乾物屋の娘【乾物屋の今井商店 https://kanbutuya-imai.com】

乾物屋の娘が子供の頃から近くにある「乾物」を今見直そう!
子どもと一緒に、「ていねいな暮らしをしたい」と心がけて・・・

東京へ!

2014年06月24日 | Weblog
先週末、東京へ行ってきました!
もう何年ぶりでしょう。

やっぱり「人」多いですね。
電車は次から次へと来るのに、どれもいっぱい乗っているし。
人に酔いそうでした。


今回はお仕事でした!
何のお仕事だったかと言いますと・・・、


柏崎商業高校同窓会東京支部です。

柏崎の商業高校は今はなくなってしまいました。
私の父の母校です。

東京へ今井商店や柏崎の名産を持って行きます。

商業高校は授業で「売買の勉強」をします。
それは「柏商マーケット」という呼び名だったそうです。



今は販売の仕事をしていない人も、高校時代を思い出して「いらっしゃい!」と声を出しながら!



準備前の様子です。

商品数が多いので前日から発送しております。

幹事年の皆さまのおかげで完売です!
皆さま、完売の達成感は伝わってきました。

ご購入いただきました皆さま、ありがとうございました。



片づけも早めに終わり、一人日本橋へ!


お目当ては・・・

外も賑わっています。

店内の様子は写真に撮らなかったですが、
めっちゃ人いっぱいいました。



だしのお店
茅乃舎さん
(写真一番右は違うお店のものです)

びっくらしました。
こんなに興味ある人いるのかぁ。

少しの試飲にも長蛇の列。
お会計にも。

乾物屋の今井商店でも「ダシ」となるものを取り扱っており、
まちゼミなどで広めたりしていますが、
やはり手軽なものがいいんだろうなぁ、という感じは伝わります。


「ダシパック」の中身も相当良いものをお使いなんだろうなぁ。
規模が大きすぎて、こちらの道は・・・。
と考えました。

私は私でできることを、と。


もう一軒寄りたいところもありましたが、もう足が限界でした。

慣れない靴を履き、都会は歩かなければなりません。
しかも道を行きすぎたり…。

心が折れそうでしたが、「もう東京慣れてます」っていう顔して
歩いてみました。バレテいたかな。

久しぶりの東京。
また行きたいです!!


乾物屋の今井商店 若林

3.11

2014年03月12日 | Weblog


昨日は、東日本大震災から三年でした。

新潟の柏崎にもたくさんの方が避難してきて、今現在もこちらで不自由な暮らしをされていることと思います。

柏崎も原発の町。
他人事ではありません。

どんな思いでこの三年を過ごしてこられたのか。
昨日の黙祷のとき、思いました。

私はいまだに被災地へは行けていません。
復興のための一つはその地を訪れることだと思います。

ぜひいつか旅してみたいです。


そして、翌日3月12日、今日でこちらも三年です。
長野県北部地震

朝方、まだ布団の中で揺れを感じました。
下から突き上げるような揺れで目が覚めてドキドキした事を覚えています。

柏崎は5弱。

相当な揺れだったと思いますが、横にゆらゆらしなかったせいか我が家は被害はなく。
もちろん震源地ではとても大変なことになっていました。

しかし、東日本大震災の被害があまりにも凄まじく、助けに行ける人も行政も多くは動けなかったような気がします。


この二つの震災で、被害に遭われた方、お亡くなりになった方心よりお祈りいたします。


ついつい後回しになってしまうけど、とても大事なこと、考えながらこれからも生きていかなければ、と思いました。




乾物屋の今井商店 若林

今井先生

2013年05月14日 | Weblog


先週、中学生のころの恩師が亡くなったと連絡がきました。
今井先生。

私の姉は3歳上で、彼女もうけもたれたことがあり、私は2年生のとき担任でした。

理科の先生。
柏崎では有名は「えんま堂」の住職。

とても人間味のある先生でした。

中学生って一番難しい年頃だと思います。
子どもなのに、大人に憧れていっちょまえなコト言ったりして。

そういう子ども達を頭ごなしに否定する先生が多かったような時代で、今井先生は子どもの気持ちを考えてくれる先生だったと思います。
(偉そうなこと言ってる?)

私達の学年の同年会にも来てくださり、それこそいっちょまえにお酒なんか飲みながら一緒に話をしたり。


柏崎では6月14日から16日に「えんま市」という

 200年以上の歴史を持つ「えんま市」は、総延長約2kmの通りに約500軒もの露店が立ち並ぶ大露店市

が開かれます。
そのとき、みんながお参りに行く「えんま堂」

いつもそこに座っておられました。

私は特に目立つ存在でもなかったので、いつも声をかけるのをためらっておりましたが、お参りしながら先生を確認していました。


お話によると、突然のことだったそうです。
ご家族のかたもまだ信じられない、といった感じでした。
お通夜に参列させていただきました。

そこには、中学時代バレー部の顧問の姿があり、最後に少しお話させていただきました。

そのころの先生たちは仲がよかったそうで、それぞれ転勤などで離れても一年に一回は集まって飲んでいたそうです。

今年の一月もみんなで集まって、とお話してくださいました。
先生も驚いておられました。

きっと本人が一番驚いていたりして・・・。


それから、今井先生のことを思い出してみました。

確か中学二年のとき、化学反応式を習いました。
H2 + O2 → H2O
というあれですね。

まあこの辺はよく見るのでよいのですが、
だんだん複雑なものになると、

エタノール+酸素→水+二酸化炭素
 C2H6O + O2 →H2O + CO2

とか

炭酸水素ナトリウム → 炭酸ナトリウム、水、二酸化炭素
   2NaHCO3    → Na2CO3 + H2O + CO2

とかになると、教科書の説明だけではさっぱり????

「こっちは小さい2なのに、なんで左側は大きい2になるんですか?」

と今井先生に聞いてみました。
すると、先生は


「考えるなっ!覚えろっっ!!」と・・・。

えーっっそうなの??

自分で調べればよかったのか、中学時代はきっととりあえず覚えるってところまでだったのかもしれません。
詳しくは高校や大学で、みたいな?


また、私は廊下の掃除担当でした。

毎日掃除をしているのに、ほこりがいっぱい。
私のイメージでは「ほこり=タンスの裏」だったので、人が行きかうところにはないと思っていたんです。

もちろん、人が行きかえば服がこすれほこりも出てくるってもんです。
けれどそうは思わない。

そこで今井先生に聞いてみました。

「先生なんで~??」

今井先生は一言

オレに聞くなっっ

はい、すみません。


もう25年も前のこと。
もしかしたら記憶違いをしているかもしれませんが、こんなことあったと思います。


いけないことだけど、男子が「花札」を持ってきて、休み時間に教室で遊んでおりました。
男子呼び出し・・・。

そこで、彼らは「○○がルールを知らないから教えていた」
(いや、学校に持ってくることもダメでしょ)
というと、
今井先生は
「え?知らないの?」
となり、それ以上怒られることはなかったという。


今年のえんま市は寂しいです。
けどまたえんま堂にはお参りに行きます。

ありがとうございました。


乾物屋の今井商店 若林

何ができるか考えながら

2011年03月14日 | Weblog
本当に胸が痛み、涙が出ます。

今回の地震、津波、放射能・・・一度にたくさんのことが起こりすぎています。
これを何とか乗り越えないと。

柏崎は12日の朝4時に強い揺れを感じました。
けれど、我が家は鉄筋コンクリートの市営住宅なので、私の実家よりは揺れが小さかったのではないかと思います。

まだ中越沖地震の心を傷を負っている娘はまた、不安な気持ちがもどってしまいましたが、今朝は他の子どもたちと一緒登校して行きました。
彼女の不安を受け入れる覚悟はできています。
今までしてきたことを、またすればよいのです。


しかし、被災された方々、まだ大切な人と連絡が取れない方々、本当に切ないです。
朝のテレビのインタビューでご自身の奥さまとお孫さんの遺体の確認をされた、と。
今、発表になった数でも信じられないほどの多さです。

津波の恐ろしさ。
速さは「ジェット機なみ」と、今回の災害のあと、柏崎市が配布した小冊子に書いてありました。
今まで読んでもいませんでした。
非難用具もまったく揃えていませんでした。

朝早く起きたとき、ようやく揃え始め、昼間は買出しに行きました。


スーパーではみなさんがそういう感じでした。

心配なことが沢山あります。
一つずつ、少しずつ前へ進んでいくことを願って。




鬼っ

2008年12月18日 | Weblog
娘が作った鬼の面。
輪ゴムがきつくて、鼻つぶれて真っ赤でした(笑)。

最近のカタコト。

「ダイジ(大事)」「っゴ(りんごorいちご」「コワイコワイ(ダンゴムシにびびって)」

こんなところでしょうか?

お恥ずかしい…。