の化身ランダと善の神バロンとの永遠の戦いなどでも描かれており、善と悪の介在はひとつの教訓として語り継がれているようだ。
そう、この世の中は0と1だけで割り切れないことが多く存在する。
それらは理屈では白黒はっきりと切り分けることはできない中間色として存在しており、白と黒の間を上手にとりなしてこそ、生の醍醐味を味わうことができるのではないかと強く思う。
この考えは池波正太郎の考え方で、こうやって異国の地に来て、かつて読んだ言葉の意味がすっとこころにしみこんでいく出来事(=腑に落ちる瞬間)に出会うのがたまらなく嬉しい。
この日珍しくガイドをつけてみた。不断なら絶対譲らないお調子すぎるボリ方にもこの日は
腹を立てず、素直に従ってヒンディスタイルでお参りしてみた。
写真のように地べたに座り。お供え物から赤い花=ブラフマーを右の耳に、黄色の花=シヴァを左の耳にかざり、青(紫)の花を頭の上にのせて、お祈りを捧げる。
祈りを捧げたあと、お供え物をお布施とともに奉納。
この日はちょうど葬式があったようで、ガムランという特殊な音色が響き渡るなか、お供え物を頭上に上げた女性たちを多く見かけた。
すがすがしい気分に満ち溢れながらブサキ寺院を後にし、キンタマーニへ向かう。
この時、あとで縮みあがる思いをするとはつゆにも思わず・・・。