少年野球とともに 

ここには少年野球の監督時代のあれこれを備忘として
書いていたけど、
今後は中国と日本語教育が中心になる見込み。

宮城県での復興支援のお手伝い

2011-10-08 10:26:15 | ひとりごと
5日間、会社業務を離れて、東北は気仙沼へ復興支援のお手伝いへ行ってきた。
我々は、ボランティア本部と相談して、地元の水仙ロードの復興のお手伝いをした。
そこはかって、地元の人々が水仙の球根を植えて、季節には約2KM近く、道の両側に水仙が
咲き乱れ、安らぎ、憩いの場となっていた場所。
震災に伴う津波が津谷川をさかのぼり、その波の高さは附近で10M以上に達したという。
近くには気仙沼線の陸橋が無残に寸断されているのが目に飛び込む。
今は漂流物とともに海砂も打ち上げられ、雑草が生い茂る風景となっている。

まず漂着物を除き、ビーバーで草を狩り、スコップで根を掘り起こし、
それらを捨て、整地するまでを行った。
今後、続く仲間が土入れ、球根を植付け、
来年には元通りの水仙ロードが復活する(予定)

震災直後の水仙ロード→
草刈前の様子 →
草刈後のスナップ →

作業中、行きかう人や車に会釈するたびに、大きな深いお辞儀を返していただく。
作業の手の抜きようがない。皆、言葉も交わさず、一心不乱に作業する。
毎日、現場へ向かう道すがらの風景は、以前集落があった場所が、その原型をとどめてない。
自動車が大きな塊のスクラップとして小山になっている。
SLが転がったまま。病院は破壊されたままの廃墟。
数少ないコンビニやクリーニング店はプレハブ営業だ。
帰り道、石巻にも足を伸ばして、80名近くの生徒が亡くなった大川小学校もみた。
裏山にかけ上ったと聞いたが、こんな急峻ながけを小学生がよじ登れる?
僕らは立ちすくみ、涙ぐむしかない。合掌。
我々がやった復興支援作業そのものは、ほんとに、ほんの些細なものでしかない。
でも僕らにとっては、何か一歩を踏み出せた、のではないかとも思う。


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2 コメント

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安倍さん、こんにちは。 (肖恵一)
2011-11-12 15:16:23
安倍さん、こんにちは。

肖です。安倍さんのBLOGを見て、いろいろ学びました。面白いです。

5月の際、私は石巻市へ復興支援ののお手伝いへ行きました。漂着物を除き、スコップで根を掘り起こしました。日本人ボランティア方と一緒に復興のために働いて、心から嬉しかったです。あの時、石巻市の市民と話して、いろいろな日本人方の考え事を理解していただきました。本当に尊敬します。来年もう一度石巻市に行って見たいです。

東北を応援します。:)

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Unknown (nao)
2011-11-27 11:49:58
ニイハオ、Steve!コメント謝謝。
石巻にいったんですね。ありがとう。
先日は短時間でしたが、知り合えてよかったと思います。私も刺激を受けました。日本での就職活動がうまくいくことを祈ります。
来月、帰国したら又、会いましょう。
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